その手をつかんで

39.砂漠の墓と記憶の泉


我に返った時には、彼の手を勢いよく振り払っていた。

急速に上りつめた感情は、弾けてどす黒い不安に変わっていた。

やっぱり。

まただ。

また、これだ。

私は自分の身体から血の気が引いているのを感じた。

フーバーくんもまた、真っ青な顔をしていた。

何故こうなるんだ。

彼といると、どうしてもこうなってしまう。

何故――

あれは…一体、誰――?

フーバーくんはおもむろに私と距離を取った。

今にも泣き出しそうな顔で声を震わせる。

「ごめん。何もしないから。ごめん。ごめん」

違う。

あなたは何もしていない。

何も悪くない。

頭の片隅でそう思ったが、心を支配する恐怖に覆い隠されて、その思いはすぐに見えなくなってしまった。



彼が、怖かった。



私は、自分の中に広大な砂漠の存在を感じていた。

見渡す限り続く、果てのない砂漠。

その砂漠は地中深くに膨大な量の水を抱え込んでいる。

それはまさに真実の泉と言うべき、残酷で冷たい水だ。

砂漠はその泉を隠し、静かに眠らせておくためにつくられた墓であった。

彼の傍にいると、その泉が息を吹き返し、地上に沁み出てこようとするのだ。

私は、その水が一度外に漏れ出せば、容易に私を濁流に攫い、砂漠ごと全てを飲み込むことができると知っている。

その水を見たことは一度もないが、何故だか知っている。

生まれた瞬間に息をしなければならないことを知っていたように。

だから必死になって、水が上がってこないように、漏れ出す場所に砂をかける。

何度も何度も砂をかける。

それでも水は上がってくる。

私は焦る。

がむしゃらに砂をかける。

両手で砂を掬って、ゴポゴポと音を立てる場所にかける。

息が上がってくる。

せめてスコップが欲しいと思う。

掌が擦れてくる。

チリチリと痛む。

それでも砂をかける。

息の音が聞こえる。

砂の音が聞こえる。

水の音が聞こえる。

腕が重くなってくる。

私は疲労困憊している。

動きが少しずつ鈍くなっていく。

水の音が、先ほどより大きく聞こえる。

私はパニックになって泣きながら砂をかける。

砂漠で砂をかけ続ける私がボロボロになっていくほどに、それを見下ろしている私の心は疲弊していく。



そして恐怖する。



何かが出てくる。



私などでは太刀打ちのできない強大な何かが、私を飲み込み、沈めようとしている。





肩が大きく上下する。

実際にはただ冷たい石の上に座り込んでいるだけなのに、何故こんなに疲れているのだろう。

息がしづらい。

慌てて息を吸い込む。

おかしいな。

こんなに息を吸っているのに、全然楽にならない。

それどころか、どんどん苦しくなっていく。

私は胸を押えた。

荒い息の音が響く。

「クローゼさん?大丈夫?」

フーバーくんが控え目に声をかけてくる。

が、私はそれどころではない。

胸がひゅうひゅうと鳴る。

息を吸い込もうとすればするほど、息苦しさは増していく。

「クローゼさん!」

過呼吸だ、と思った。

フーバーくんが慌てて駆け寄ってくる。

来ないで、と拒絶する余裕はない。

「落ち着いて。細かく息を吸っちゃダメだ」

フーバーくんの手が背中に触れる。

大きな手だ。

彼の熱が背中からじわりと移ってくる。

胸が大きく跳ねた。

一気に鼓動が速くなる。

私は焦った。

何、これ。

混乱していっそう呼吸が荒くなる。

視界が薄らいできた。

気絶しそうだ、と感情から一番遠い位置にいる私が思った。

「ルーラ!大きく呼吸して。言うとおりにするんだ」

誰かが背中を撫でている。

ゆっくり、労わるように。

私は少し安心する。

声の言うとおりにしよう。

そう思う。

「吸って」

大きく息を吸う。

声は止まる。

私もそのまま止まる。

酸素が足りなくて苦しい。

でも、声を信じて待つ。

「吐いて」

押し出すように息を吐く。

「そう。大丈夫だよ。もう一度吸って」

言われるままに息を吸う。

吸って、吐く。

その行為を何度か繰り返す。

少しずつ、呼吸が楽になっていく。



固く閉ざしていた戸が、軋んだ音と共に開いた。

「ルーラ!!ルーラ、ベルトルト!いるか!?」

マルコの声だ。

来てくれた。

「ここだ!」

声に反応して足音が近づいてくる。

数人いるようだ。

「ルーラ!?どうしたんだ!?」

マルコの声は硬く切迫している。

「過呼吸気味だったんだ。大丈夫、落ち着いたよ」

「そうか…」

安堵のため息が漏れる。

マルコがそっと両肩に触れた。

「ルーラ、大丈夫?」

私はようやく人心地ついて、自分を覗き込むマルコに視線を合わせた。

案じるような、でも安心したような幼なじみの顔が見える。

「ま、るこ…」

全身の力が抜けた。

涙腺が緩んで涙が次から次に流れてくる。

マルコにしがみ付くと、私は大声を上げて泣いた。

マルコはよしよしと頭を撫でてくれる。

感情が高ぶっていた。

長時間狭い場所に閉じ込められていたのが堪えたのか、急に過呼吸になったことに焦ったのか。

違う。

そんなことはわかっている。

私は、自分の中に眠る得体の知れない泉の存在に恐怖していた。

「ベルトルト、お前もどんくさいな」

ライナーの声が聞こえてきた。

言葉こそフーバーくんをからかっているが、そこには安堵が多分に含まれている。

「手間掛けてごめん」

「それを言うならスミス先生だな。わざわざここの鍵を開けてもらうために呼び出した」

「あ…先生、お手数を…お掛けしました」

「気にしなくていい。無事で何よりだ。落ち着いたら来なさい。私は正門の前にいることにしよう」

マルコが頷いた気配がする。

足音がひとつ遠ざかっていった。

「やれやれだな」

ジャンの声がする。

ジャンやスミス先生まで来てくれたらしいことに申し訳なさを感じたが、今はただただ激情に流されていた。





(20130601)


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