皆が私のことを


太陽と呼ぶ



私は――…



それに応える…――










「天照様」


分かってる。
私は最高神だから。


「アマテラス様」


けれど、ふいに不安がのし掛かる。
私でいいのかって、私がここを、支えてる存在でいてもいいのかって。


「アマテラス様」


「アマテラス様」
天照様天照様天照様天照様…


嗚呼…なんて重いのだろう。
その名前を呼ばれることが…。


今までだって 私一人ではやってこれなかった。
タケミカズチや、他の皆が居てくれなければ、平定だって出来なかった。
いいえ…

私一人では…何も出来なかった。
私は…弱い。
知っている…



それでも…

私は太陽だと…誰より尊いのだと…周りが言うから…

それに応えて、笑って…国を納める者として必死に、立派でちゃんとした人物であろうとしてきた。



(…でも…)


重くて…


必死でそうあろうとすればするほどに それは重くて…
自分にのし掛かって…


(…っ…)






吐き出したい…
この不安を全部全部…


けれど、誰に…。
この立場にあって、苦しみを簡単には吐露できる相手なんて…居やしない…



誰か



誰か…










(助けて…)



重くて重くて潰れそう…







頭の中で、やりきれない気持ちが一気に爆発して、何も考えられなくなって…



…気づけば、
社を飛びだしていた。







…―――






「…ん?」


高天原の最終兵器であり軍神こと鹿島は 暇だしいつものように諏訪でもからかいに諏訪まで飛ぼうか…などと思案していた時のことだった。


いつも快晴である筈の高天原の上空から突如 ぽつり ぽつりと水の滴が落ちてきて 彼の頬を濡らしたのである。


―…雨が降り始めたのだ。



「……これは……」



どういうことなのだろう、と 頬を濡らした雨粒を指で掬うと、鹿島は空を見上げた。
高天原には似つかわしくない曇天の空を瞳に映して、鹿島の頭にあることが思い浮かぶ。


彼女…上司である天照に何かあったのではないのかと。

上司である天照は日の女神である。つまりこの高天原の天気も彼女が司っているのであり、当然天気は彼女自身によって左右される。



(…まさか…とは思うが…)





嫌な予感がして、彼女のいる社に向かって羽織を翻して走り出した。

予感で終わればいいのだが、という思いを胸に抱きつつ。



…―――



鹿島の予感は当たってしまった。

矢張社はもぬけの殻で 天照が居なくなってしまって何処にも見当たらないと高天原中の神々はパニックに陥っていた。



(…っ…天照様…



一体…何処へ行かれたのです…)





…―――



「…どう…しよう…」


天照は高天原にある林まで来ると立ち止まって、着物の裾をぎゅっと握りながらうつむいた。



皆に黙って社を抜け出してきてしまった。




今ごろ高天原は大混乱になっているに違いない…。




けれど
戻れない…
戻りたくない…




いや 違う。


本当は戻りたい。


しかしそうしたら また皆に頼りきってしまう。
迷惑を掛けてしまう…


そんなことは 嫌だ…



(…ごめんなさい



本当に…ごめんなさい)




何も履かずに飛び出して来たために すっかり素足は傷だらけで歩くたびに鈍い痛みが走り、着物もとうに汚れてしまっていて。
知らずに涙が流れては、彼女の頬を濡らしていった。


行く宛もないままフラフラとさ迷い歩いていると ついに雨まで降りだし、彼女の身を容赦なく濡らし始める。
慌てて雨宿りしようと勢いよく走り出すが 着物の裾に足を取られて躓き 地に転んでしまった。


「…きゃっ…!」


大した怪我は無かったが擦りむいてしまい、涙を拭いてよろよろと辛うじて立ち上がると、おぼつかない足取りでまた歩き出す。








暫く歩くと 小さな岩屋が目に入って、すがるように彼女はそこに向かって歩き出した。




…―――



「はぁっ…はぁ…。…どこだ…どこにいらっしゃるんですか…」



鹿島は息を切らしながら絞り出すように呟く。



彼女がいそうな所は全部探したのに 見つからずに、焦りばかりが胸の奥に募っていく。


(…早く…見つけないと…



はや……く、はや…。…林…?)


林と言うワードが頭の中に不意に浮かび、冷静になった鹿島の頭にあることが思い出された。
記憶が正しければ、ここから東にいった場所に林があり、その林の中に小さな岩屋があったはずだ。

そこでよく幼少のころ また幼くおてんばであった天照と よく行っては遊んだものだと思い出した。


――――


あれはいつものように柔らかな太陽の日差しが降り注ぐ、穏やかな春の日だった。
天照が林に遊びに行きたいと言うので付き添いで来ていた鹿島だったが、天照のおてんばぶりに、ついていくのがやっとであった。


『お待ちください天照様!怪我でもしたら…』


『大丈夫よ!…あ、あそこに岩屋があるわ!』


鹿島を余所に岩屋に向かって軽い足取りで駆けていく天照。
岩屋によじ登るなり、鹿島は怪我でもしたら大変だと真っ青になって。


『あ、天照様っ!』


『大丈夫よ!タケミカズチもいらっしゃいな』


向けられた眩しい笑顔に、鹿島は注意をする気もなくしてただ見とれた。
そしてため息を一つつくと、しょうがないな…という風に笑う。


『…少しだけですよ?』


『ええ!…ねえ、タケミカズチ?』


『なんですか?』


『ここ、私達だけの秘密…ね?』


『…はい。二人だけの、秘密です』


その日二人で岩屋から眺めた高天原の夕日は、燃えるように美しかったのをよく覚えている。


――――


あの頃から、彼女には全く敵わない。
いつだって明るく強い、しかしふとした瞬間に消えてしまいそうな程儚い、弱さを見せる彼女。
いつだって、その言葉や笑顔に救われてきた。



