10.マガナミ -母-
(8/10)
そんなある日のことだ。
その日は暖かく、天気もよかった。
サリカの部屋にも窓から柔らかな光が差し込んでおり、どこか牧歌的な雰囲気が漂っていた。
サリカ自身も今日は大人しい。
身体を起こして窓の外を眺めている。
「サリカ。今日は調子がいいみたいだねぇ」
ヨフテがそっと声を掛ける。
するとその声に反応して、サリカがこちらを向いた。
誰かの呼びかけに反応するのは珍しいことだ。
ヨフテは手を休めてサリカの元に歩み寄った。
「ヨフテ…」
サリカの自分を呼ぶ声に、ヨフテはハッとした。
自分の姿を映すサリカの瞳には、理性の光が宿っているように見えた。
「サリカ、あんた、私がわかるのかい」
思わず肩をつかんだヨフテの目の前で、サリカの表情が悲痛に歪んだ。
ヨフテを抱き寄せ、大声で泣き始める。
「ヨフテ、ヨフテ。私どうしてしまったの?どうなってしまうの?怖い、怖いわ。今の私は私じゃないの。わかって、ヨフテ。ああ、お腹の子、殺されてしまうの?私のせいだわ。私は人殺しになるのよ」
悲鳴混じりに叫んで、わんわんと泣く。
やがて泣き声は金切り声になり、言葉は記号の羅列へと変わった。
暴れだしたサリカに、ヨフテは突き飛ばされる。
騒ぎに気づいた女たちが慌ててサリカを止めに入った。
「ヨフテ、私、好きな人ができたみたいなの」
照れくさそうに小声で話すサリカを思い出す。
ああ。
この子の心は壊れてしまったんだ。
ヨフテは、やるせない思いでサリカを見つめた。
一時的にでも理性を取り戻したサリカが、回復に向かっているとは、なぜか思えなかった。
これが彼女の最後の抗いだったのではないか。
ヨフテには、そんな気がしてならなかった。
生まれた子は女児であった。
取り上げたのは、ヨフテだ。
お産の立会人を決める際には、紆余曲折があった。
一番熱心に彼女の世話をしていたのはヨフテであったが、彼女は以前の会合での発言から、立ち合わせるのは危険だとの意見が出た。
当然といえば当然の話だ。
しかし、では代わりの者をと当たってみたはものの、異端の穢れた子どもを取り上げたいと思う者など、いようはずもない。
結局、ヨフテと、ヨフテの選んだ二名ほどの女性が、子を取り出すこととなったのだった。
暴れ苦しむサリカを柱に縛りつけ、さらに二人がかりで押え付けての壮絶な作業となった。
そうして子がこの世に生まれ出たとき、部屋から上がったのは、歓声ではなく、引きつった悲鳴とどよめきだった。
出産を手伝っていた二人は子に触れるのを嫌がり、抱えたヨフテも、自分の手が黒い穢れに包まれていくような感覚に顔をしかめた。
ついにこの世に出てきてしまった。
存在してはならない忌み子。
悪魔の子が。
ヨフテは、その赤子を地面に叩きつけてしまいたい衝動に駆られた。
彼女を思い止まらせたのは、村の方針ではない。
一度だけ正気を取り戻したサリカの言葉だった。
「お腹の子、殺されてしまうの?私のせいだわ。私は人殺しになるのよ」
サリカを人殺しにするわけにはいかない。
ヨフテは決してそうは思わないが、サリカがそう感じるのならば。
彼女の気持ちを汲んでやりたかった。
誰にも望まれぬまま、こうしてサリカの子は生まれたのであった。
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