30.風になる
(5/10)
身体を前に乗り出した。
指の隙間から洩れる暖かな光が、目の前いっぱいに広がる。
心が更に前へ乗り出した。
身体をベンチに残して、空に向かって踏み出す。
空が近づいた。
もう一歩、更に一歩足を掻く。
やがて風の流れに乗った。
眼下を景色が流れ、月と太陽が交互に巡る。
周囲が暗くなり、再び明るくなって、それがいく度となく繰り返された。
木々が芽吹き、花を咲かせ、それを散らしてまた芽をつける。
人々が笑い合い、やがて眠り、また動き出す。
サラはそれを幸福な気持ちで見送った。
今やサラは風になっていた。
鳥の羽ばたきを助け、花の種を運び、雲を揺らしながら大気を舞う。
命の息吹を全身に感じていた。
魂の囁きがそこかしこで聞こえた。
幾千の命を支える大地の慈愛の響き。
大地を揺りかごに眠る、まだ生を見ぬ種々の期待に満ちた歌。
生を終えるものたちが後に残すものたちに捧げる切なる祈り。
世界はこんなにも声に満ちていて、こんなにも美しい。
――このまま――
唐突に声が聞こえてきた。
――遠く…遠く――
よく聞き慣れた、最も身近な声。
――誰の目にも届かないところへ――
ああ…あれは、悲しみの海の底を漂っていた私だ。
――命の生まれるところへ――
あの時の私は、このまま命を終えることを望んでいた。
村人に追い立てられて引き込まれるように落ちた奈落の底。
これが運命かと、絶望の中で思っていた。
――ダメよ。まだ早い。こっちへ来て。
サラは手を伸ばす。
けれど少女はなかなか上がって来ない。
――望んで――!
サラは呼び掛ける。
それに答えるように彼女が囁く。
――望みを
サラは続ける。
――安らぎを
――安らぎを
サラと彼女の声が重なる。
そう、望んで!
未来を…!
――居場所を
――居場所を
彼女が手を伸ばす。
サラは迷わずその手を掴んだ。
そのまま引き上げて、力強い風の流れに彼女を乗せる。
――大丈夫。木ノ葉に行って。あなたが本当に求めているものが、きっとそこにあるから――
風の軌道に乗ったのを確認して、サラはほうと息をはく。
ありがとう。
彼女に逢わせてくれて。
麗しきこの世界――
世界は、私に夢を与えてくれた。
そして、今、私が一番に求めるものを見せてくれる。
サラは彼を眼下に捉えた。
深い深い部分から喜びがこみ上げてくる。
目の前が光り輝いた。
彼はサラの知るままに、少し背中を丸めて歩いている。
その後ろ姿がたまらなく懐かしい。
彼だ。
間違いようもない。
私をここまで導いてくれた優しい彼。
心が震える。
そっと彼の名を呼んだ。
── シ カ マ ル ──
サァッと周囲の草花がなびく。
彼ははたと足を止めて視界を巡らした。
そして何かに気付いたように上を仰ぐ。
サラは彼の視線を捉えた。
──ああ、シカマルだ。あのまっすぐで、何もかも見透かすような瞳──
もう一度、会えた。
──シカマル──
――ありがとう──
彼はじっとこちらを見つめている。
──行ってくるね──
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