37.夜の張に惑う
「ルーラ、ごめん。今度の片付けは私がやるから」
ミカサが申し訳なさそうに頭を下げた。
私は笑って手を振る。
「いいよ、そんなの。ほら、イェーガーくん待ってるよ」
ミカサは頷いて手を振り返す。
そのまま小走りでイェーガーくんの元へ去っていった。
弓道場の掃除や用具の片付けは一年の仕事だ。
掃除は一年全員で行うが、用具の片付けは当番制だった。
今日は私とミカサの番なのだが、途中でイェーガーくんがミカサを迎えに来たのが見えたので、先に帰るように言ったのだ。
この後、家族ぐるみで食事会らしい。
どうせあとは倉庫に運ぶだけだ。
自分の帰り支度を整え、よいしょとカゴを持ち上げて、えっちらおっちら倉庫へ向かった。
倉庫の重いドアを開けると、既に灯りがついていた。
この倉庫は武道系の部活の共同倉庫だし、部活の終了時間もおおよそ重なるので、特に珍しいことではない。
中に入ると、すぐ脇の棚にフーバーくんが立っていた。
ドアが開く音に反応した彼と目が合う。
「あ…クローゼさん」
「お疲れ様。部活終わり?」
「うん」
フーバーくんは柔らかい笑みを浮かべた。
私はそれに笑い返して一歩踏み出す。
倉庫はそれなりに広いが、倉庫という名を背負うだけあって、えらく雑然としている。
それぞれの部が好き勝手、無秩序に道具を収める棚やカゴを配置していくものだから、もはや室内は簡易なアトラクション迷路と化していた。
私は合間を縫うように歩き、弓道部の用具置き場に辿り着く。
所定の場所にカゴを戻して数を確認すると、管理簿を広げた。
毎日、持ち出した人間と戻した人間が用具の状態や数をチェックし、その記録を残しているのだ。
備え付けのペンで記入しようとすると、どれもまともに書けるものがなかった。
明日補充しておかなくちゃと思いながら、自分の筆箱からペンを取り出す。
マルコからもらった、あのシャープペンシルだ。
今日の返却の欄に記入し、管理簿を閉じた。
よし、これで片づけ完了だ。
そう思って管理簿を棚に戻したら、ペンが転がり落ちた。
あっ、と思っている間に、コロコロと棚の下の隙間に入り込む。
私はため息をついてしゃがみ込んだ。
が、届かない。
「ん…んー!」
腕が短い。
泣きたい。
辺りを見回し、転がっている箒を引っ掴む。
柄の方を差し入れて、ペンを引き寄せようと試みた。
が、思惑とは裏腹に、ペンは更に奥へと押しやられてしまう。
「あーっ!」
またもやマルコのペンを失う危機に見舞われ、私はヒヤリとする。
「どうしたの?」
いつの間にか、フーバーくんが傍にしゃがみこんでいた。
「ペンが棚の隙間に入っちゃって」
フーバーくんは隙間の暗がりに視線を落とす。
背中がグッと丸まった。
大きな彼が小さく縮こまっている姿が可愛らしくて、私は小さく笑みを漏らす。
フーバーくんは顔を上げると、私に微笑んで、場所を譲るよう視線で促した。
代わりに取ってくれるみたいだ。
膝をついて長い腕を伸ばす。
「ごめんね。取れそう?」
「うーん…これ、かなぁ?」
まず取り出したのは、おそらく同じようにして落ちたであろう鉛筆だった。
それから、カラーペン、アイスの棒、指揮棒、何だかわからない棒。
棒という棒が棚下から出てくる。
棒はその種類に関係なく、押し並べて棚の下が好きらしい。
集まって会合でも開いていたんじゃないだろうか。
ならば、とりあえず今は私のシャーペンを呼んで来て欲しい。
フーバーくんは更に姿勢を低くして腕を奥へ伸ばした。
鼻先が地面に触れてしまっている。
腕があちこちにぶつかる音が聞こえた。
「ホ、ホントごめん。怪我しないでね」
でも、もういいよとは言えない。
出来ればがんばって救出して欲しい。
