▽ C
デパートで半額になった天ぷらをカゴに入れていると、ふと気配がした。またかと溜め息を吐きたいチョロ松だが、どうにか我慢する。それでも気分は重くなる一方だ。
ここ最近誰かに付けられている。
不運が続かなくなったと思ったらこれだ、本当についてない。気のせいだと自分を励ました時期はあるものの、駅までつけられてるんだから、ストーカー紛いじゃないのかなとチョロ松は思っている。
なにが嬉しくて男に付けられてるんだか―――。そう、相手は体格からするに男だった。どちらかといえば太っている感じの、黒い服に全身をつつんでマスクをした典型的なそれ。
別に接触されるわけでもなしに話しかけられもしないのだから放置していたが、こうもバイトの度に現れると気味が悪い。
もしかすると毎日確認しに来てるのか?
てか自分と繋がりがある人間なのだろうか、と不思議に思いながらも買い物をさくっと済ませた。
いつか気の迷いだったと思い直してくれるのを待ちつつ今日も今日とて無視しよう。それがチョロ松の方針だ。
片手に、天ぷらとちらし寿司の割引商品を詰めた袋をぶら下げながらデパートを出た。そしてそのまま駅の構内に入りICカードをかざしては、最寄りの駅まで電車を乗り継いで、帰宅する。バスを使った方が楽だということで、最近はもっぱら電車の後に乗っているが、お金がもったいないので次からはやめておこう。そう決心してから何度目のことか……。
人はいっかい、ラクするとダメだよなあ。
反省反省と心で呟きながらアパートの鍵を手で探る。
セキュリティの甘さが尋常じゃないこのアパートは、女性にはやはり不人気らしく、チョロ松を含めて冴えない男が4人ほど入居しているのみだ。うち一人は彼女持ちらしく、時々下世話な声がしてはチョロ松の怒りを買っている。リア充は爆発すればイイついでにケツ毛も燃えろっ、とはチョロ松の捨て台詞だ。
やっとカバンの底にあった鍵を指で摘まみながら、アパートの近所に帰ってこれたことにホッとする。
あと5分あればつく。
バイトとはいえ疲れたことには変わりがないのだから、早く家に帰って買ってきたものをつつきながらテレビを見たい。そういえばDVDの期限ももうすぐだったと思い出す。ちなみにカラ松出演のドラマだ。
一松との初共演とかでネットで話題になっていたからどんなものかと思い借りたが、まさか兄弟愛の話だとは思ってもみなかった。役作りが上手いせいかチョロ松に兄弟がいないせいか、見入ってしまった。世界観もそうだが二人のみてはいけないような艶めかしい雰囲気を醸し出す演技が、なんとも見ているこちらをハラハラさせる。
そりゃこれは親と見るもんじゃないな。ネットで、親と見て失敗したというコメントが流れていたことを思い出した。
鍵を取りやすいようにポケットに入れようとした時、ふとチョロ松の背後から音がした。からんっ。何か容器を蹴ったような軽い音だ。
何気なしに振り返ると、そのままチョロ松は固まる。
「ぇ……」
なぜだ。
なぜ、今まで駅までしかついてきていなかった男がそこにいる?
「ぁ、ぇ」
顔が真っ青になりながら膝の力が抜けて、腰が引ける。逃げろ逃げろと神経に命令する脳が停止した。まるで前に赤柄さんに助けてもらったときのようだ、と学んでいない自分に情けなくなる。がまだ腕は掴まれていない。
そうだ僕は足が速い!