長年共に居て、時は経ったけれど今も尚当時の優しさはそのままに成長した彼女。

大切だという想いは今も変わらないのに、それとは別の感情が鹿島の胸を押さえ付ける。彼女が居ない…それだけで胸が締め付けられるような感覚が襲うのだ。


(天照…様…)


もしかしたら…


俺は…。



貴女を
「………っ」






鹿島は拳をぎゅっと握り、顔を上げると
林のある方向へ足を向け 走り出した。

天照への気持ちを胸に抱きながら。





(…天照様…



どうか…ご無事で…)









…――




(……さむ…い…)


岩屋の中で 一人膝を抱えながら天照は心中で呟いて膝に顔を埋める。


ふと…軍神であり、いつでも自分の側にいてくれた鹿島の顔が頭を過った。
無愛想のようだが優しい、高天原の最終兵器。
そういえば…ここも随分昔に彼とよく来たものだったとぼんやり思い出す。



(……もし…私が居なくなったって知ったら…)


彼は…


悲しいと感じるのであろうか。


寂しいと言ってくれるのだろうか


探してくれるのだろうか



(いいえ…。


きっと…怒るに違いないわ…)




こんな身勝手なことをしたのだから。


きっと怒って、呆れてるに違いない…




(でも…。






……声が聞きたい…)



彼を思い出して無性に会いたくてたまらなくなった。




身勝手だ。
分かっている…けれど
彼の声が聞きたい






またその声で名前を呼んでほしい







寂しい…


寂しい…


「…タケミカズチ…」



か弱い声で、自然と口から零れ出た名前は 外の雨の音にかきけされてしまう。
それが更に彼女の寂しさを増幅させて、目を奥がツンとなり咄嗟に目をぎゅっと瞑った。


そうだ
彼が来る筈なんてない。
きっと…来る筈なんて…


「…様!!」



(…ぇ…)



雨の音に紛れて 微かな 聞き覚えのある声が鼓膜を叩く。
聞き違えではないかと立ち上がると 今度はもっとはっきりと その声は耳に入ってきた。



「…様!!


天照様!!!!いらっしゃるんですか!?天照様!!」



「た…タケミカズチ……?」



間違いない。
この声は鹿島だ。
天照は勢いよく外に飛び出して、彼のもとへと走り出す。


空から降る雨が鞭のように全身を強く痛いほど打つけれど、今はそんなことはどうでも良かった。


「ミカズチっ…!!!

タケミカズチっっ…!!!」


責めるように激しい雨の中で、ありったけの大声で叫ぶ。


もしも
彼に必要とされなくとも。

それでも
私は…。
ありのままの私で もう一度触れたい


「天照様…!」


降りしきる雨の中 息を切らしながら走ってくる見覚えのある姿が現れる。


―…鹿島だった。


彼の身体は全身びしょ濡れになっていて、下駄は泥だらけ。
それは、ずっと天照を探していたことを示していて、天照の心の中は罪悪感でいっぱいになって、堪らずに胸の前でぎゅっと拳を握りながら俯いた。


「た…タケミカ「……ご無事で良かった…」


謝罪の言葉を告げる前に、力強い腕に引かれ、大きな胸に沈む。
…彼に抱き締められたのだと、暫くしてから漸く頭が理解して…塞き止められた川が一気に流れ出すように、今までの比でない位の大粒の涙がぼろぼろと流れて止まらなくなった。

彼の手も…声も…全てが優しくて…
優しすぎて…


「…ごめんなさい…っ…ごめんなさい…」


こんなにも勝手なことをして…


迷惑をかけたのに…


「……いいえ…天照様がご無事でしたのなら…俺はそれで十分です…」



「タケミカズチ…」


目の前に居る彼がいつもと全く違うように思える。

何故だか胸の鼓動が、途端に速くなった。
どくん…どくん…と脈打つリズムに合わせるように顔に熱が集まる。
初めての感覚に半ば混乱しつつ嗚咽を上げながら彼の胸に顔を伏せていると、大きな鹿島の手が、頭をゆっくりと撫でてきた。
まるで赤子を諭すようなそれに、安心感を覚えて、少しずつ涙がおさまってくる。


「……。
すみませんでした…。幼い頃から貴女の近くにずっといたのに、こんなになるまで気付かなくて…」


「…っ…いいえ…。違うわ…。

いけないのは…私なの…」


そう弱々しく吐いた天照に、鹿島は困ったような、哀しげな…そんな表情を浮かべて彼女を見下ろす。


「…天照様は…。いつもそうやって全て背負おうとする。

……俺では……貴女には不足…ですか…?」


それを聞き天照の瞳がハッとして見開かれる。


「!ち…違うの…。ただ…どうしたらいいのか…分からなくて…不安で…。」


「……」


「…突然不安になるの…。私が高天原の主でいいのかって…。」


「……。


いいに…決まってるじゃないですか」


「…タケミカズチ」


「貴女がいいんです…


俺には……貴女しかいない」


「…っ…!」


彼には珍しく、消え入りそうな声で。

その声を聞いたら…何も言えなかった。




天照は目を閉じて、ただ彼に体重を預けたまま雨に打たれて、お互いに暫し沈黙を守っていた。
その間も、相変わらず鼓動はどくんどくんと脈打ち続けていて。







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