YWPD | ナノ


▽ A


 


青八木がジュンのことを知ったのは、先月のことだ。



一カ月前―――。

青八木は、専門学校のクラスメートに打ち上げと称されてここに連れてこられた。
初めて入ったことを伝えるとクラスメートには驚かれ、
「じゃあSOHOKUデビューってやつだ」
と笑われた。
店内のカジュアルな雰囲気に身を小さくしてカチコチに固まっているうちに席に進み、クラスメート達はメニューを見始めてしまった。初めはメニューの場所すらわからなくて、青八木は隣の人のページを盗み見するぐらいだった。
頼み終わった後に、口を動かしたことすら恥ずかしいことのような気がして誰とも話せなくなった。注文した丼が届くまでお冷をじーっと見て、時間を潰す。

そんなときだ。
平日、昼下がりの客の少ない店内にアナウンスが響いた。


『千葉の隠れ名店、SOHOKUでご食事の皆さま。こんにちは、SHラジオの時間です』

青八木は驚いた。
店の中で流れる音楽なんて流行りの曲以外知らなかったし、なによりラジオがかかるだなんて想像できなかったからだ。
そんな青八木を放ってパーソナリティがつづけた。

『こんな時期に花粉症にかかるなんて誰も思ってなかったですが、鼻声なので誤魔化しきれませんね。そんなときは店内でゆっくりと、ということであなたのお相手はジュンが務めさせていただきます』

はじめて聞いた声は鼻声だった。そうとう花粉症が酷いのか、時々彼は鼻を啜っていた。スタッフにも笑われていたように、青八木は覚えている。
そのうち運ばれてきた丼を受け取らなくてはならなくなったのと、会計の方法を隣の席のクラスメートが教えてきたのでうやむやになってしまう。それらが終わった頃には、ジュンのコーナーも終わってしまった。

『ではまたお会いしましょう。次は……夜かな?』

そうか、店のラジオは何回にも分けて生放送なんだ。
箸入れから箸を取り出しながら何となくそんなことを考えていた。





それから少しして、青八木はまたSOHOKUに行くことがあった。

もともと青八木の下宿先というのは専門学校の近くにあって、駅前にあるSOHOKUに下りてくることが少ない。それでも駅前じゃないと飲食店はないのだから、自炊の得意じゃない青八木としては少しばかり面倒だったとしても駅前に行かなければご飯が無くなってしまう。
ワンコインでいける店を探した。学生の懐なんて、年から年中季節が冬なのである。
安い飲食店なんて限られている。そりゃ一品だけ頼むとすれば入れる店も増えるだろうが、見た目の細さに反して青八木はめちゃくちゃ食べる。それこそ一人で入れば結構目立つぐらいだ。
青八木は目立つのが苦手だ。口下手で話せないからということもあるが、視線を向けられることを嫌う傾向があるからだ。
でも一人で入れば多くの場合、悪目立ちする。ファミリーレストランなんてもってのほかだ。一人でテーブルを占拠すれば、そりゃ目立つし邪魔だ。

安くて、一人で入るのが当たり前の場所―――。

そこまで考えてふと、あのラジオのことを思い出した。

(あの人の声、落ち着いた)


気がつけばまたSOHOKUに足を向けていた。

だがその日は残念ながらラジオの時間に当たらなかった。
どうやら夕方はやっていなかったようだ。












しかしながら今日、夜の7時はドンピシャだった。


『今日は二回目の登場になりますね、またジュンかって感じですみません(笑)』

照れたように笑いを含んだ語尾が爽やかだ。
それにしても、と思う。またということは他にもパーソナリティがいる可能性がある、ということだ。
もしも青八木が来た時にラジオがやっていたとして、相手がジュンじゃなかったら自分はどう思うのだろうか。ふと疑問に感じた。


(それは……残念だ)


言い方が悪いかもしれない。
でも純粋にそう、落胆する気持ちがどこかにあったことに気づいた。
残念なのは自分の執着心だ。青八木は自覚している以上にジュンの“声”に惹かれている。でもそれだけじゃない。抑揚のある、まるで“そこで”生きているかのような息づかいが好きだった。




『そろそろ卒業のシーズンですね』

話が変わる。
切り替えの早い人だと思う。きっと頭の回転が速いのだろう。
おれとは大違いだ……。
青八木は、自分の馬鹿正直なところに頭を痛めていた。


『おれも最近卒業にちなんで、引っ越したんですよ。あれ言ってませんでしたっけ? ……あ、スタッフが首振ってる』

どうやら近くにいるスタッフに教えられているようだ。抜けさくなところもあるんだ、青八木は口の中で小さく笑ってしまう。
それからハッとして、他の客に気づかれないようにメニューを見るフリをして、隠す。

『大学の卒業が来月なんでそろそろ実家に帰ろうと思いまして、荷造りしてたんです。するとなんていうんでしょうかね、こういうとき片付けないといけないのに、むしょーにアルバムとか気になるんですよね。で、開けちゃって結局2時間じっくり見てて進まないとか。繰り返してるうちに家から電話がね、くるわけですよ。いつ荷物送れるんだ〜って。ごめんまだ段ボールに入れてすらない(笑)』


