その手をつかんで

18.一本のシャープペンシルを巡って


数学の授業中、ルーラがにわかに何かを探し出した。

筆箱を必死に漁っているから、おおかた筆記用具がないのだろう。

生物の授業の前に、人とぶつかって持ち物をばらまいたと言っていたから、その時落としたのかもしれない。

とにかく、今は授業中だから、もう少し静かにしていた方がいいと思う。

マルコは苦笑交じりにルーラの背中を眺めていた。

と、先生の視線がルーラを捉えた。

あーあ、とマルコは視線を逸らす。

自分が睨まれたと思ったのか、ジャンの肩がびくりと震えた。

「おい、前から三列目のお前」

ルーラの肩が跳ねた。

「何してる」

「すっ、すっ、すみません!筆記用具が見当たらなくて…。あの…」

「借りろ。授業中だ。静かにしろ」

「はいっ!すみません!」

ルーラはすっかり縮こまってしまった。

横からライナーが声を掛ける。

「おい、何がないんだ?」

「シャ、シャーペン…」

「ほれ」

「う、あ、ご、ごめん。ありがと」

けれど変だな、とマルコは思う。

ルーラはシャープペンシルを何本か持っていたはずだ。

チャイムと同時に一目散に教室を出ていくルーラを目で追っていると、ジャンが振り向いて肩を竦めた。



その後、戻ってきたルーラがずいぶん落ち込んでいたようだったので、マルコは昼休みに事情を聴いてみた。

するとルーラは、あからさまに動揺して顔を背けた。

「もう平気なの。ブラウンくん、シャーペンありがとう。返すね」

「あったのか?」

「…うん」

その場にいた誰もが嘘だと思ったが、あえて突っ込む者はいなかった。





ジャンが事情を知ったのは食後、しばらくしてからだった。

マルコが傍を離れた時を狙って、ルーラがジャンに縋りついてきたのだ。

「ジャン、どうしよう!?マルコにもらったシャーペンがない!」

「ああん?」

と返事をしたものの、ジャンはその一言で納得した。

ルーラが言っているのは、一昨年のルーラの誕生日にマルコがプレゼントしたシャープペンシルのことだろう。

「男の人とぶつかった時だと思うんだけど、何回探しても見つからないの!」

なるほど、先ほどの反応は、マルコにこの事実を知られたくなかったわけだ。

とはいえ、どうしようと言われたところで、知ったことではないというのがジャンの本音である。

落としたところを見たわけでもなし、一番見つけたいと思っている本人が必死に探して見つからないのだ、自分が何をできるわけでもない。

が、マルコのルーラへの想いを知っているだけになんとなく邪険にもできないし、ルーラ自身に対しても情が湧いていないわけじゃない。

めんどくせぇなぁ、と胸中零しながら、ジャンはため息をついた。

「後で一緒に探してやるから、とりあえず落ち着け」

途端にルーラの目が輝いた。

「ジャン…!」

こういう反応をされると、悪い気はしないのが、ジャンという人間である。

「まあ、なんだ、見つかるかはわかんねーぞ」

「ううん。見つかる気がする!ありがとう!ジャンって時々いい人だよね!」

ジャンのまんざらでもなさそうだった顔は、見る見るうちに歪んでいった。

「時々って何だよ、時々って」

「何が時々なんだ?」

マルコが戻ってきたのに気付いて、ルーラが必要以上に慌てる。

「別に!何でもない!」

「実はな」

「ジャン!」

「オレは時々しかいい人じゃねぇからな」

ルーラが言葉を詰まらせる。

「ジャンって、『いつも』いい人だよね」

「そうだな。少なくとも、これからしばらくはな」

満足そうなジャンと仏頂面のルーラに、マルコは微笑ましげな視線を投げた。





が、結局、二人はそれを探しに行く必要はなくなった。

「おい、クローゼ!」

ライナーがルーラを呼ぶ声がして、三人は同時にその方を振り返った。

教室の出入口から手招きをしている。

すぐ側に、必死にライナーを止めるベルトルトの姿があった。

ルーラが彼を捉えた瞬間に見開いた瞳の中に、歓喜の光が宿ったのをマルコは見た。

それは瞬きした瞬間に消えてなくなってしまったが、マルコにはそれが彼女の無意識だと、はっきりわかった。

次に瞳を揺らしたのは、戸惑いと拒絶だった。

が、それも無意識なのか、すぐに消えてしまう。

ルーラは、何かに思い当った様子で、あっと声を漏らした。

小走りで彼らの元に近寄っていく。

「ブラウンくん、この人…」

ライナーは白い歯を見せる。

「お前が待ち望んでたもんが来たぞ」

「えっ!?」

ルーラは飛び上がった。

「ラ、ライナー!」

ベルトルトもあられもなく取り乱している。

「それじゃ何を言ってるのかわからないじゃないか!」

ライナーは声を上げて笑った。

「お前が遅れてきたのはベルトルトが原因だったんだな」

ルーラは、やっぱりという顔をして、おずおずとベルトルトを見上げる。

「あの、あの時はごめんなさい。あなたも授業、遅れちゃったでしょ」

「あ、うん、まあ…」

「ごめんね、ホントに。怒られた?」

「へ、平気だよ」

「えっと、もしかしてって思ってたんだけど、やっぱりあなたがフーバーくんだったんだね」

「あ、うん…」

「私はルーラ・クローゼ。よろしくね、フーバーくん」

「うん…」

二人は黙りこんでしまった。

ライナーは勢いよく吹き出す。

「お前ら、見合いでもしてんのか?」

「えっ!?」

「なっ!?」

ベルトルトは盛大に慌て出した。

「な、な、何言ってるんだライナー!彼女に失礼だろ!」

ライナーはニヤニヤしたままルーラを見る。

「失礼か?」

「失礼っていうか…また突拍子もないことを…」

ルーラは呆れ顔でため息をつく。

「ブラウンくんっていつもこうなの?」

「ああ…良くも悪くも、ライナーはいつもこんな調子だよ」

ベルトルトは苦笑する。

「ほら、ベルトルト、クローゼに渡すもんがあってきたんだろ」

悪びれる様子もなく、ライナーはベルトルトを小突いた。

「あ、そうだった。これ、きみのかと思って」

ベルトルトが差し出したのは、シルバーの細身のペンだった。

それを目にした途端、ルーラの表情が、花開くように綻ぶ。

「これ…!」

朝露を弾く光のようにキラキラと輝いた。

「きみが走ってった後に落ちてるのに気付いたんだ。だから」

「私の!!」

ルーラは大きく頷いた。

「探してたの!でも見つからなくて…よかった!!」

ルーラはベルトルトからペンを受け取って、大事そうにその存在を確かめる。

「ありがとう!ホントに!」

ベルトルトの手を握って感情任せに振り回した。

「う、わっ…!」

その様子を見て更にライナーの笑みが含みを増す。

「でも、よくわかったね。私がこのクラスだって」

「え!?」

ベルトルトはギョッとして顔を仰け反らせた。

「ああ…ええと…そう!理科室に向かうのが見えたんだ。ライナーが、次は理科室だって言ってたの聞いてたから…」

「そうだったんだ。助かったぁ。これ、すごく大事なものなの。本当にどうもありがとう!」

チラリとマルコを振り返って、ルーラは愛おしそうに目を細める。

そんな彼女を見て、ベルトルトは、慈しみとも悲しみとも取れる表情を浮かべた。





(20140121)


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