戻せない 距離1




矢張は ずっと…成歩堂が好きだった。






いや、今も好きなのだ。








けれど彼には。



御剣という存在がいた。



幼いころから、彼の存在は矢張の壁でしかなかった。
友人としても、成歩堂を想う者としても。


そう


成歩堂への想いをしまって、今まで自分はバカな友人を装ってきた。
美人が好きで、でもすぐにフラれる残念な男。それを演じてれば、優しい彼はいつだって文句は垂れながらも、言葉とは裏腹な優しさを矢張に与えてくれた。

女性が嫌いな訳ではない。好き、なんだと思う。しかし矢張の心は、女性といくら接しようとも、成歩堂と居るときのように満たされることはないのだ。

けれど、どんなにどんなに想ったって、きっと成歩堂は此方のことを、ただの手のかかる幼なじみとしか見てないだろう。
自分がそういう対象として彼に映ってないことなど、言われなくても分かりきっている。





それでも、
矢張はそれでいいと思ってた。
御剣と結ばれたのは悔しいけれど、成歩堂が幸せで笑っていられるなら一生このままの関係でいいと。



そう思ってた




…けれど





「ごめんな…矢張…。」


成歩堂の涙をあの日初めて目にした時から、矢張のしまいこんだ感情が殻を破り始めたのだ。



御剣がいきなり失踪した あの時。


成歩堂は悲しかったろうに 辛かったろうに 、周りにはそんなのをおくびにも出さずに 強がって 笑って 大丈夫だ、みたいな表情を顔に張り付けて。


そんな彼が 矢張の家で二人で酒を飲んでいた時 不意に溢した弱さと涙。
法廷での姿がまるで嘘のように、まるで幼子のようにすがって 自分を求めてきた彼。
そこにいたのは、弁護士としての彼ではなく、友人としての彼でもなく…一人の"成歩堂龍一"という人間だった。


彼は御剣ではなく 自分を必要として頼ってくれている。その事実が、その時矢張の胸に歓喜を呼び起こさせ、胸中に広がっていって。



「…成歩堂…」





気づけば、矢張の腕は成歩堂を捕らえていて。


酔いのせいかもしれない。
身体中がどくん…どくんと脈打って煩かった。



「…や、はり…」

迷いに揺れた、成歩堂の瞳と交わったとき…もう戻れない。矢張は瞬間的にそう感じ取ったのである。


見つめあって、どちらともなく唇を重ねて、目を閉じて。
口付けを甘受し、深く交わる舌の感覚に酔いしれながら、矢張は高ぶる感情とは反対に頭の片隅でどこか冷静に考えている自分がいたことに気付く。



(…俺って…狡ぃ男だな…)


自分は狡い。
これは 彼の弱さに漬け込んでいるだけの行為だと言われたら、そうだと言わざるを得ない。それは頭では分かっていた…つもりだった。しかし、手を差し伸べたくなってしまったのだ。いつも手を差しのべてくれた成歩堂に。


成歩堂は拒否も出来ただろうに 拒否どころか自分を進んで受け入れて来て それがまた矢張の自制を効かなくした。
仮にそれが酒のせいなのだとしても 矢張は成歩堂に求められているという事実だけで十分だった。



結局成歩堂は、あの後何も矢張を責めたりはしてこなくて。いっそ責めて貰えたら、踏みとどまれたのかも知れないと思っても…今さらもう遅かった。





――……。



それから
自分は何度成歩堂と身体を重ねただろうか。

身体を重ねれば 友人として今までと同じく接してもらえるか心配していたが、それは杞憂だった。
情事中は甘い空気を漂わせていても 終わればいつも通りで、友人として代わり映えしない会話しか交わさない。


しかしそれが矢張にとっては 逆に心地よかった。
勢いで始まった関係に、罪悪感をあまり感じずにいられることができたから。
胸が痛まなかった訳ではなかった。
しかし…自分もどこかで期待していたのかもしれない。
成歩堂とのこの関係に。
彼の中で…御剣の存在を塗り替えていくことに。














