今日は何の日? | ナノ


▽ A


 


また私はわけが分からないまま夢を見ていた。

ぱちぱちと割れる箱は不協和音なオーケストラみたいに、気持ちを不安にさせる。ただでさえ頭が痛くてフワフワしてるのに、拍手喝采を気取って音を鳴らされるとなおさら気分が悪い。吐きそうだ。
小学生の頃だったら、
「熱でた? やすめる? わたし休んでいい?」
と喜んでいた私も大学ではそうもいかない。
単位が取れるかどうかはテスト云々だけじゃないということはここ二年でよくわかったし、何より三回生になったら教育学部は実習が入ってくる。その実習というのがこれまた厄介なもので、日時をこちらが決められないのにもかかわらず変更不可なのだ。しかも平日に実習するとしてその期間は公欠扱いじゃなく、欠席扱いになってしまう。欠席の理由をいえば話は聞いてもらえるけど、ようは先生の気分次第。一回の欠席がテストの点数の悪い人間にとってどれだけ響くものか、誰かに聞いてもらいたいぐらいだ。
ほんと無駄に休めないよなあ。




吐きそうだ吐きそうだと唸りながら、脇に挟んでいた体温計の電源を切る。

『37.9℃』
そう表示されていた画面が、ピッという簡易な音と共に消えた。
本当に吐きたい……むしろ吐いた方が楽になるんだろうなあ。喉の奥が腫れてる感覚がして本格的に風邪を匂わせているこの身体、治るとすれば一度吐くしかないような気がする。
食欲の湧かない体調でも、一人暮らしで倒れたら助けてくれる人もいないわけで。しょうがないので保存食のお粥を取り出してくる。前見た時は売り切れていた人気の鮭味、それを汁入れに移してレンジにかける。時間もないしお腹も減ってないし、このお粥は望まれてないのに私の胃の中に入らされるとは可哀想に……。

―――何を言ってるんだろう。

ついに物と擬人化が混合しはじめた、やばいぞ私。
電子レンジが止まるまであと30秒。
意識がぽやぽやするせいで目が閉じかけると、頭の後ろの方でぱちっぱちと、いくつかの箱が割れる音がした。













女子大のコンビニって本当に女性向けなんだなってことを、結構いつも思ってる。
入ってすぐのコーナーって、目立つところでしょうよ。そこにおりものシートが置いてあるんだ。多い日の昼用のシートも少ない日用のシートだって、種類はそこそこある。なんでもござれってわけでもないけど、突然なってどうしよう! ってならない程度にはあるといえる。
思えば大学のトイレの鏡にも、
『生理用品はコンビニへ』
って張り紙がされてた気がする。……駄目だよく思い出せない、数馬たすけて。咳が止まらなくなってきた。朝はまだ喉が痛いぐらいだったのに、今じゃ乾いた咳が止まらない。実習とかほったらかして看病してほしい。切実に。


コンビニに入ってのど飴を探す。

家にあった薬用の飴ちゃんを持ってくればよかったなあと後悔しても喉の痛さには負ける。ここで買っておかないと、午後の講義どころか午前を乗り切れるか心配なんだ。ちなみに私の好きなのど飴は蜂蜜リンゴ味だ、なんか美味しい。あれは美味しい。今は鼻が詰まってるから、味なんかあってもないに等しいけど。

レジに飴ちゃんを置きながら、横目で例の生理用品をみる。こんなところにあって買いにくくないのかなって思う。ほら大学の教授だってコンビニにくるし、そういや自動販売機の業者の人だってくる。ああいうのってなんでか男の人ばっかだから。
女子大に男がいると浮いてしまうから可哀想だなって思う。
時々カッコいい人がいるとむしろ周囲がざわめくからそれもどうかな〜って。あ、でもあれか。ちやほやされて喜んでるのか?
ついさっき見かけた上の階のメッシュの人の周りも賑やかだった。今ごろ芸能人扱いかも、良いのかどうか私には想像もつかないけどね。
男って単純だ、って立花せんぱいが言ってたからなあ。どうなんだろ?



