▼ 07
書き掛けの書類を片付けて、飯でも食うかと伸びをしながら、さて、と辿った霊圧を捕捉すれば……
「またかよ……」
舌打ちと共に立ち上がった俺の眉間には、マントルより深い溝が出来ているんだろう……。
「修兵君に彼女なんていないって知ってたんでしょ」
「上手く行ったんだから良いじゃねぇか」
「良くないし」
予想通り。
瞬歩で向かった先の薄暗い通路の奥。重苦しい扉の前に立てば、中から漏れ聞こえる話し声にまた皺が深くなる。
何でこの人は……と、眉間に指を押し当てて、フルフルと沸き上がる怒りに耐えた。
憧れて、焦がれて、やっと手に入れたはずの紗也さんは、まだまだ俺のモノだと言うに至らねぇ。
っつーか、実感なんてまるで無ぇ。
文句を言いながら、恐らく観ているデータから目も離さずに居るんだろう、飄々と言い退ける阿近さんも。
紗也さんを、その存在の全てを許容している。
あの日。
阿近さんの言った言葉を、自分を煽る為の台詞だとしか思っていない紗也さんは、相も変わらずに阿近さんの研究室に入り浸り、自然とその傍らに収まっている。
寄り添うようにしか見えないそれが、俺の中に黒い塊となって燻り膨らみ続けていると、紗也さんが気付く事もない。
「直ぐに一人で完結すんのは、お前の悪い癖だろ」
「…………」
「切羽詰まらねぇと動けねぇ檜佐木もどうかと思うがな」
間違いなく、俺が此処に居ると解って溜め息を吐く阿近さんに、軽く芽生える此れを何と呼ぼうか。
こんな所に入り浸ってちゃ煩ぇだろと阿近さんが態とらしく言うのに、誰が?と、本気で判って無ぇ紗也さんも、今夜は本当にどうしてやろうかと思う。
「檜佐木だろ」
だから早く帰れと面白そうに云うその表情が、手に取るように判るのは俺の気のせいじゃねぇと渇いた笑みが浮かんだ。
「……修兵君は、そんな事気にもしないと思う。何か、クールだし」
「ぶはっ」
とうとう噴き出した阿近さんが、クールなヤツはこんな所まで追い掛けて来ねぇぞと扉を開けた。
修兵、君……?と驚いた瞳を向けられて、罰が悪いったらありゃしねぇ。
もう色々、全てを計算尽くの阿近さんは、此れから向かう先の先までを俺に要求してんだろう。
実際の俺はクールなんて程遠くて、紗也さんに少しでも釣り合えるようにただ必死なだけで……。
今だって、阿近さんに妬いて、独占欲が溢れてぶち切れちまいそうで……。
それを、そんな醜い想いも包み隠さずに伝えて行けと……
ハードルが高ぇっつの
此の目の前に悠然と構える鬼は、紗也さんの為ならきっと何だって厭わねぇんだろう。
「……紗也さん」
「修兵君?」
取り敢えず。
阿近さんの所に来る前に何で俺の所に来ねぇんだよと言えれば苦労はしねぇ訳で。
言葉に惑う俺に、何か阿近に用事だった?と真顔で問う、本気で何も解ってねぇ紗也さんには軽く脱力する。
「修兵……」
……君と、紡ぐ口唇を塞いで腕の中に閉じ込めた。
ピシッと固まった顔が朱に染まるのを胸に抱き込んで隠すと、阿近さんに視線を向ける。
「誰にも、譲りません」
其れだけを宣告して、ヒラヒラと出て行けとばかりに手を振る鬼の研究室を後にする。
「あの……、修兵君?」
「此処には立ち入り禁止で。と、言いたいトコっすけど。時間が空いたら、先ず俺の所に来てくれるなら良いっす」
「良いのっ?」
「っ………」
パッと華が咲いたような。
駄目、とは言い辛い笑顔が憎らしい。
そんなに阿近さんの所に来てぇのかと、ちょっと虚しくな……
「修兵君の、邪魔にならない……?」
「…………」
「私なんかが行ったら邪魔かなぁって思っ、て…………」
行きなり抱き締めた俺に、修兵君?と、戸惑った声で問う。
人目が……と羞恥に震えるのに、非難も、腕の中から逃げて行こうともしない。
何だよ…。ちゃんと……
「紗也さん、俺の事好きだったんすね」
は、と笑って破顔した俺に目を見開いた後で
「何を今更……」
好きでもない人の腕の中に大人しく収まってたりしないと、少し拗ねたように言う紗也さんが憎らしいくらい可愛いかった。
阿近さんにもされるが侭だったじゃないっすか
そんな情けない台詞は辛うじて呑み込んだ……。
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