その手をつかんで

40.でもわかりにくい


倉庫には、ルーラの嗚咽が響いていた。

僕は心底ホッとしてルーラの頭を撫でる。



ルーラの両親から彼女が帰らないと連絡があった時は、身の凍るような思いをした。

慌ててミカサに確認すると、今日は一人で残ったというではないか。

僕はさすがに焦った。

ジャンに助けを求めると、すぐに合流すると硬い声で返答があった。

そして、僕たちが合流して学校に向かう途中で、ライナーから連絡が入る。

ベルトルトが帰らない、と。

ミカサが今日は片づけ当番だったというので、倉庫の鍵を管理しているスミス先生も呼んだ。

ライナーとスミス先生と学校で落ち合い、こうして駆けつけたのが、ついさっきのことだ。



「ルーラがもう少し落ち着くのを待つか」

ライナーが僕を窺った。

それがいいだろうと僕は頷きかける。

が、それを止めるかのように、ルーラが僕の服を強く握った。

僕はそっと彼女に目を落とす。

彼女の震えが伝わってきた。

そうか。

彼がいるから落ち着かないんだな。

ルーラがここまで取り乱す原因は、彼以外にない。

ルーラの心をここまで揺さぶるのは――彼以外いないだろう。

だからこそ、今は少々刺激が強すぎるのだ。

僕は顔を上げた。

「僕とジャンは、ルーラが落ち着くのを待つよ。二人は方向も違うし、先に帰ってて」

ライナーは単純に気が引けたようで、言葉を濁す。

「い、いや、しかし…」

そんな彼を促すように、ベルトルトが頷いた。

「わかった。ライナー、後は二人に任せよう。二人とも、今日はありがとう。クローゼさんを…」

その先を続けるのをおこがましいと思ったのだろうか、彼は口ごもる。

僕は心得ていると頷いた。

二人が出ていっても、ルーラはしばらくしゃくりあげていた。

ジャンを見上げると、弱り切ったような、けれどホッとしたような表情で頭を掻いている。

僕と目が合ったジャンは、何があったんだよ、と肩を竦めて訴えた。

僕は首を振ることしか出来ない。



やがて、だいぶ落ち着いたのか、ルーラが掠れた声で呟いた。

「ごめん、二人とも…」

「いいよ。無事でよかった」

「倉庫に閉じ込められるなんて、間抜けもいいとこだな」

ルーラは力なく項垂れる。

「うん…ごめん」

いつもと違う反応に、ジャンはたじろいだ。

「な、何でこんなことになったんだよ」

「ペンが棚の隙間に入っちゃって、フーバーくんが取ってくれたの。でもその間に鍵を閉められちゃったみたいで」

「はあ!?そいつは中も確かめねえで閉めたのか?」

「フーバーくんが、その人が最後だっていうような会話をしたって」

「じゃああいつが悪いんじゃねえか!」

「ち、違…」

潤んだ瞳から涙が零れ落ちた。

ルーラは慌てて目を擦る。

ジャンはギョッとのけ反った。

まだ感情の波が安定していないのだろう。

少し興奮するとコントロールが利かなくなってしまうようだ。

僕はルーラの背中をさする。

「とにかく、もう遅いし、家に帰ろう。おじさんとおばさんも心配してるよ」

ルーラは小さく頷く。

ジャンは気まずそうにルーラを一瞥して、倉庫を後にした。

彼がどれだけルーラを心配していたかを知っている僕は、ちょっと不憫だな、と苦笑した。



正門に行くと、スミス先生が車を着けて待っていた。

「もう平気かな」

ルーラは消え入るような声で「すみません」と呟いてお辞儀をした。

僕とジャンも一緒に頭を下げる。

「こんな時間だ。送って行こう」

ルーラは恐縮して辞退の言葉をぼそぼそと述べたが、僕は先生に礼を言った。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「マルコ…」

「その方がおじさんとおばさんも安心するから」

先生も頷く。

「一応、君たちの親御さんには連絡を入れておいたが、声が聞きたいだろうから車の中で連絡しなさい」

「あの…フーバーくんとライナーは…?」

「彼らは男だし有段者だ、申し訳ないが自力で帰ってもらった」

「そう、ですか…」

「さあ、乗って」

先生に促され、ジャンは助手席、僕とルーラは後部座席に乗り込んだ。



「あ、お母さん?…うん、うん、平気。ごめん」

ルーラはおばさんに電話を掛けている。

僕とジャンは、これから帰ると簡潔に用件を伝え、すでに電話を切っていた。

「…うん、うん。…え?うん、わかった…」

ルーラが、スマホを僕に差し出した。

「マルコ、替わってって」

「はい、替わりました。はい、いえ、そんな。よかったです、はい。…今は落ち着いてます。…え?…あ…僕の方は、全然…。はい…いえ。はい、替わります」

僕はルーラにスマホを返す。

「もしもし?…え?」

ルーラは突然小声になった。

「平気だよ。…大丈夫だから。そんなことないって。…だからって…迷惑でしょ。昔とは違うよ!それは…これからは、もうしないって決めたの。うん…うん。じゃあ、切るね」

「行けよ」

電話が切れた途端、ジャンが言った。

ルーラの肩が小さく跳ねる。

「な…何が」

「言わなくてもわかんだろ」

ジャンは今の電話のやり取りの内容がわかっているのだ。

ルーラのおばさんが今夜ルーラを僕の家に泊めてほしいと申し出たことも、それをルーラが断ったことも。

そして、その件について口を出すということは、僕がジャンにその話を打ち明けていたことをルーラが既に知っているということだ。

薄々そうではないかと思っていたが、二人が揉めた原因が、今わかった気がした。

「平気だから」

「どこがだよ。動揺しまくりじゃねえか。過呼吸まで起こしやがって」

「も、もう大丈夫」

「いいから、行け」

「な、何でジャンがそんなこと言うの?」

あ、まずいなと僕は思った。

ルーラの声が揺れている。

ジャンもジャンでそわそわしていた。

眉根が落ち着きなく引きつっている。

おそらくジャンは、この件でルーラを諌めたのだろう。

ルーラが僕のところに行こうとしないのは自分のせいだと責任を感じているのだ。

だが、彼はそれを素直に伝えることが非常に苦手である。

普段なら、ルーラもそんな彼の性格を汲んでやれるのだが、今はちょっと難しいかもしれない。

自分を責めたジャンが、それと裏腹な発言をするものだから、ひたすら困惑しているのだろう。

「だから!お前の好きにしろって言ってんだよ!」

「す、好きにするよ」

涙が溢れ出した。

ジャンは乱暴に頭を掻きむしる。

「なんで泣くんだよ!」

「ジャン」

僕は、ここまで、と割って入ることにした。

「ルーラも、落ち着いて」

二人は至極気まずそうに顔を背ける。

「ジャン、お前の言いたいことはわかるけど、全然伝わってないだろ」

ジャン自身にもその自覚はあるのか、むっつりと黙り込んだ。

「この話は僕に任せてくれ。それでいいな?」

「…ああ」

僕は頷く。

「ルーラ、とにかく家についてから話そう」

「…うん」

僕はホッとため息をついた。

視線を上げると、ミラー越しに先生と目が合う。

先生が労うようにゆるりと笑うのが見えた。





(20140605)


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