その手をつかんで

19.過去の罪


ルーラがマルコとジャンの元へ戻っていくと、ライナーはほくそ笑んで僕の肩を叩いた。

「よかったな。あいつ、かなり喜んでたぞ」

僕は強引な彼に控え目に抗議する。

「渡してくれるだけでよかったんだ」

「それじゃお前の存在をアピールできないだろ」

「する必要なんかないじゃないか」

「何でだ?」

「何でって…」

ライナーはニッと笑う。

「お前、あいつに惚れただろ。一目惚れか?」

一瞬にして思考が停止した。

しばらくして、急速に顔に熱が集まっていく。

「なっ、なっ、何を…!」

「照れるな照れるな。目を見ればわかるさ」

僕は息を飲む。

さっぱりと笑うライナーは、僕には少し眩しかった。

真っ白な彼。

何も覚えていない彼。

僕は、そんな目をしていたのだろうか。

僕はポツリと呟く。

「好きに…なったんじゃない。好きだったんだ」



でも今は、後悔しかない。



彼女を幸せにできなかったこと。

幸せにできないことがわかったていたのに、彼女を求めたこと。

彼女を死なせてしまったこと。



胸がじくじくと痛んだ。



彼女は、よりによって僕を守って死んだ。

僕なんかを守って。

僕と関わったばかりに、彼女は苦しんで、思うとおりに生きられないまま、世を去った。

それを思うと、頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。



クラス表に彼女の名前を見つけた時、僕は恐怖を覚えたんだ。

彼女が僕との再会を望んでいるとは、とても思えなかったから。



あの時、壁上で目が合った時の、絶望に満ちた彼女の瞳が鮮明に蘇る。

残酷な選択を彼女に迫った、僕の身勝手な感情が胸を突き刺す。



僕の存在を知ったら、彼女はまた苦しむ。

僕という存在が、また彼女の害になるんだ。



僕は動揺した。



だから、マルコから彼女に記憶がないことを聞いた時、心底ホッとしたんだ。

後ろめたい安堵だが、それでも、記憶を持った彼女と相対するよりは全然よかった。

僕の罪を彼女は知らない。

それはなによりの救いだった。



ああ、僕は怖いんだ。



彼女が僕と関わることで、また不幸になってしまうことが怖い。

いや、僕を目にした彼女の瞳が苦痛に歪むのが怖い。

彼女が僕を拒絶するのを目の当たりにするのが、怖い。



怖いんだ。



皆は、過去は関係ないと言ってくれたけれど、本当にそれが許されるのだろうか。

皆は、心からそう思って、あの言葉を言ってくれたのだろうか。

いや、そんなはずはない。

そんな簡単なものではないはずだ。

皆の優しさが、強さが、あの言葉を言わせただけだ。

そう在りたいと彼らが思っているだけで、僕を責める気持ちがないわけじゃない。



過去は関係ないというのなら、そもそもどうして僕らにはこの記憶があるんだ。

そうだ。

過去の記憶を持っているこの事実こそが、過去が許されていない証明なのではないだろうか。



だとしたら、この罪は、どうしたら消えるんだ。



「ん?なんか言ったか?」

眉根を寄せるライナーに、僕は笑みを浮かべる。

「ううん、何も言ってないよ」

「だが、相手は手強いぞ。なにせ、護衛兵が傍で守ってるからな」

「護衛兵?」

「マルコだよ。クローゼもあいつにべったりだしな。今のところ、分は向こうにある」

僕はマルコとジャンと楽しそうに会話するルーラに目を移す。

二人は幼なじみだと言っていた。

彼は、ずっと彼女の傍にいたのだ。

彼女を傷つけることなく。

彼女を守りながら。

彼女の表情は穏やかで、非常にリラックスしている。

彼らに、いや、マルコに全幅の信頼を置いているのが傍目にもわかった。



彼女は今、守られている。



――私には選べない。どちらも裏切らないですむなら、それが一番いい。



彼女の苦しげな笑みがフラッシュバックする。



――ルーラ…許してくれ…

――いいよ。わかってた。



僕は、彼女に何をしたんだ。



何を…!



――それじゃ、死なない。わかるでしょ。



胸を押えた。



――早くして。苦しいよ。



早鐘のように心臓が鳴る。



――何でそんな意地悪なこと言うの。そんなの…わかるわけない…!



僕は彼女から、奪うばかりだった。

何も、与えてあげられなかった。



彼女の軽やかな笑い声が耳に届く。



彼女は今、幸せだ。



「なら、僕には出る幕がないよ」

こうして出会ってしまった以上、僕が彼女にできることは、出来る限り彼女と関わらないようにすることだけだ。

いや、「彼女にできる」など、おこがましい。

僕はただ、彼女が、僕と関わることで記憶を取り戻してしまうことが怖いだけだ。

保身のための引け腰の選択を彼女のためとすり替えて誤魔化している。

僕はどこまで卑怯なんだ。

ライナーは僕の背中を強く叩いた。

「そう落ち込むな!」

僕は驚いて悲鳴を上げる。

「い、痛いじゃないか!」

「一つ朗報がある」

得意顔のライナーに僕は首を傾げる。

「今日の放課後、委員会の集まりがあるだろ。クローゼは図書委員だ」

僕は思わず目を見開いて、ライナーに目を合わせた。

ライナーはしたり顔で頷く。

「上手くやれよ、ベルトルト」

僕は今一度ルーラを見遣る。

僕は彼女と関わるべきじゃないんだ。

本当に、真剣にそう思っている。

なのにどうしてか胸が高鳴るんだ。

これは期待や興奮ではない。

警鐘なのだと、必死に心に言い聞かせた。





(20140129)


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