その手をつかんで

25.拒絶しないで


息が上がる。

が、この息苦しい感じが心地よかったりもする。

ライナーが相手だから、気兼ねをする必要もなく、僕は思う存分体を動かした。

「ベルトルト」

アニの声がしたので振り返ると、目でちょっと来いと言っているのがわかる。

ライナーを見ると、意味ありげな笑みを浮かべて「俺はマルコのところへ行ってくる」 と行ってしまった。

僕はポツンとその場に残される。

本当に違うんだ、ライナー。

僕は――

「ベルトルト」

少し苛立ちの混じった声で再度呼ばれる。

僕は断る方法も思いつけず、それだけの強い意志もなく、アニとルーラの元へ向かう。

ルーラが視線を泳がせたのがわかった。

「蹴り教えてやって」

「え…でも…それはアニの方がいいんじゃ…」

「あんたの蹴りが綺麗だったんだって」

僕とルーラの焦り声が重なった。

「ちょ、ちょっとアニ…私そんなこと…あ、ううん、でも…」

ルーラは口をもごもごさせる。

「ホントに綺麗だった。背が高いと蹴りが映えるね」

彼女は笑った。

僕は頭が真っ白になった。

身体の隅々まで電流が駆け抜けていく。

顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもわかった。

「う…あ…」

僕は慌てて顔を手で覆って、体を背けた。

鼓動が跳ねる。

外に飛び出してきそうだ。

が、やがてそこに鈍い痛みが混じった。

――自戒しろよ、何考えてるんだ。

わかってる。

わかってるさ。

浮足立った感情は少しずつ退いていく。

後にはズキズキとした痛みだけが残った。

「ありがとう。じゃあ、構えからやってみようか」

「う、うん!」

少し照れた彼女の顔から、そっと目を逸らした。



彼女は筋がいいようだった。

慣れない動作のため動きは硬いものの、重心の移動、筋肉の使い方にはセンスがある。

彼女はこの短い間にずいぶん多くのものを吸収していた。

そして、そんな彼女の顔はすごく楽しそうだ。

もしかして、彼女はこのままここに入部することになるのだろうか。

そうなったら、僕はどうすればいいんだ。



「どう?」

彼女の声で我に返る。

「うん、すごく上手だよ」

「ホント!?でも、やっぱり二人みたいにはいかないや。当たり前だけどさ。勢いもないし、打点も低いし。もっと重心を軸足に乗せるのかな?」

よーし、と気合を入れて彼女は力んだ。

「えいっ!」

ももを思い切り振り上げ、体を回転させる。踵が今までよりも高い位置を通った。

が、そのせいで重心が崩れ、軸足がブレた。

それでも振り上げた足の勢いは止まらず、彼女の頭が大きく後ろに傾く。

軸足が浮いた。

「げっ!」

「わっ!」

僕は咄嗟に体を投げ出した。

彼女を受け止めて畳に倒れ込む。

随分大げさな音と共に、背中に衝撃を感じた。

恐る恐る自分の体に信号を送り、無事を確かめる。

僕の方はなんともないみたいだった。

ルーラは大丈夫だろうか。

そこでふと気付く。

思いがけず抱き込む形になった彼女は、懐かしい匂いがした。

覚えている。

いつも僕の心を落ち着けてくれた、優しい匂いだ。

鼻の奥がツンと傷んだ。

こんなところで、僕は涙ぐみそうになる。

やっぱり、彼女なんだな。



僕が、好きだった――



「うー…」

彼女が僕の腕の中で呻いて、体をこちらへ向けた。

僕と彼女は至近距離で向かい合い、目を合わせる。

彼女の頬がみるみる朱に染まっていった。

痛みか感情の高ぶりか、瞳も潤んでいく。

僕もつられて赤くなった。

やめてくれ。

こんな距離で、そんな顔。

「…だ、大丈夫?」

苦し紛れに問う。

彼女は、自分の感情に驚いて目を逸らせないみたいだった。

