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▽ B


 



「……ないわ…」

 赤柄家を見上げて出た、最初の感想がコレだった。
 どうりで住宅街とはいえ同じ色の壁がつづくと思っていた。そういえばここら辺は、市内でも有名な高級住宅街だ。
 壁に落書きなんかしたらとんでもない金額を叩きつけられそうだな……。

 心底どうでもいいことを考えながら、僕は赤柄さんを待っていた。
 日本ではおよそ一般的ではないはずの大きな大きな門の隣のインターフォンに話しかけている赤柄さん。いま思えば、彼ぐらい大御所なら普段歩いて帰るはずがないような気がする。道なんか丸腰で歩いていたら後ろから刺されそうだし。おちおち寄り道なんかできそうにない。
 僕のその予想は合っていたようである。

「ただいま帰った」
『旦那様!! どうやってお戻りになられたのですかっ、車の方にもいっこうにいらっしゃらないと連絡が、』
「ああ今日は歩きたい気分だったんだ。それに良い人とも出会った」
『いいひと―――? なにはともあれ、皆様お揃いですので中にお入りくださいませ。ただちに梅山を向かわせますので』
「そうしてくれ」





 うわ、なんだよこれ。
 戻って来る赤柄さんにも声を掛けられない程、ひとりでに動き出した大きな門に驚く。びっくりして反射的に身体が丸くなる。人の手では開きそうにないサイズだとは思っていたけど、まさか自動式だったとは。ここまで機械は進んでいるのかと感心して、口を開けていた。
 それを見て、赤柄さんが意地悪く笑う。

「いらっしゃい。私の家へ」
「は、はあ……」
 

 うわ、なんだよこれ。
 本日2度目の台詞を心の中でぼやきながら、玄関をくぐる。
 これを今まで小さな家だといっていたのだと思うと、僕のアパートはもはや、家ですらないんじゃないか。そう思えるほど大きい。なにもかもが。
 だだっ広いロビーにぽかーんとなったり、家の中でも靴を脱がないというスタイルに居心地悪くなったり。靴の裏に触るふかふかの感触が何とも言えない。

「ではこちらに。どうぞ佐々野さまも」
「はあ……」

 佐々野、とは僕の性だ。離婚したせいで元の性はよく知らないが。結構僕はこの名字が気に入っている。
 だが今は別だ。
 結局執事さんにまで押し切られてしまい、広いロビーを抜けてリビングと思わしき部屋に招かれてしまった。歩くたびに良い具合に反撥してくる絨毯が、お前はここに居て良い人間じゃない、と主張しているようで居心地が悪い。
 やっぱり帰ろうか―――と考えていると、大きなドアの前に着いた。
僕の背の倍はありそうな高さに、それに合わせた横幅のドア。立ち止まったということはここがリビングなのだろう。一言二言なにか赤柄さんに声を掛けてから、執事の人が頭を下げてドアをこちらに引く。
 あ、これ逃げられない。
 足が速いと自負している僕ですら、逃げる隙を与えてもらえないと何の効果も持たないと肩を下げることしかできなかった。













 で、どうしてこうなった?

 目の前に広がる光景にそう思わざるを得ない。
 まだ、無視されるということは分かる。うんまあそうだろう。初対面の他人といきなりご飯を食べようなんて、気分が良くないに決まっているし。早く食べて部屋に戻りたいだの帰れだの、と罵られても仕方がない。

 だがしかし。
 駄菓子じゃない。だが、しかし、だ。

 仮にも男――身体が細っこいと馬鹿にされようが、見間違えようがない男だ――の僕が、ナンパ男も真っ青の声掛けをされるという症状が出るのは一体、どんな病気なんだ……?
 白いテーブルクロスを挟んで右の席に座る、場に似合わないラフな赤い服の男が、いつしか僕の右腕の隣で顔を覗き込んでいる。
 その状況が意味不明すぎる。


「驚いた〜。じいちゃんにびしっと言ったっていう馬鹿が、どこのどいつかと思ったらねえ……こーんな可愛い子だっただなんて」

 チラッと眼をやれば、目を細めて笑っている男が居るのがわかる。そんな姿も様になる。そりゃそうだ―――だって相手は、天下の松野おそ松。
 そう、あの有名な若手歌手なのだから。


「でもチェックにストライプ柄って、柄×柄とか一番センスないよね」

 ……こちらの毒舌にファッションチェックをしてくるのは、末弟松野トド松だろう。ピンクの袖から可愛く出した手でスプーンを持ち、ニコニコ笑いながら毒を吐いている。くっそおおおドライモンスターがっでもカッコいいから許すしかないい腹立つうう。
 その隣で無視を決め込んでいたのが、恐らく松野カラ松だ。服が青色だから。とはいってもテレビで見るよりも静かで、こちらに一切見向きもしない様子からちょっとばかり冷たい印象を受ける。まあ、ありがたいんだけど。


