18.こころの泉
(7/9)
「お、帰ったか」
夕方、奈良家に戻ると、シカマルが玄関に顔を出した。
マガナミは踏み出しかけた一歩を足元に引き寄せる。
数時間前のいのの言葉が頭を過った。
――ね、マガナミ、あんたどこから来たの?故郷はどこ?
それを一番聞きたいのは、多分、彼だ。
でも、彼は聞かない。
何故?
彼は何を考えているのだろう?
わからない。
けれど、マガナミはその理由を今まで一度も聞かなかった。
聞かれないのならわざわざ言う必要はない。
目を瞑って、現状に甘えていた。
口をきつく結ぶ。
いつまでも、このままというわけにもいかないだろう。
マガナミは顔を上げた。
するとこちらを見つめるシカマルと目が合う。
「戻ったばっかでわりーけど、ちと付き合ってくれ」
マガナミは喉元まで出た言葉を飲み込んだ。
両手を頭の後ろで組んで、シカマルはのんびりと歩いて行く。
その背中には、マガナミを責めるような気配は全く感じられない。
奈良家に迎え入れられた時から、ずっとそうだった。
彼の背中は穏やかで、積極的な好意は感じられないけれど、非難の色もない。
そのちょっと曲がった背中は、いつでもまっすぐ中立だった。
最近は少しだけ、そこに親しみの色が混じっているような気がする、そんな思い上がった推察さえしていた。
マガナミはこの頃、自分がどんどんわがままになっていくのを感じていた。
気付くと、相手の行いを気遣いと捉えている自分、相手の笑顔を期待する自分がいる。
今まであんなに虐げられてきたというのに、よくもこんなふうに考えられるものだと自分でも不思議に思う。
危険信号は発せられていた。
気を許すな、忘れたのか。
希望が膨らめば膨らむほど、それが破裂した時の衝撃は大きいのだと。
しかしその警告は、まるで隣町から漏れ聞こえる町内放送のようにどこか他人事で、遠くから漏れ聞こえてくる残響のように儚かった。
それに引き換え、彼らの声は力強かった。
それは神の啓示のように特別な力で、マガナミを安らぎの泉へといざなった。
その泉は、一度見つけてしまえばもはやなかった時のことなど思い出せない、その泉なしで生きていくことなど考えられない類のものだったのである。
だからこそ、言えない。
だからこそ、言わなければならない。
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