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▽ A


 


 なんというか最悪なこと続きだ。
 もうすぐ勤めて一年のバイト先でリストラされた。戦力外通告によるリストラ―――アルバイト生は全員打ち切りって、僕しかバイト生居ないこと知ってるんだから要は僕が戦力外だったってことだろ!
 腹立たしいことこの上ない。
 気晴らしで入ったコンビニで、この苛々を消すために好きなものを食べよう、と思って唐揚げを頼んだ。

「すみませんカレーください」
「かれー?」
「……唐揚げでした! すみません」

という感じで言い間違えた。
 はてなを浮かべた店員に対して、僕もはてなを浮かべて『コンビニって唐揚げなかったっけ?』と思っていた、その自分が恥かしい。顔から火が出るかと思いながらコンビニを後にした。
 本当にイイことがない。
 だいいち大学受験のときからついてない。国立に通うつもりが脳の足りなささゆえに私立しか無理だったし。委員長キャラで頑張ってた僕が馬鹿だとか知られたくなくて、未だに誰にも行っている大学を教えられない所存で。
 どこか一ついいことがあるのが人生ならば、一体どこに良いことが落ちているのだろうか?
 疑問で仕方がなかった。


 コンビニを出てバス停に向かう道のり。駅中にあるコンビニはまだ静かな方だ。帰宅ラッシュも過ぎたこの時間帯は歩きやすいし。
 駅の階段を下りているとその壁に広告がでかでかと貼っていることに気づく。長期休みには遊びに来てください〜といったフレーズのそれを見ると、そういえばもうすぐ世の中は春休みかと思い出した。大学生にとってはもう春休みなのだから、感覚がおかしくなっても仕方がないとわかってもらいたい。そういえばその長期休みの間、バイトをたくさんして欲しい物を買おうとしていたことを不意に思い出してイラッとする。あ〜嫌なこと思い出すわ。
 何枚か続く広告の端には、それとは違う地方を周るスタンプラリーのポスターがあった。そこには今を時めく芸能人の写真が、これまたでかでかと貼られていた。
 そのカッコよさに思わず、口から言葉が零れる。

「松野だ……」


 本名、松野おそ松、カラ松、一松、十四松、トド松。彼らは全員芸能人。―――じゃない。
 実際は、仮面ライダーで初主演を飾ったカラ松と、同じ時期に歌手としてデビューしていたおそ松が『顔が似てない?』とネットで話題になったところから兄弟が全員出演することが決まった。
 当初は双子か何かかと騒がれていたが、実際は五つ子だった。
 それがまたテレビを騒がした。しかもただの五つ子じゃない、イケメンの五つ子なのだ。
 演技派俳優として芽を出しはじめていたカラ松は、ドラマに引っ張りだこで最近はバラエティー番組にも呼ばれるようになっていたし。
 口下手な一松は、出演当初『兄弟とはいえ彼は出さない方が良いのでは―――』というスタッフの考えを覆し、その根暗な中にある統率力によって芸人の散らかしたギャグをまとめたりという需要が認められて、最近では様々な番組に呼ばれている。
 もともとプロ野球を目指していた十四松は、野球に関われるならとスポーツ中継の解説補助を早いうちから頼まれたりと、お茶の間にその元気な姿が好かれていた。
 末弟と自称していたトド松は、本当に要領がよかった。テレビに出るよりも、出る人を裏方で支えたりと自分の人気の有無に関係なく仕事ができるようにしていた。いつの間にメイクなんて!! とはラジオで文句を言っていたおそ松の台詞だ。
 そのおそ松―――彼はすごい。僕が一番、呆れつつも尊敬する馬鹿だ。歌手としての音楽番組はもちろんのこと、バラエティー番組に呼ばれれば周囲を巻き込んで問題を起こすわ(のくせに視聴率はすごく上がるし、自分で解決する)、ドラマに出れば一変して色気を見せるわで。またある時は弟をドッキリに引っ掛ける番組に出て、お茶目な反応をしたり、「お兄様にかまわないからだ!」と踏ん反り返ってクソな性格を思う存分発揮する。
 この長男が兄弟を今まで引っ張って来たのだろうということは、一目瞭然だった。
 一人っ子な僕だからか、とてもその姿に憧れたものだ。こんな兄が居ればどれだけ退屈しなかっただろうか……。
 しかしそれと同時にこうも思った。
 一緒に居れば自分の平凡さがまざまざと見せられて、堪ったもんじゃないだろう。それならばやはり一人っ子で良かった。