「……まあいいんじゃないの。見た感じまだ大学生っぽい」
「一松兄さんするどいでんな〜僕たちよりも年下ってかんじだね」

 カラ松の隣でじろじろと見ているのが、松野一松。テレビの通りに目を合わせて話すのが苦手なようで、目が合いそうになったら逸らされる。ならば見ないければいいのに、と思うが。
 一松の向かい側で元気にご飯を食べているのが、確実に松野十四松だ。食べながら話すから口からご飯粒が飛びまくっている。飛距離が凄い。野球並みだ。練習してんのかとつっこみたくなる距離である。
 
 赤柄さんが言っていた言葉をふと思い出す。
『君にそっくりなんだよ』
 うん、そりゃそうだろうね。僕だってテレビでそう思ったし! 
 てかお菓子買ってって我儘なの、完全にこいつ等だ!! もはや可愛さのかけらもないけどな!
 苗字が違うせいで気づかなかったが、よくよく見てみれば赤柄さんの顔立ちも松野の五つ子たちにどことなく似ている。いやこの場合逆か。とにかく似ている。少し考えればわかるじゃねえかよ僕の馬鹿っ。

 目の前のキラキラした男たちに目が眩んで、思わず借りてきた猫のように静かにならざるを得ない。
 どうかこの人たちに失礼の無いように―――芸能人に喧嘩を売るとか、洒落にならないぞ。こうなったら何を言われても怒らないようにしなければならない。
 僕は愛想笑いを決め込むことにした。が、そうはいっても憧れていた僕の大好きな人たちだ。頬が緩まないようにするだけで精いっぱい。我慢できずにニヤけてしまうまでのカウントダウンはすぐそこまできている。好奇心旺盛なおそ松が僕の隣でそわそわしてくれるなんて、そうそうないことなんだし、すぐ飽きられるのは目に見えているのに落ち着いて黙っていられるハスがない。

 赤柄さんの孫を無視して、僕はスプーンでポタージュを掬う。喉を潤してくれるはずの液体が詰まっていくせいで緊張がほぐれない。
 数秒の無視。
 周囲が静まり返っていた時、助け舟を出してくれたのは同じく無視を決め込んでいたカラ松だった。

「いい加減にしないか、おそ松兄さん」
「え〜なんだよカラ松。ノリ悪いなあ」
「あまり関わらない方が良い、こんな……関わらない方が」

 歯切れが悪い口調で諫めるカラ松が、兄であるおそ松を止めるが効果は果たしてあるのやら。眉を顰めて視線をうろつかせる姿は、おおよそテレビのそれとは似つかわしくない。
 それにしても一般人がこんなに嫌われているだなんて。しかもカラ松という、松野兄弟の仲でも良心的だとファンの中で言われている奴に。なんというがちょっとがっかり。……って勝手なイメージを抱いてるファンが悪いんだ、こんなんじゃニャーちゃんのファン失格だ! 反省しろ僕。
 落ち込んでいる僕だったがそれも、お構いなしなおそ松の言葉に邪魔される。

「いーの。俺が話したいんだからさ、それともなに、焼いてんのカラ松?」
「そういうんじゃなくてだな、」
「大丈夫だってば、ちゃ〜んとお兄ちゃんはみんなのもんだよ?」
「そこじゃない」
「あら厳しい」

 きっぱりと今度こそ切り捨てられたおそ松は、懲りずに笑いながら言う。

「だから大丈夫だってば! ……壊さないし」
「え?」

 ふと小さくなった声に思わず聞き返すと、おそ松は「別に」と笑ってはぐらかされた。そしてむしろニッと元気に笑ってみせてくる。

「やっとこっち向いてくれた。もしかして恥ずかしがり屋? 奥ゆかしくて良いね〜」
「……いや、まあ」
「俺さお前みたいにはっきり言ってくれる奴、結構好きなの。わかる?」

 つまり、気に入ったってこと。

 そう言って僕がスプーンを握っている手を引っ張り、彼の顔の真ん前まで持って行かれる。おいっこれじゃご飯が、てか、顔近いっ。
 僕は咄嗟に手を引っこ抜き逃げる。少しあからさますぎたか。