横に足を引いて家の方に走ろうとするが、このまま家を知られてもマズい。どこか逃げるところは無いかと考えても、まだここら辺の地形なんてよく知らない。大学に通いはじめて一年ちょいなんだからしょうがないといえばないのだが。
それでも逃げないとどうにもならないっ、と足に檄を飛ばす。
そのときだ。チョロ松の肩に腕が回された。
「夜道にご用心〜ってね」
「え、な、お」
「そうそう。おそ松さ〜んですよ(ハート)」
場に似合わない軽い口調に軽いテンション。紛うこと無き松野おそ松だ。肩を組まれて碌にそっちを向けないなりにチョロ松は分析した。でもどうして彼がこんなところに居るのだろう、家はこんな所じゃないはずなのに。てか芸能人がこんなところに居て騒ぎにならないのか。
訊ねようかと思ったが、笑っていたおそ松の目が笑わずに前を向いていることに気づく。そうだ今はストーカーがいるんだった。
「こいつは、そのっ、友だちじゃなくて」
「分かってるって。ストーカーさんだろ? 迷惑してるっぽいし」
良かったおそ松は分かってくれたようだ。もしも友達だと思って、二人っきりにされたら困るのだから、おそ松にはわかってほしかったのだ。
チョロ松が見開いていた瞳孔を元に戻していきながら、胸をなで下ろしているとおそ松がそっと口を開く。
「俺がどうにかしてやんよ」
「え?」
「だからさ〜またお礼してよ。待ってるね、ほら早く帰った帰った」
唖然として、どういうことだと言いかけていると、肩にまわされていた彼の腕が離れて背中を押してきた。
手の甲をひらひらと見せながら男に歩み寄っていくおそ松。チョロ松が「ちょっと!?」と声を荒げる。しかしおそ松は振り返らずに、よいしょ〜と気の抜けた声を出しながら一発。逃げようとした男に拳を加えた。
そしてもう一発。
もう一発、とするうちに悲鳴にも似た懇願の声が漏れ始める。「ごっ、ぶッッ! ごめ……なッ、ぐはッ!!」
それを無視して殴り続けるおそ松。
「―――ひィ、っ!」
そんなおそ松の姿すら怖くなって、足が竦んだ。あまりにエグイ光景に喉の奥から声が漏れる。すると一瞬ばかりおそ松が、ちらりとこっちを振り向く。そしてニヤッと口角を持ち上げた。
「見ちゃ、ダーメ」
……なんでこんな状況で笑えるのだろうか。
そのうち胸倉を掴んでいたおそ松が、面倒だと言わんばかりに男に馬乗りになってボコ殴りにしはじめた。
(け、警察呼ばないと―――!!)
じゃないと相手が死ぬっ。
そう思ったチョロ松だが、ふとどうしてこうなったか思い出す。
そして真っ白になった脳内をショートさせた。
何も見なかったことにしてフラフラとしながら家に帰るほどには、チョロ松は性格が悪いのだろう。
*
「あのさ〜言ったよね? 馬鹿じゃねえの」
「っ……す、すみませ」
「はあ〜。馬鹿は嫌いじゃないけどさあ、約束守れない馬鹿は嫌いなんだって。使い物にならないしさ」
殴り飽きたのか赤いパーカーの男が手を払って立ち上がる。そして手についた血を見て、「きもっ」と漏らした。
「たくもお、血が付いたじゃん。カラ松辺りがうるさいから嫌なのにさあ」
「……」
「なんだよその眼は―――元気だねえ、君も」
「いや、その」
「はっきりしろって。俺、気が長くないって知ってるだろ? 待ってあげられるのはボインな女子かチョロちゃん相手だけよ〜って」
息も絶え絶えに地面に汚く転がっていた太めの男は、夜空に浮かぶ星には目もくれず必死になって起き上がる。ポケットから煙草を取り出していたおそ松は、あら頑張る、と呆れながら見ていた。
黒い服の男が、切れた唇を使って言いにくそうに口を開く。
「頼まれていたモノ、です」
「おお? レシートとれたの」
やることさえやってくれればいいのに、こんなことするから殴らないといけなくなるんだよ〜。気を付けろよ? と脅しにも見える笑顔をしながら、男の手から白いレシートを取りざまに、指の先を煙草の火で焦がす。