「あ……間違えた」

ふと店員さんから貰った袋の中を覗き込むと、そこには蜂蜜リンゴ味の飴ちゃんじゃなくて、ただのレモン味の飴ちゃんが入っていた。んーなんだろうか、この敗北感。
こういうのって代えてもらえるんだっけな……いや、人と話すのもしんどい。てか引き戻す足もついていかない。
こりゃもう午後は休んで病院行った方が良いのかもしれない。明日のことを見据えて。

よたよたとしながらうーんと考え事をしていると、階段の一段目に気づかなかった。弁慶の泣き所に違和感が走ったことに気づいたのはワンテンポ遅れてのこと。
身体が前に傾く。

『や ば い』

マスクの下で口がそう形つくった。焦って息を吸って喉が痛む、左手で咄嗟に手すりを掴む。けど力が入らない。身体がいうことをきかない。

視界がくるくると回った。そのときだ。






「だいじょーぶ?」


お腹を支えられる。
いやこれ、腕で引っ張られてるのか。

「ぁ……」

驚きすぎて頭が痛い。元から頭が痛いのに焦ったせいで、余計に酸素が血管の中で暴れている感じだ。だからか脳が痛い。
答えない私をグイッと引っ張り上げて、足で立たせてくれる。見るとさっき上の階でいた自動販売機の人のようだ。いちいちどんな人かは覚えてないけど、女子大にいる若い男なんてそんなものだろうからと決めつける。
ばくばくと脈うつ心臓を抑えながら、どうにか頭を小さく下げた。やっぱりあれだ急な行動は良くない。別に相手にドキドキしている訳でもないのに、変に心臓が緊張しちゃって、脳まで勘違いを起こしかけている。

「ぁ、とうございます……」
「さっきから結構フラフラしてんね。だいじょーぶじゃないでしょ?」
「……さっき?」
「うん。4階で見かけた時から見てたよ、なんか危ないなって。しかめっ面だし視点合ってないし。ちょうど補充し終えたから先輩に買い出し行って来いっていわれてさ、会えるかなってきた」
「はは、は」

やばいしんどい……話すのすら億劫だ。けどなんだろう、この人ストーカーってぐらいに見てるな。いや本当は親切で良い人なのかもしれないけど、チャラそうなメッシュと口調に反して気を使ってくるせいかそう思ってしまう。
ともかく、早く上に行きたい。
じゃないと次の講義が始まる……。

「講義休めないんで、もう行きますね。ありがとうござい」
「ひるめし」
「へ?」
「昼飯食べたら病院いこ」

なに言ってんだこの人。
今抜けられないって言ったでしょうが。
てか初対面の人間に対して病院行けとか、図々しいにもほどがある。

「意味がわからないです」
「怒っちゃった? それはごめん。でもそれきっと風邪だよ」
「分かってます―――こっちにも事情があるんです、休めない事情。だから頑張るんです」
「頑固なところ変わってないな……」(ボソッ)
「はい?」

熱のせいか耳が遠くなってる。相手の口が動いたのは見えたのに、言葉が聞こえなかった。
というか大変なことが起こっている。女子大に男がいるだけでも注目を浴びるのに、中央階段っていう人通りが一番多いところで言い合いをしてるせいかめちゃくちゃ見られてる。こ、これは……頭が回らなくても分かる。えらいこっちゃ、と。
とにもかくにも講義室へ行かないと―――そう思って目の前の相手を抜かして階段を上ろうとする、


「ちょっと」

……のを止められた。
突然腕を後ろに引かれたわけだから、こけそうになる。危うく平衡感覚を崩しそうになって、足をばたつかせてからどうにかその場に止まる。
なにをするんだ……危ないじゃないかっ、と文句を言うためにキッと振り返った。

「っあの、」
「女子大なんて探しにくいところに入ってたせいでこんなに時間かかって、やっと会えたのに怪訝そうにされると流石に傷つくよ。藤内のことだから予習してない奴の対応なんてできない〜って駄々捏ねられるとは思ってたけど、こんなに拒絶されるとか、俺こそ予想してなかった。……ちょっとキツい」
「―――」
「っ、はあ……とにかく。昼休憩になったら一緒に病院行こうね、伊作先輩がいるところだからだいじょーぶだから」


そういって目の前の男はぼうっとした顔をくしゃっと崩して、情けなく笑った。


ぱちんっ。

夢の中にあったはずの箱が割れる甲高い音、それが耳の奥で広がっていった。







 おしまい



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