生きている意味

10.マガナミ -母-


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「おやめ」



刺すような鋭い声が響いた。

ヨフテだ。

立ち上がった彼女は、村人を静かな目で眺めた。

「井染一族は決して仲間を見捨てない。これも掟だ。そうだろう」

落ち着いたその声は、室内によく通った。

しかし、と村人の一人が異議を唱える。

「サリカは、我々の掟を破っているんだぞ」

「掟は、私たち井染のためにある。ならば、優先しなければならない掟はどちらか。わかるだろう」

「そんなことを言って、もしもカルヴァ様がお怒りになったらどうするつもりなんだ。お前には何かいい案でもあるのか?」

別の者が声を荒げる。

そうだ、そうだと周囲が同調する。

ヨフテはそっと目を瞑った。

しばらくしてその目を開くと、ゆっくりと族長の方へ身体を向けた。

真剣な眼差しを送るヨフテに、人々は息を呑む。

彼女は今、何かとても重要なことを口にしようとしている。

村人たちは、衣擦れの音すら立てず、ヨフテの言葉を待った。










「生まれてきた赤子を殺すのだ」










低く硬質な声は、人々の喉元をざらりと撫で、その場の空気を不吉に揺らした。










あまりのことに、族長は目を見開く。





「あの赤子はあってはならない存在。始めからなかったことと思えばよい」





重量のあるヨフテの視線に気圧され、誰一人口を開かない。










こいつらはみんな臆病もんだよ。

ただ、普通じゃないことをするのが嫌なだけなんだ。

こんなやつらのふざけた意見のせいで、サリカが追い出されてやることはない。

そう、問題の中心はあの赤子なのだ。

元凶さえ、あの赤子さえいなければ、サリカはまた、今までどおりの生活を送れるようになる。

今はああでも、時間をかければまた元の優しいあの子に戻るさ。

ヨフテは小さく拳を握った。










この空間だけ、時が止まってしまったのだろうか。

気の遠くなるほど長い間、沈黙が辺りを支配し、物音ひとつ立たなかった。










永遠とも思える空白の後、最初に口を開いたのは、柔和な顔つきの老人だった。

「しかし、その赤子はサリカから生まれる。そうなればその子は、村の子ではないのか」

老人の発言を皮切りに、人々はおどおどと顔を見合わせ、小声で囁き合う。

「殺すというのは、やりすぎなんじゃないかしら」

「そ、そうだ。食料以外の殺生は禁じられているはずだ」

「そうだな、何もそこまで…」





先ほどまで、サリカを村から追放しようとしていた勢いはどこへ行ったのか。

村人たちの声は弱々しく、どことなく誰かの機嫌を伺うような声色をしている。

自分ではない。

おそらくカルヴァ神の機嫌でも取っているのだろう。

直接手を下さなければ、カルヴァ神はお許しになると思っているらしい。

それとも、今の状態のサリカを村から追放することと、赤子を殺すことに同等の意味があるということに気づかないとでもいうのか。





ヨフテが再び口を開こうとした時、それを制するように族長が立ち上がった。





「みなの話はよくわかった。サリカは追放せん。赤子も殺さぬ。どちらも我らが同胞だからな」





人々はホッと表情を緩めた。

族長の決めたことならば、顔がそう言っている。

「族長」

意見しようとしたヨフテに、族長はゆるゆると首を振った。

「ヨフテ。無駄な殺生をするわけにはいかない。サリカも村に留め置く。それでよいではないか」





――それでは





「さあ、みなのもの、話は終わった。解散だよ」

穏やかな声に促され、人々は集会所を出てゆく。

やがて族長も静かに部屋を後にし、ヨフテ一人だけが取り残された。





――それでは、駄目なのだ。





赤子は、生まれて終いではない。

生きて成長する。

そして大きくなれば、村の中を歩くようになるのだ。

異民族の血を持つ、穢れた子が。

保守的な村人がそんな異物を許容できるはずがない。

むろん、それはヨフテとて同じことだ。

そうなれば、子どもだけでなく、サリカも共に迫害されるのは火を見るより明らかなのである。





なぜ、わからない。

ヨフテは唇を噛んで、冷たい壁を睨んだ。




















あの会合から数ヶ月がたち、サリカの腹はいよいよ大きくなった。

世話をする数少ない女たちも、その様子には閉口し、目を逸らす。

どのように受け止めればよいのか、誰もわからずにいた。






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