「これはどうかな?」
這いつくばったままのフーバーくんが腕を差し出す。
その手はついにシルバーのシャープペンシルを掴んでいた。
「あたり!」
「よかった」
フーバーくんは明るい表情で立ち上がる。
「あ…これ…?」
「へへ、そう、あの時の。だ、大事にしてないわけじゃないんだよ!よく使うから、こういう機会も多いっていうか…」
フーバーくんはわかってるよと頷く。
「とにかく、ありがとう!またフーバーくんに拾ってもらっちゃった」
彼はふっくらと笑った。
「どういたしまして」
その鼻は煤で黒く汚れている。
私がここまでやらせたせいだ。
私は鞄の中からハンカチを取り出した。
手を差し伸べ、彼の鼻に触れる。
「わっ!」
彼は驚いてのけ反った。
「あっ、ごめん。鼻のトコ、汚れてたから」
「あ…ありがと」
「じっとしてて」
黒ずんだところをハンカチで軽く擦る。
幸い、すぐにきれいになった。
そこで私はハタと気付く。
フーバーくんの顔が真っ赤に染まっていることに。
ようやく私は、自分の行動がちょっと大胆だったことを自覚した。
自覚した途端、熱が頬を焼く。
フーバーくんの赤い顔は、思った以上に間近にあった。
「あ…」
私は慌てて彼と距離を取った。
「と、取れたよ」
「う、うん」
二人はドギマギと視線を泳がせる。
「よ、用事終わった?」
私は声を絞り出した。
「あ、うん。忘れ物を取りに来ただけなんだ。クローゼさんは?」
「私もおしまい」
「じゃあ、帰ろうか」
「うん、そうだね」
私たちは鞄を背負い、ドアへ向かった。
フーバーくんがドアノブに手を掛けた。
が、そのまま固まってしまう。
私は首を傾げた。
「どうしたの?」
フーバーくんは、今度は少し乱暴にノブを回した。
その動作で、私は状況を理解する。
「うそ…開かないの?」
フーバーくんは弱り切った表情で頷いた。
「どうして…誰か中を確かめないで鍵閉めちゃったの?」
何かに思い至った様子で、フーバーくんが私を見る。
「そうかもしれない」
「どういうこと?」
「僕、一度倉庫から出た時に柔道部の子とすれ違ったんだ。その時、倉庫にまだ誰かいるかって聞かれて、いないって答えた。その後、忘れものに気付いて戻ってきて、そしたらクローゼさんが来て…」
「じゃあ、その柔道部の子が、自分が最後だと思って閉めちゃったってこと?」
「…そうかも」
「うそー…」
私たちはとりあえず、ドアを叩いて存在を主張してみた。
しかし、音は夜の闇に溶けていくばかりで、救いの足音は響いて来ない。
しばらくそれを試したものの、やがて肩を落として諦めた。
「そうだ、携帯」
私は閃いて自分の携帯を取り出した。
しかし、画面に映し出された文字を目の当たりにして泣きたい気分になる。
「圏外…」
「僕のも…」
「ライナーとアニは?しばらく戻ってこなかったら、心配して探しに来てくれるよね?」
「それが…ライナーは用があるから先に帰っちゃったんだ。アニも、待っててもらうのも悪いから、ライナーと一緒に…」
「え!?」
「マルコとジャンは?一緒には帰ってないの?」
「普段はミカサと一緒だから…」
「そう…」
フーバーくんはため息を落とす。
私は頬を引きつらせた。
「まさか…私たち明日の部活の時間までこのままなの?」
「それはさすがに…きっと、遅くまで帰ってこなければ、親が心配してみんなに連絡するよ。そうすれば探しに来てくれると思う」
「でも…それじゃ大ごとになっちゃうよ…」
「そうだね…」
そうは言ってもなす術はない。
私たちは大きく項垂れたのだった。
(20140525)
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