 なぜこんなに僕が松野兄弟に興味があるかというと、簡潔に言ってしまえば僕がファンだからだ。


 きっかけはどことなく、彼らと僕の顔が、似ていることだった。









 *







 似ているからといって僕の人生が何かしら変わる訳じゃない。
 そして僕は今日も、もうすぐ打ち切られるバイトに行って帰るのみ。他にバイトはしてない。サークルもしているけど、月に一回だけの活動だ。これも率先して入ったわけでもなしに、ただただ将来の就活の履歴書に『社会貢献活動を行っていました』と書きたいがために入っただけで。
 なんともぱっとしない人生だ。それも良いかもしれない、変に道を踏み外してヤのつく人に追われるなんて冗談じゃないんだし。

 平凡が服を着て歩いている。
 という悪口を高校のときに言われた僕だが、そういえば先日思わず顔を顰めた事件があった。




 サークルに入っているといったが、それは所謂“お偉いさんと社会を明るくするために色んな活動をする”部だ。お偉いさんとは誰なのか。未だに僕もよく知らないが、多分市のお偉いさん。議員の人とは―――ああ違うと思いたい。時々知らず知らずのうちに雑談してて、後で先輩に言われて焦ったことはあるが。うん、大丈夫。
 前回はお料理教室をした。
 主旨は、将来の職に悩んでいる青年たちに選択肢を伝えることらしい。らしいというか、僕の大学が主催なのだから、そうでないと困るのだけど。


 その時に僕はしでかした。
 
 料理教室というからには料理を作るに決まっている。ちなみにレシピはクリスマスということもあって、シチュー。あとは蒸し野菜とオレンジゼリー。
 僕だって料理は上手くはないが、伊達に一人暮らしをしていない。危なくはない包丁さばきで後輩の女の子とシチューの具を切っていた。
 しかしその際に、一緒に作業をしていた祖母に近い歳の女性が隣のおじさんに、
「赤柄さん良いのよ〜そんなことは女性に任せてください」
と言っていたことが気になった。なんというか昔の考えで、女性=家事みたいな聞こえ方に思えて、正直僕は気分が良くなかった。言っておくが僕だってそんな福祉的な人間じゃない、が。それでも人としての平等には五月蠅い方だと思う。
 思わず、言ってしまった。

「一緒にしましょう? せっかく料理教室ですし、良い機会ですよ」

 これがどう転がったか。
 お察しの通り僕は要らぬお節介をこの後も、何度か焼いた。
 しかも極め付けといわんばかりに僕はしでかした。

 ご飯をさあ食べようという時に、僕の班だけお茶を入れ忘れていたことに気が付いた。急いで僕と後輩の女の子が入れたが、まだ時間が経ってなかったせいで薄かったようで、一つのコップが台無しになった。コップは人数分しかない。どうにか時間を置いてもう一度入れると他のコップは丁度いい塩梅になった。
 そのときその男性が、
「これは薄いんで捨てておきますね」
と、僕に気を使ったのか自分だけ働いていないことに気まずくなったのか、そう言って立ち上がった。
 しかし僕はそこで言わなくても良いことを言った。

「いいですよ、それ。僕が飲みます。もったいないでしょ?」

 僕は田舎育ちで祖母と住んでいたから、白湯もよく飲んでいた。そのせいか多少薄くても飲む。むしろ捨てるという考えが、もったいなくてできない。
 僕としては当たり前のことを言ったつもりだった。すると男性が驚いた顔をして、そのコップを自分の席に置いた。
 不思議に思って僕は訊ねた。

