生きている意味

10.マガナミ -母-


(9/10)


赤子が生まれてからというもの、ヨフテと共にサリカの世話をしていた者たちの往来も絶えた。

今ではヨフテ一人が二人の面倒を見ている。

サリカは子を産んでからというもの、一気に憔悴し、日に日に生命力が弱ってゆくように見受けられる。

それに引き換え赤子のほうは、つやつやとしたきれいな肌で、ピーギャーピーギャーと泣き喚く。

少しずつ生え揃ってくる赤茶けた髪も、琥珀色の瞳も、ヨフテの神経を逆撫でした。





サリカはそりゃあ美しい黒髪さ。

瞳だって、黒曜石のように艶やかな輝きを宿している。

お前みたいなのがサリカの子なものか。





それでも、サリカがいるのだからと、ヨフテは必死で嫌悪感に耐え、赤子の面倒を見るのだった。










そんな生活が続いて数年、赤子は幼児へと成長を遂げた。










そして、サリカの命は、今にも消えようとしていた。










サリカは神殿の一室に移され、この時ばかりは、今まで無関心を決め込んでいた村人たちもサリカの元へと集まった。

みなサリカの寝床を囲んでいたが、ある一角だけは、切り取られたように空間が開いていた。





穢れた忌み子が、そこに立ち尽くしていた。





自分が、望まれて生まれてはいないということを幼いながらに悟っていた少女は、生みの親の最期に何をすればよいのかわからずに、少し離れた位置からおどおどと声を掛けた。





「お母さん…」





その言葉に、村人がいっせいに憎悪の視線を向ける。

びくりと身体を震わせた少女は、周りを見渡す勇気もなく、そのまま下を向いた。





次の瞬間、叫び声が辺りに響いた。





「あんな穢れた娘、私の子なわけないじゃない。狂ってるんじゃないの?みんな、みんな狂ってるわよ。この村は狂ってるわ。みんな、みーんな」





調子の外れた不快な音で笑う。

その声に力はない。





「何で私だけ、なんで、なんで、なんで、なんで」





あの娘をここに置いておいてもサリカを刺激するだけだ。

ヨフテが少女を追い出そうとすると、サリカがまた声を発した。





「連れてきて。あの化け物を。ここへ連れてきてよ」





早くしてよ、とぐったりとした腕を振り回す。

ヨフテは迷ったが、少女に向かってあごでこちらに来るように促した。

少女はサリカの側にしゃがみこむ。

彼女の顔に、サリカは唾を吐きかけた。

「あんたのせいで人生めちゃくちゃよ。
あたし、死ぬのよ。
あんたのせいで。
無念だわ。
だからいい?あんたは死ぬなんて許さないわよ。
あんたは生きて、生きて、生きて、一生分、この世の絶望を味わうの。
村人どもを不幸にして、自分も不幸になって、せいぜいもがき苦しむがいいわ。
あたしが見ててあげる。それがあたしの幸せだわ」

小さく笑い声を上げて、サリカは瞳を閉じた。





ああ、逝ってしまった。




ヨフテは静かに思った。










しかし、その瞳はもう一度開かれた。

きれいな目をしていた。
光を受けて、漆黒の瞳はキラキラと反射している。

瞳の中が、ゆらりと揺れると、目尻に涙が溜まり、スッと線を残して落ちた。





サリカだ。





最期の最期に、サリカは帰ってきたのだ。

優しかったサリカ。

繊細で美しかったサリカ。





サリカは側にしゃがんでいる少女の手に触れた。



そして、微かに喉を震わせた後、今度こそ永遠に、目を閉じたのであった。








「ごめんね…」

























誰一人、声を上げようとも、この場を去ろうともしなかった。

何かとても大切な、己の身体の一部とも言えるべきものを失ったような気がして、人々は、大きな喪失感にただ呆然としていた。

恐ろしく根本的な部分で、自分たちは間違っていたのではないだろうか。

胸を冷え切った鉛が埋める。










最初に動いたのは、ヨフテであった。

「私の役目は終わった。後はあんたたちの好きなようにおしよ。その娘を生かすことを決めたのは私ではないんだからね」

静かに呟くと、ヨフテは神殿を後にしたのだった。






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