2月14日の満月の綺麗な夜、豊受は下宮にていつものように彼を待ちながら近くの椅子に腰掛けて 所在なげに脚をぶらぶらさせていた。


豊受は 膝の上に置いた小さな箱を いとおしげに撫でながら笑みを浮かべる。


「早く…こないかな…」


外はまだ2月とあって寒いが、それよりも、彼に早く会いたいという気持ちの方が勝っていて 寒さなどあまり感じはしなかった。







…と


遠くから馬の蹄の音が微かに鼓膜を叩いて、豊受は音のする方へ顔を向ける。


段々と近付いてくる蹄の音。
ああ、彼だ。
胸の鼓動が蹄の音に合わせるように高鳴って、思わず胸を片手で押さえた。
彼が来ると周りの空気が凛と澄み渡るから、彼が近くにいるのだということを肌で感じさせてくれる。





…カツン






「…月詠…様」


姿を表した 白馬に乗った仮面をつけた男性を目に捉えるなり、豊受は微かに声を漏らす。


「豊受…。こんなに寒いのに、外で待っていたのか…」


月詠は豊受の側まで来ると、馬から降りて付けていた仮面を外す。
表れた澄んだ琥珀の双瞼に彼女を映し 心配したように彼は眉を寄せた。


「い…いえ、今…出て来たばかりですから…」


彼に気を使わせたくないばかりに とっさに嘘をついてしまう。
しかし


「嘘を。…こんなに手が冷えているではないか」


「…っ…!」


優美な動きで豊受の隣に座った月詠は 彼女の白魚のようなか細い手に自分の手を重ねてきた。
いつもはこんなことをしてくる人ではないので、慣れないことをされて 豊受の心拍数は一気に上昇する。
…そんなことなど露知らず、月詠は自分の羽織を脱ぎ始める。
何をしているのだろうと豊受がぼぅっとして見ていると、ふわりと温かい物が肩に掛かる感覚がして。


「……これで、幾分は温かろう」


言って柔らかく微笑む月詠。
彼の磁器のように白い肌や夜の闇のように黒い髪、琥珀の瞳が月の光を吸収して、その様を幻想的に映し出す。
その美しさに、豊受は思わず言葉を忘れた。

「………」


「…豊受?…大丈夫か…?」


「っ…ぁ、はいっ!…すみません…



その…月詠様に…
み、見とれて…おりました…」


月詠は一瞬目を丸くするが、直ぐにくすくすと笑う。


「ふ…、お前は面白いことを言うな。」


「ぇ、えっ…ぁの…」


「…私にそんなことを言ったのはお前が初めてだ」


笑みをそのままに 豊受の頭に手を伸ばして髪をすく月詠。



(…月詠様…)



…他の皆は 彼が怖いとか 気難しいとか言うけれど、そんなことはないように豊受は思っていた。
初めて話した時は、確かに口数も少なかったし その頃はまだ仮面を外すことはしてなかったために表情も窺えず、少し怖いと思ったこともあったけれど、それは此方の思い違いなのだということを 親しくなってから思うようになった。

彼は今でこそこうして顔を晒して話してくれるけれど 以前は普段と同じく素顔を晒すのをよしとしなかった。
仮面を付けるのは 彼なりに自分を、仮面を付けることで守っているから。



彼は素の自分を仮面をつけることで守り、外の世界を遮断しているのだろう。

仮面をつければ…表情が読めない。当然皆怖がって話しかけなければ 相手にされることもないが、今はそれでいいのだと 前に彼が話していたことを思い出した。
その時の、彼の影を落とした横顔が 今でもはっきりと頭に残っている。

彼がどうしてこうなってしまったのかなんて豊受には分からないが、 この繊細で優しい彼が側に居てほしいと望むのなら、自分で良いのなら、ずっと…側に居たいと そう思う。


「……。月詠様」


「…ん?」


「…今…貴方様に初めてお会いした時のことを…思い出しておりました」


「、そうか…」


「…私は…。今こうして貴方様とお話が出来ること、とても幸せに思いますよ」


「…豊受…



私も…お前とこうして居られるのは…とても幸せだ。…お前の前では…私は、私でいられる…」


月詠はそう言い、海のように深い群青色の空を仰いだ。



「……。



はい…」





そのまま二人で暫く空を見つめる。
時折 髪を弄ぶ風が、冷たくも心地よく 豊受けには感じられた。









「……あの。


月詠様…私、今日は貴方様にお渡ししたいものがあるんです」


「…私に?」


ふいに静寂を破った声に、月詠が夜空にやっていた目を此方に向ける。


「はい。…これを」


「これ、は…。」


綺麗に包装された箱を渡された彼は 何だろうかと首を傾げた。


「今日は…ばれんたいん、という、女性が男性に贈り物をする日本の行事の日のようでして…私も慣れないながら、"ちょこれぇと"というものを作ってみたのです」


「ちょこれぇと…。



…開けてみても、いいか?」


「あ、はい…」


聞いたことのない単語に 月詠は困惑しながらも箱に手を伸ばした。


恐る恐る箱を開けると、中には丸だったり四角だったりの茶色い見たことのないような物が並んでおり、今まで嗅いだことのないような甘く、いい香りが周りに広がって。




「これが…その、ちょこれぇと…なのか?」


「はい。見た目は地味ですが、とても美味しいので、月詠様にも食べていただきたくて…」


恥ずかしげにはにかんで見せる彼女を前に 断るなどという無粋な真似が 月詠に出来る筈もない。


こんな未知の食べ物を口にするのは戸惑われたが、豊受が作ったものであり、なおかつ美味しいと言うのなら…とゆっくり一つだけつまんで 口に入れてみる。




…すると途端に 口の中でふわりと溶けた甘いもの。
初めて体験する感覚とあまりの衝撃に月詠の目が丸くなった。



「ぁ…いかがですか?月詠様」


「そ…そうだな…。


初めて口にしたが、確かに……美味しい。ありがとう、豊受」


「!そうですか…!…お口に合ったようで良かった…」


礼を口にすると彼女の頬が僅かに朱に染まる。




そして豊受は思い出したように立ち上がると、あ、そうだ、今お茶でもお持ちしますね。と羽織を翻して早足で掛けていき、月詠はその後ろ姿をただ見つめた。

「(…ど…どうしよう…顔が、熱い…)」

なんて、彼女が思っているなど知らずに。









残された月詠は、茶色いそれを、また一つつまんで口に放った。




(…。ちょこれぇと…とは、豊受に似ているな…)







甘くて





まるで これのように 相手の心に優しく溶け込んでくる。





いつでも包み込んでくれる。























寒い夜も そんなに悪くはないと 一人笑みを溢す月詠だった



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