11.マガナミ -ふるさと-
(9/15)
しかし男は、ただ静かにマガナミを見据えている。
マガナミは男の意図がわからず、男の瞳を見つめた。
そこには何の表情も伺えなかった。
慈悲も、哀れみも、そして、侮蔑も、嘲りも。
二人はしばらくの間、何も話さず、その場に佇んでいた。
やがて男は、少し身体をずらすと、親指を小屋の外、右方向へ向けた。
「行け。あっちだ。まだ村人の手は回っていない」
抑揚の無い声でそれだけ告げると、男は何事も無かったかのようにマガナミに背を向ける。
そして一度だけちらりと振り返り、釘を刺してから、ゆっくりとした足取りで立ち去ってしまった。
「もう少しで別の人間がやってくる。今が、最後のチャンスだ」
マガナミは走り出した。
それはほとんど反射だった。
なぜ、男は私を見逃してくれたのか。
あの時、男は何を考えていたのか。
それは今だから抱ける疑問だ。
マガナミは走った。
夢中で、一心不乱に、ただ走り続けた。
そして、マガナミが我に返ったとき、目の前には絶壁が広がっていた。
慌ててブレーキをかける。
ほとんど景色を気にせず、男に言われた方向に走っていた。
気が付いてみれば、そこは森の端だった。
この森は、どこの森なのだろう。
その時、唐突に声が聞こえてきた。
「おい、あっちはどうだ」
すぐ近くから聞こえる。
声は少しずつ大きくなってきた。
――こっちに、来る。
マガナミは身体を硬直させた。
逃げなきゃ。
強張る身体に鞭打ち、立ち上がった瞬間、ヒヤリとした浮遊感がマガナミを包んだ。
足元の感覚が消える。
土が崩れて崖下に転がってゆく音が聞こえた。
ぐらりと視界が揺れる。
お ち る――――
傾いだ視界の端に崖から突き出した枝が映った。
見覚えがある。
あの時、あそこには飛ばされた帽子がかかっていた。
そうだ。
ここは、あの時の場所だ。
やっぱり、私は、死ぬんだな――
あの時、かすかな希望を抱いて這い上がった奈落の底。
今、そこへ、今度は確実に落ちて行くのだ。
結末は、始めから見えていたというのに。
必死になって走った自分を自嘲する。
村人だけではなく、自分も正気ではなかったのだ。
でも神様、今ここで私を死の淵に誘うというのなら、なぜ、初めてここを訪れたあの時そうしてはくれなかったのですか。
あの時この場所で、私という歪みがなくなっていれば、今ここに私がいなければ、村はいつもどおり幸せな一日を送れたかもしれないのに。
井染に真の安息が訪れていたかもしれないのに。
容赦のない重圧が身体全体にかかる。
でも、これで、終わる。
これは事故だから、仕方ないよね?
お母さん。
私、もう十分苦しんだよ。
だから、村の人たちは、助けてあげてね。
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