「やっぱり照れ屋だねえ
「おそ松兄さん、そんなにぐいぐい行ったら嫌われるよ〜」
「うっせートド松!」

 弟に囃し立てられて舌を出すおそ松は本当に子どもみたいで、さっきの小言を呟いたときの表情は嘘みたいだ。あの時は咄嗟に身体が強張った。生娘みたいで恥ずかしいけど、彼の目は何かを本気で狙うもので。頭のどこかで警鐘が鳴り響き、『あ、勝てない』と思わされた。まああんなイケメンに口説かれたら、どんな女の子でも落ちるだろう。でも生憎というか僕は男だ。そっち系でもないしな! だから僕を口説いてどうするんだと厭きれた。


 兄弟喧嘩は犬も食わぬ、と赤と桃色の喧嘩を尻目にやっとご飯にありついていると、隣からくいっと服の袖を引っ張られる。
 引かれた方を見ると、椅子から離れていたらしい十四松がいつの間にかそこにいた。

「だいじょうぶ」
「え、あ、はい」

 大丈夫か? と訊ねられているのかと思い返事をする。
 たしかに騒がしいし、大豪邸のせいで落ち着かないが、さっきまでの人に見られてご飯が手につかないことに比べると、確実に大丈夫だ。

「大丈夫ですよ」
「うん、だいじょうぶ」

 僕は、優しいなあ十四松と感心しながら彼が席に戻っていくのを見る。長い袖は邪魔じゃないのかとも思うが慣れっこなんだろうな。











 そうこうしているうちに晩餐は進み、夜が深まることも踏まえて僕は家に帰ることにした。
 するとカラ松がどういうわけか僕を送ると言い出した。この中で一番嫌ってそうなくせに、どういう風の吹き回しだ?
 怪しんで断った。しかしそうすると今度はおそ松が、「俺が送るからいいって!」と決めはじめた。なんてこった、呆れていたとはいえ尊敬する男に送ってもらうなんて! そんな無礼なことは頼めない。てか僕は男なんだからそんな必要ないっていうのに……。
 どうやって断ろうかと悩んでいると、またしてもカラ松が言う。

「俺が送るぜ、マイブラザー」

 しょうがなく僕はこれを受け入れることにした。本当に渋々だけど。じゃないと、長男さまと二人っきりの方が大問題だからだ。


 

 最後まで駄々を捏ねたおそ松を放置して仕度をするカラ松は、慣れているのか手際が良かった。きっと苦労しているんだろうね。損な役回りっぽいし。だからと言って、僕たち一般人を嫌っていることは忘れちゃいない。
 豪邸から出る際にお土産すら持たせてくれた赤柄さんにお礼を言うと、「またよろしく頼むよ」と好感の持てる言葉をいただけた。
 そのことにホクホクしていた僕だったが、家から出て信号辺りにまで来るとカラ松との無言の空間に耐えられなくなってくる。このまま一人で帰れるんだけどな……。道だって覚えてるし、と考えていると声を掛けられた。
 さっきよりも幾分軽い声色だった。

「悪く思わないでくれ」
「へ?」
「ブラザー達は悪くないんだ。いつもは、そう、大体のことには」
「はあ……」

 僕はため息にも似た相槌を打つ。
 テレビを見ている時から思っていたが、このカラ松という次男は言葉が足りないところがある。勘違いされる言い回しをするというか―――言ってしまえば、語彙力が無い。

「でもある一定のことになると危険だ」
「……。」
「関わらないでくれ」
「―――あの」

 なんでそんなに僕に忠告するんですか?
 そう訊ねるよりも先に、駅の改札口につく。気づけば結構歩いていたようだ。カラ松は、話は終わったとばかりにフッと顔を和らげて、
「今日は楽しかったぞ。あまり話せなかったが、俺だってチョロ松とご飯を食べれて嬉しかった」
と言う。……嬉しかった?
 何故楽しかったじゃなくて、嬉しかったなんだ?
 疑問に思いながらも訊ねたいことはどんどん頭の中に積もっていって、ついには簡単なことしか聞けなくなる。


「一般人を嫌ってるわけじゃないんですか?」
「ん? なぜ嫌う必要がある? むしろありがたいじゃないか、人に好かれることは」

 頬をちょっと染めて照れたように笑うカラ松は、心底嬉しそうにそう話した。こういう所が彼が人気の理由なんだろうな。僕はカラ松のことをすこし見直した。……もともと僕が勘違いしていただけなんだけど。
 それならば。
 なんでカラ松は僕が、兄弟と話すことを良しとしなかったのだろうか?

 謎は深まるばかりだったがまあどうせ、もう2度と会うことはないだろうし、そう思って忘れることにした。
 あーそれならもっと話しておくんだった。大好きな芸能人だったのに、惜しいことした。もっとぐいぐいと好きな人にいける性格になりたいものだ。




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