10.マガナミ -母-
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マガナミは、何かが当たる音に反応して目を開いた。
同時に頭に軽い衝撃が走る。
柱に頭をぶつけたようだ。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
縮こまっていたために身体中がきしきしと痛む。
部屋の中が薄暗い。
もう夕刻を過ぎた頃だろう。
母の言葉が耳に残る。
「死ぬなんて許さないわよ。あんたは生きて、生きて、生きて、一生分、この世の絶望を味わうの。村人どもを不幸にして、自分も不幸になって、せいぜいもがき苦しむがいいわ。あたしが見ててあげる。それがあたしの幸せだわ」
蛇のように絡みつく台詞。
ひと思いに喉元に喰らいつくのではなく、牙を皮膚に当てたまま細い舌を這わせ、その感触に恐怖する様を眺めることを選んだ母。
もう、許してよ、お母さん。
――人がいない場所、誰とも関わらなくていいところへ行きたい。
あの時、奈良シカマルと名乗った少年が、この家へ来るよう命じなければ、そう願い出るつもりだった。
私の願いが聞き届けられないことくらい知ってる。
だけど。
口にしてみようと思った。
たとえ形だけであったとしても、意見を求められたのは、初めてだったから。
人と、交わらなくて済む場所へ。
私が不幸になるのは仕方のないこと。
けれど、周りの人間まで不幸にしてしまうことには、もう耐えられそうにない。
一人でいれば、誰も、傷つけない。
誰も、私のせいで嫌な思いをしない。
他人を巻き込むことなんて、ないもの。
「違う」
マガナミは呟いた。
そんなきれいな理由じゃない。
もう疲れたのだ。
人に罵声を浴びせられることに。
命令されて、足蹴にされて、水をかけられて嘲笑されることに。
疲れたのだ。
少しくらい、楽、したっていいじゃない。
だって、私、もうボロボロだよ。お母さん。
母の言いつけは、守らなければならない。
なぜなら、私が母の人生を狂わせてしまったのだから。
その母が唯一私に望んだことくらい、叶えてあげなくちゃいけないよね。
母は本来、とても優しい人だったのだ。
それをあんな状態にまで追い詰めてしまったのは、私。
辛かったであろう。
悲しかったであろう。
それでも最期に母は言ったのだ。
人生を台無しにした原因の私に向かって。
「ごめんね」と。
そういう人だったのだ。
心のきれいな、聖母のような人だったのに。
だから。
私はせめて、母の言いつけどおり、生きて、そして絶望に耐えていこうと決めたのだ。
だけど、だけどね。
私、挫けそうだよ。
負けそうだよ。
お母さん。
だって、村の人たちを最悪な形で私の咎に巻き込んでおいて、私は、まだ生きてるなんて。
お母さんは、これを、望んでいた?
もう、村の人たちは、いないかもしれないんだよ。
そう、村人たちが「あの後」どうなったのかマガナミは知らない。
あの唐突に始まった日常の終焉の結末を。
マガナミは、あのむせ返るような熱と、ものの焼ける異臭を思い出し、身震いした。
荒々しい足音や人々の悲鳴が頭に響き、思わず耳を塞ぐ。
今にも、目の前にあの惨状が映し出されるのではないかと、恐怖に身体を硬直させたまま、目の前の壁を見つめた。
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