「いひッ!!」
「わりーわりーって。でもチョロ松の家までつけるのは反則だからねえ? もしアパートまで見てたら命もなかったかもしれないけど、運良かったな」
「……ッ」
「お、マジで。天ぷら食べるのかよ。俺も天ぷら好きだからさ〜なにこれ、運命ってやつ? ウケるわー!!」
よーし帰ったら天ぷら食べよっと。明日はちらし寿司にするかあ。
鼻歌を歌いそうなほどハイテンションなおそ松が楽しそうに踵を返す。慌ててその後ろを追いかける男。その顔は何か訊ねたそうにしているが、生憎夜の中ではそれは見えない。男が絶えず口を開閉して迷っていると、先におそ松の方が口を開いた。
「なに?」
「あ、」
「そわそわしてて気持ち悪いんだけど」
男は驚いて足を止める。勿論おそ松は前を見て歩いているので、後ろは見えないはずだ。なのに何故わかったのだろう。気味が悪いほど勘が良いと感心するしかない。
「今なら答えてやるよ。どーせもうクビだし」
「ッ、」
クビと言われてぎくりとなるが、男はそれもそうだと受け入れた。それならば教えてもらおうと思い切って訊ねることにした。
「あの、自分は今まで松野様に頼まれてレシートをくすねてましたが、その……あれは一体、どうしてだったんですか?」
「え、そんなことも分からない訳?」
「えッ……は、い」
なんで当たり前に分からないの? という顔をして驚くおそ松。そのことにむしろ男が不思議がっていると不意に前を行く主人が、立ち止まった。必然的に男も立ち止まることになる。
おそ松は電柱に邪魔されている夜空を見上げ星をみて、笑った。およそ星を見ている人間がするような綺麗な笑い方をして。目をキラキラを輝かせて。あるいは十四松のその純粋な目を真似て。
「だって俺とチョロ松は一緒に住んでるんだぜ?」
「は?」
「だーかーら。
今日だって明日だって明後日だって、同じもん食わねえと可笑しいじゃん。あいつは恥ずかしがり屋だから、お風呂とか寝るのは別々にしてるとしてもさあ。それ以上のワガママはきいてやれないっていうか〜まっ無理矢理とかも燃えるけど前はそれして早いうちにダメになったんだし、今度は壊さないってカラ松とも強制的に約束させられたしさ〜あ、今度はへま出来ないわけよ? それにあれよあれ。じわじわ責めて怯えさせるのも良いって最近気づいたってわけ。てかこれ前しようとして失敗したやつなんだけどさ? あとちょっとで完成だったのに、十四松が馬鹿しちゃって死んじゃったし、何してんのってキレそうだったよな、流石のお兄ちゃんも! 可愛い弟だから許せたけどあれが他人だったら地獄に突き落としてるよなあ。まっ、今回の『りんご』がチョロ松だからやりやすいけど。でもそれにしても、こんなに愛してるのに飯まで別とかありえなくない?」
男は唖然とするしかなかった。
「チョロ松の喉を通った食材のすべてが、あいつを作ってるんなら、俺だって同じもの喰うよ当たり前だろ。そりゃ、あいつの身体作ってんだよ? チョロ松を構成するすべてのものが安全か確かめないとダメだろ。だって俺、あいつの旦那様だぜ?」
「ぇ、いやしかし……ッ。松野様とチョロ松様はただの顔見知りじゃッ」
「はあ?」 チョロ松と一緒に暮らしてるよな、俺?
「―――ぁ」
男は声が出なかった。
空を見上げていたおそ松が首だけをこちらに向けたから。その眼が笑っていると思っていたのに、ずっと目を見開いて、失うまいと血眼になってギラギラと輝かせていたから。
こんな飢えた目を芸能人がするものなのかと固まっていたが、そうじゃない。これはこの男しかできないものだと気づいた。
おそ松はまたニッコリと笑った。
「俺とチョロ松が離れるなんて、どんな世界を探してもあり得ないからな」
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