が、その表情が突然強張った。

何かに気付いたみたいにサッと青ざめていく。

膨らんだ風船の栓を離したように、高揚した気持ちが抜け落ちていくのがわかった。

僕の感情も急速に現実を取り戻す。

今、彼女の瞳に映っているのは、恐怖と拒絶だった。

この目だ。

僕はこの目を見るのが怖くて堪らなかった。

ああ、やっぱり近づくべきじゃなかったんだ。

彼女は素早く顔を逸らした。

「ご、ご、ご、ごめん!私、またぶつかって…!怪我はない!?動ける?あっ、私が乗ってたら動けないか」

そそくさと僕から距離を取る。

温もりを失った僕の体は、心とともに冷えていった。

「僕は大丈夫だよ。クローゼさんは?」

「全然平気!やっぱり素人が調子に乗るもんじゃないね」

誤魔化すように笑う。

僕も、血を流す心を引きずりながら笑みを浮かべた。

「筋はすごくいいよ。きっとすぐ上手くなる」

「ほ、本当に?」

「うん。本当に」

沈黙が下りる。

成行きを見守っていたらしいアニがため息をついた。

「ベルトルト、あんた、かかと擦り剥いてる」

「え?あ、ホントだ」

「あ…ご、ごめんね…」

「平気だよ、このくらいよくあるから」

「来な。救急箱向こうにあったから」

「え?いや、大丈夫だよ」

「いいから。ルーラ、マルコたちのところに混じってて」

「うん」

さっさと歩き出してしまったアニを僕は慌てて追った。



アニは黙ったまま僕のかかとに消毒液を吹き付ける。

その乱暴な手当てに、僕は顔を引きつらせた。

「臆病風吹かせて離れると後悔するよ」

アニがポツリと呟いた。

僕はビクッとアニを見る。

「え、な…どういう意味…」

「言葉どおりの意味」

アニは素っ気ない。

「根性見せな。あんた、やるときはやるでしょ」

が、応援してくれているのはわかった。

そんなアニの気持ちは嬉しかった。

けれど、と僕は心の中で俯く。

離れていくのは僕じゃない。

彼女の方だ。

彼女は『僕』に気付いている。

それが彼女自身に警告を発しているのだ。



――拒絶しないでくれ。



近づくべきじゃない。

大丈夫、ちゃんとわかってるんだ。

ちゃんと心得てる。

わきまえているから。

「それとも、このままマルコとルーラが手を取り合うのを黙って見てるの」

僕は勢い良く顔を上げた。

アニは小さく笑む。

「嫌だって顔だね」

でも、今、彼女が幸せそうにしているのは、マルコが傍にいるからだ。

自然と頭が下がっていく。

「…僕は、彼女が笑っているところが見たいんだ」

「だから?」

「マルコの傍にいて、彼女が幸せなら…」

アニはため息をつく。

「自分が幸せにしてやるって、なんで言えないかね」

僕は項垂れた。

あんな彼女の瞳を見て、どうしてそんなことが言えるんだ。

「あんたとあの子はもう出逢ったんだ。諦めな」

僕はアニの言葉を噛み締めるように目を閉じる。

そうなんだ。

僕は、彼女と出逢ってしまった。

記憶の中だけの存在だった彼女と。

もう知ってしまったんだ。

彼女の声も、温もりも。

それだけはもう、変えられない。

僕の中にはもう、光が宿ってしまった。

ああルーラ、どうかお願いだ。

少しだけ…少しだけでいい。

僕に望みを持たせてくれないか。

きみを動揺させないように気をつける。

必要以上に踏み込まないように注意するから。

だから、そっと片隅にいることだけでいい、許してほしいんだ。



――僕を――拒絶しないでくれ。



その数日後、ライナーから聞いた。

彼女が弓道部を選んだことを。





(20140301)


- 25/65 -

[bookmark]


back

[ back to top ]

- ナノ -