だだ一つ、引っ掛かること。
やはりそれは御剣の存在。


矢張は御剣が許せなかった。
友人である彼に、どこか冷めた感情を抱くようになっていたのだ。


いきなり消えて…成歩堂をあそこまで悲しませて 涙まで流させた御剣に。


御剣はいつだって自分が信じていることに対して己の信念を曲げない男だった。
一度決めればもう突っ走っていく。
そんなことは長年の付き合いで知っていたけれど なぜ いつも大事なことは成歩堂に言わずに一人で行ってしまうのか。




親友の成歩堂なら、言わなくても自分のことを分かってくれている?


いつも戻ってくれば笑顔を向けてくれる?


それとも、話したってしょうがないとか、話すことでもないと思っているのか?







…ふざけるな。


成歩堂は強い。どんなにどんなに辛い目にあったって、逆にそれを自分が立ち上がる力に変えてしまうから。
そんな姿に、どれほど救われた人がいただろう。矢張だってその一人だ。

けれど成歩堂も人間だ。
泣きたいときは泣くし、笑いたいときは笑う。


弱さを見せないのは、彼が周りに心配を掛けたくないからなのを、矢張は分かっていた。
弱音を吐きたくても 吐くことさえできずに、いつもプレッシャーに押し潰されそうになりながらもけして笑顔を消すことはない。


御剣に対してだって、そうな筈だ。


彼はこちらが見ていて辛くなる程に御剣を好きだ。彼に会うためだけに弁護士になって、救うために必死で戦って。
御剣に向けている気持ちは本物だと、矢張だって理解している。
なのになぜ


なぜ御剣は、いつも成歩堂の気持ちばかりを置いてきぼりにするのだ。



嫌だった。

許せなかった。




彼が…御剣怜侍が。





成歩堂の気持ちはまだ御剣にあるのかもしれない、いやあるに違いない。
矢張には恋愛感情など向けられてないのかもしれない。…だとしても これ以上御剣のせいで成歩堂が涙を流すなんて、絶対に嫌だった。



成歩堂と接するうちに、心の中で燻ってた気持ちは、やがて燃え上がり、日に日に自分を侵食していく。


いつしか、成歩堂を自分の物にしたいという思いを抱くようにすらなっていた。











「…成歩堂……」


ある夜の情事後。

矢張は天井に目をやったまま、事後の掠れた声で名前を呼んだ。
すると成歩堂は、微かに潤んだ瞳をこちらに向けて、ニ、三回瞬いた。


「…ん、なに?」


「…後悔、してねぇか?」


投じた声が、明かりの無い部屋に吸い込まれて消えていく。

自分で驚くくらい、なんの躊躇いも、考えもなくするりと転がりでた言葉だった。


これは、成歩堂への問い掛けであり、違くもあるような気がしていた。
彼へではなく…自分に対して向けた言葉だったのかもしれない。



矢張は答えをじっと待つ。
長い沈黙を破ったのは、成歩堂の小さな吐息であった。



「…、その言葉、そっくり返すよ」


「えっ…」


「…僕はお前で…御剣が居なくて埋められない寂しさを埋めようとしているのかもしれない。




矢張の優しさを利用して…。
…全く…。狡い、よね」



切なさと自嘲が混ざった笑みを浮かべる成歩堂に、言葉が出てこなくて…咄嗟に彼を胸に抱き寄せたら 彼も暫くしてから背に腕を回してきて、何度も何度も「ごめん…」そう呟くのだった。



違う、謝らないで。



成歩堂が謝る必要はないのに。


彼の弱さに入り込んで、心をぐちゃぐちゃに掻きむしったのは自分なのに、優しい彼はそれさえも自らのせいにして泣いてくれる。


矢張は ごめん の代わりに、成歩堂の額にそっと口付けを落とした。














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