「ふふ」 小さく声が出た。自分の声だ。
ラジオの向こうでジュンが笑い交じりに話す姿が、姿かたちを知らないはずなのに、青八木には想像できる気がした。
きっとジュンは利き手を口元に添えながら、眉を寄せて笑っている。テーブルに肘をついて、
“仕方ないだろ、俺って”
と言いたげに目を細めて。

きっと、いや、おそらくそんな気がして。

ジュンになら自分の困っていることを相談できるような気持ちになるのが不思議だった。
実際この後には、【ジュンのおしゃべり☆ティータイム】という名の相談コーナーがあるわけで、彼自身相談を受けることになれているのだろうが。
そうじゃなくて、青八木はジュンのことをどこか親友のように感じてしまっていた。

(おれも、何か話したい)

口下手だからしゃべるのは苦手だ。
それでもラジオならお便りとして、話せるはずだ。


コーナーの頭、曲が流れてコーナーが変わることを知らせる。
その間に決めていた注文を頼もうとベルを鳴らした。

「ご注文をお伺いします」
「……この、すき焼きセットで」
「以上でよろしいでしょうか? はい、では少々お待ちくださいませ」

うなずいた青八木を見て去っていく店員は、来店したときとは違う人だった。ちゃんと言葉をはっきり話す人だったな。
考えているうちにコーナーが始まる。真剣に聞いていることを(誰もこっちを見ていないが)周囲に覚られないように、お冷を一口含む。


『このコーナーはリスナーの皆さんが困っていること、聞いてほしいことについて、拙いながらもパーソナリティであるジュンがお答えするコーナーです。ちなみに最後、おれジュンがこの人に合ってるだろう、と思う曲をプレゼントいたします』

ジュンがプレゼントをするらしい。そのことに青八木の背筋が伸びる。
もしかしたら店側のスタッフが決めた曲なのかもしれないが、それでも少しぐらい期待してもいいじゃないか。ジュンがあれこれリスナーの言葉に悩んで、リスナーのことを考えて、曲を流し終わるその時まで……ジュンが自分に縛られてくれる。
その思考の恐ろしいことといったら。
自分でも行き過ぎてる自信はある。でもこれは、あくまで親友の範囲を脱さない。はずだ。
純粋にジュンの声で自分の思いを読んでほしい。
そして、少しでも、ほんのすこしでもいいから自分のことを考えてくれるとなんか、両想いになった気がするんだ。―――もちろん親友として、心の近い存在として、寄り添ってくれるオマエとして。



ラジオが応募の話をする。
これはいつものことなのか、いささか淡々と早口気味にジュンが告げる。

『お手持ちのスマホタブレットなどから、いますぐSOHOKU公式ページをお開きください。その中の上の方に黄色い文字で“SHラジオ特設ページ”というところがありますので、そちらからお便りのメールフォームに打ち込んでくださいね。送られたメッセージは生放送で発表させていただきます』

「スマホ……」

そういや今日、面倒だと思って家に置いてきた。それを思い出した瞬間愕然とした。
まだハガキじゃないといけないなら諦められる。だけど携帯とかそういうのは、ふつう携帯するモノであっていま所持していない自分は、珍しいはずなのである。そうなると周囲はメッセージを送れるのに、自分だけが出遅れたことになる。
青八木はズーンと落ち込みながら、注文の品が届いたことになおのこと頭を下げた。

気づけばすき焼きが冷めていた。たかが10分のラジオのこと、あっという間に終わってしまったということを表している。
今しがた流れているのは、ゲームのエンディングソングである曲だ。名前はよく聞き取れなかった。
ジュンが、映画が終わった後はいつもさみしい気持ちになるのは自分だけでしょうか? というお便りに向けて送った曲だ。

『この曲はスタッフと話し合って決めた曲なんです。スタッフの中にアニソンとか大好きな奴がいて、あ、謝んなくていいから大丈夫だいじょうぶ! でなんだっけな。……ゲームが終わってしまう寂しさに向けた曲で、“夢はまだまだ続く、私たちの人生は終わらない”という気持ちが籠っています。映画の中の人物たちもハッピーエンドで終わったとしても、そこからその人の物語は続くわけで、良いことも悪いことももちろん起こるでしょう。ただスクリーンのこっち側には見せてくれないだけで、いつまでもその人の物語は途絶えることなく築かれていく。その人が努力する限り―――だから大丈夫、終わってないですよ』

まただ、また。
青八木は気づけば天井を見上げていた。ラジオが流れるそこにジュンがいる気がして顔を上げてしまったのだ。
でも当たり前のようにそこには照明と機材が取り付けられているだけで、ジュンの目と青八木の目が合うことはない。


ああ、さみしい。

目を見て欲しい。そしてそのまま、言ってほしい。



「青八木、だいじょうぶだ」



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