「―――あの僕が貰いますよ?」
「いいんです。……そうだ、勿体ないよな」

 久しぶりに童心に返ったよ。ありがとう。

 そう言って男性は笑ってお茶を飲んだ。僕は分かってもらえたことが嬉しくて頭を下げた。が、その隣で震えている人が居た。
 さっき料理をしなくてもいいと言っていた女性だった。
 彼女は、たしか活動の中の偉い人だったはずだ。何故そんな女性が顔を青褪めていたのだろうか?



 その謎は、帰ってから解けた。

「え―――あのひと、社長だったの?」


 そう。
 僕がお説教していた男性は、活動を運営するスポンサーである会社の社長だった。









 思い返せばはじめに『料理を作らなくてもいいか』と提案していたときからおかしかったんだ。あの人、社長だから参加しただけで料理したかったわけじゃなかったんだろう。そんなところで僕が、「なんでしないんですか?」と強引に参加させたのは……うわあ。
 きっと社長だから、そんな扱いされたこと無かっただろうに。穴があったら入りたい―――!

 そんなこんなで、思えばその日から運が悪いような気がする。
 あっガム踏んだ。もおおおおおお。



 普通こんな時はバイト帰りにすぐに帰るべきなんだと思う。思うが、買い物をしないと一人暮らしなんて破綻まっしぐらだ。なんせ食べるものがない……。
 この時間ならお惣菜が半額のはず。
 電車に乗る前にデパートに寄ろうとして駅を通り過ぎ、頭の中で買うものを決める。はじめに決めておかないと目に付いた物をほいほいと買ってしまう癖がある、ということに半年前に気づいた。そりゃ出費が酷いはずだ。
 昨日は唐揚げだったし、あっさりとしたものが良い。
 揚げ出し豆腐とか食べたいかも。
 人ごみに流されながら駅を歩いていると、ふと前から来ていたおじさんが手から腕時計を落とした。歩く姿も大変そうだったから、きっとしゃがむのも大変だろうな―――と僕は自分がまた要らないお節介を焼くだろうな、と予想していた。
 そして実行した。
 地面に落ちていた黒い腕時計を拾い上げ、屈み気味だったおじさんにソレを差し出す。

「落としまし……」
「拾ってくれたんだね」
「た、」
「お礼をしないとね、お礼を……お礼をしないと」
「―――。」

 ヤバい。
 即座にそう思った。

「っ、」
「お礼をしてあげるからね」

 逃げようにもいつの間にか時計を持っていた手が、僕の手を握っている。がさりと乾燥した大きな手がにぎにぎと僕の手指を絡めてくる。……気持ち悪いっ。
 腕を引こうにも、こっちは片手で相手は両手。振り払えなかった。
 おじさんは周囲をきょろきょろとして何かを探している。―――まさかとは思うが、どこかお店に連れ込もうとしてるんじゃないのか?
 こんなんなら人助けなんてするんじゃなかったっ!
 内心そう叫びながら、膝が震えてくるのを感じた。喉の奥が渇く。まさかこんなに怖いものだとは思わなった。

「べ、別にイイですから」
「お礼をするから待っててね」
「ゃ、め、ッ!」

 嫌だと大声を上げるつもりが、できなかった。
 そんなときだった。


「その子は私の連れですが、何か用ですか?」

 鶴の一声。まさにそれが似合う声。

「え、なっ! あかつかさん……?」
「お礼をしないと―――」
「私からお礼をしておくので離してあげてくれますかな? 今から少し、用事がある者ですから」
「あえっ、よ、ようじ……?」
「そうだよね。チョロ松くん?」
「っ、は、はい!」

 別に用事はなかったけど、にっこりと笑っていた社長さんが頷いてほしいと言っているように見えて従った。
 そこまでしても男は手を握っていたが、社長さんがそれを割るようにして僕の手を握ってしまえば、男は離さざるを得ない。

 男は、僕と赤柄さんが立ち去る後ろ姿をしつこく見ていた。なんとなくそれは視線で分かっていたが、振り返ることはできなかった。

「あ、の」

 場所を歩いて移動して、少し落ち着いたところでやっと僕は口を開けた。

「先ほどはありがとうございました。その、本当に助かりました」
「いえいえ、恐らくあれは病気の人ですから勘違いさせるようなことはお勧めできませんよ。私が居なかったら警察沙汰もありえますし、ね」
「はは……本当に」
「それにしてもいつもあんな、人助けをしてるんですか?」
「えっと、まあ……。でも今回のは結構反省してます。赤柄さんが居なかったらほんと、ヤバかったので……でもどうしてこんな所にいるんですか?」
「この駅の近くに、地域交流センターがあるんですよ」
「ああなるほど」

 色んな施設に顔を出すことが多いと聞いていたため、なんとなく言いたいことは分かった。きっと今日もこれから帰りなのだろう。
 そんな疲れた中で僕を助けてくれるなんて、本当に申し訳ないことをさせてしまった。
 前回のことも含めて色々と無礼な行いを謝らなければ。とおずおずと話しかけた。

「前の料理教室のときもそうですが、色々と失礼して―――」
「あの時はありがとう」
「え?」

 隣を見上げると赤柄さんは苦笑していた。

「実を言うと私の孫がね、じいちゃん柔らかくなったねって言うんだよ。いつも亭主関白気取りで孫にも話しかけられなかったのに、最近じゃ、むしろ遊びに誘ってくれてね。……君には感謝してるよ」
「そ、そんな」
「お礼と言ってはなんだが、さっきも言った通りに何か御馳走してあげよう」

 は、と思う隙に赤柄さんは足を速めて先を歩いていってしまう。僕に与えられた選択肢としては、このまま従って追いかけるか、気づかれないようにそっと逆方向にある駅に戻るかだ。
 しかし考えてみればすぐに分かるように、赤柄さんはサークルのスポンサーであって、これから先も付き合うことになる。このまま無視して勝手に帰るのは、あまりにも失礼だしな……。
 もともと僕には選択詞なんてあってもないものなんだろう。

「えっと、宜しければお願いします……?」
「ははは。素直でよろしい」

 年上の好意には甘えるものだ、という祖母の言葉は間違っていなかったようだ。前を歩く赤柄さんはチラリとこっちを振り向いてから、眦の皺を寄せて爽やかに笑った。













「君にそっくりなんだよ」
「はあ……」

 住宅街に近い信号を渡ったときから顔が緩み始めた赤柄さんが、孫は僕にそっくりだという言い出した。そっくりってそれ、ドッペルゲンガー?
 僕が引き気味でいるとどうも話がずれていたことに気づく。僕に似ているのではなく、同い年ぐらいだというだけじゃないかという推測もできるし。
 デレデレに甘い顔をしている赤柄さんの話を要約すると、こうだ。
 僕と同い年ぐらいの孫が居るのだが、その孫は僕と違ってすこし反抗期らしい。やれお菓子を買え、やれ遊びに連れていけ……じゃないと、もうしゃべってやらないぞ、と。
 もしかして高校生ぐらいの女の子なのかな?
 それなら可愛い我儘だという彼の話は、筋が通る。お菓子を買って欲しいがためにせがむ女の子なんて、健気で可愛らしいじゃないか。

「一緒に住んでいるんですか?」
「いやあ、ときどき遊びに来るぐらいですよ。そんな一緒に住めるほど大きな家ではありませんから」
「だったら会えるのがとっても楽しみですよね」
「ええ。実は先日から来てるんですよ、孫」
「げっ」
 
 それって孫が居るところにお呼ばれするってことか僕? おいおい冗談じゃない、帰りたい気持ちが膨らむ一方だよ。
 口を結んで緊張に身を固くしていると、赤柄さんが声を明るくする。

「着いたよ。ここが私の家だ」










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