ガイアと話すようになったきっかけは 本当に些細なものだった気がする。
その日、日が暮れてきたため行軍は終了し、その場で野営をすることになった。
ロンクーはさっさと天幕を張り終わったため他にやることも無くなり。
夕食の時間まで間もあるし、剣の素振りでもするか。と彼は薄橙色の空を仰ぎながら野営地の外へぶらりと足を運んだ。
……――
暫く歩き
軍の天幕からさほど離れていない場所まで来たところで近くにあった木の下に見慣れた髪の色が視界に映り、ロンクーは、はた。と足を止めた。
(?…あれは)
杏子色の髪に、中性的な整った顔立ち。そして胸元に特徴的なピンク色をしたくまの飴を付けているという極めて目立つ風貌の男性に、ロンクーは2、3度瞬く。
ゆっくり近付いてみると、彼は腕を組んで寝息をたてて寝ているようだった。
杏子色の髪がそよ風に靡いては、木の隙間から射し込む夕日の光を吸ってきらきらと淡い光を放っている。
(確か名前は…ガイア、…だったか)
…記憶が正しければ、ガイアはロンクーがイーリス軍に入って間もない頃に仲間になった盗賊の男性だ。
自他共に認める甘党で、なんでもクロムの菓子を与えるのを条件に仲間になるのだと言ったのだとか。普通は金を要求してきそうなものだが、またそこが甘党の彼らしい。しかし、妙な奴だな。ともロンクーに思わせたのだった。
そもそもそういう情報は聞いていたものの、ロンクーはガイアとは同じ軍に居るくせに大して話したこともなかった。
戦場で一緒に前線に立って戦うことは多いけれど、かといって記憶に残るような会話などはしたことがない。
したのは、良くて「気を付けろよ」「はいはい」ぐらいのやり取りだろう。
共通の話題なども見つからなかったし、ロンクーは元々話下手なのを自分でも自覚はしていたため 話し掛けるにもどう話し掛けたらいいか分からなかった、というのもある。
否。それにしても、何故自分は彼が気になっているのだろう。彼はどちらかといえば気さくな性格だし、面倒見もよく女性に好かれやすい。そのため彼の近くには女性が居ることが多い。女性の苦手なロンクーにはガイアは避けるべき対象なはず。
理由は分からない。けれど気付いたら彼を目で追っているのだ。
彼が笑っているのを見れば心が騒ぐし、同時にせつない気持ちにもなる。
最近は、彼に触れたいともいう衝動にまで駆られるのだ。
…たしか、こんな気持ちは…昔にも…。
「…いや…だが…」
ロンクーは目の前にいるガイアの顔をまじまじと見つめた。
…こうして改めて見ると、ガイアは本当に盗賊なのかと疑ってしまいそうになる。
陶磁器のような肌に、髪と同じ杏子色の長い睫毛。形の良い薄紅色の唇。まるで…そう、よく出来た人形のようだ。口を開けばれっきとした男性なのだが。
たしかイーリス軍にはリベラという物腰のやわらかな女性めいた要望の男性がいた気がする。彼も…そういうことに頓着のあまり無いロンクーから見ても美しいとは思うが、ガイアへ感じる美しさとは何かが違っていた。
その何かが何なのかは分からないが…なんとなくガイアには、男を惑わす魔性の気が漂ってるように思う。
本人に自覚があるのかは知らないが。
顔から腕へと目を通す。
鍛練を欠かさない剣士である自分に比べ、ガイアは成人男性にも関わらず、定肉は薄いし筋肉もあんまり付いていないように思う。よくあの細身で鋼の剣なんかを握ってられるものだと感心さえする程だ。
加えてこの繊細で儚ささえ感じさせる容姿。彼と一緒に居ると…なんというか、守りたいという衝動に駆られて………
………………………。
(…って…いつの間に何を考えているんだ…俺は!)
焦って頭の中を覆いだした思考を振り払う。
よくよく考えなくともガイアは男性ではないか。れっきとした。
同性に対して自分は一体ナニを考えているのだろうか。
まさか自分は女性が苦手すぎてついに 頭がイカれてしまったのか?
「…はぁ」
(何を馬鹿な…)
溜め池をつくとともに、ロンクーの肩にどっと疲れがのし掛かった。
なにやら鍛練もしていないのに 変に考えすぎたせいで汗だくな上にかなりの疲労感だ。変に真面目に考えていた自分が急に恥ずかしいやら馬鹿らしいやらで。
先程から一人で百面相している自分は、端から見れば立派な変質者だろう。
すっかり鍛練をする気も失せてしまって ガイアの隣に腰を下ろす。
その刹那、ふわりと甘い香りがロンクーの鼻を掠めた。考えずともそれがガイアのものであると分かる。
優しい、匂いがした。
(…それにしても)
いくら此方が味方とはいえ油断し過ぎではないのか?
こんなにも間近に居るというのに。
彼の職業柄、この状況で起きないというのはあまりにも無防備過ぎる。
信頼されている…ととってもいいのだろうか。それだとしたら嬉しくはあるが複雑でもある。
…ダメだ。
あまり認めたくはないが…どうやら自分は、ガイアのこととなると冷静ではいられなくなるようである。
ロンクーは空を一瞥してからまたため息をついた。
全く、今日の自分はため息をついてばかりな気がする。それもこれも、ガイアに抱く妙な感情のせいだ…そう言い訳してみても、全くもやもやは消えないままだった。
大分先程より日が傾いてきた。もう少しすれば屍兵がうろつき始めるだろう。
その前には天幕に戻らなくてはいけない。
ガイアも起きる気配は無いし、起こして行こうか。
と、ロンクーは彼に手を伸ばしかけたのち、静かに下ろしてしまう。
――どうしよう、起こすべきか…?
――いや…余計な世話かもしれないではないか。
――しかし…もし、このまま起きなかったら…
彼が怪我をするかもしれない。
俊敏な彼なら心配は要らないとは思うが、もし…もしも危険な目にあったらと考えると…心がざわざわとざわついて落ち着かない。
とはいえ 頭の片方では起こしたくないと思ってしまう自分がいて。
さっさと起こせばいいのに、いつの間にか余計なことを考えてしまっている自分がいる訳で。
しかしいつまでもこうしている訳にもいかないので、ロンクーは彼を起こすことにした。
名残惜しげに手を伸ばしたロンクーだったが、刹那そこにいた人物は、手が届く前に視界からパッと消え…
「……誰だ…」
ロンクーが呆気にとられている暇もなく…低い声が耳を掠めた。
と同時に、ひゅっ…と剣の刃が空気を切る音と殺気とともに首筋に押し当てられる。
「…!!」
真っ直ぐに向けられたよもぎ色の瞳に、胸がどくん…と脈打つ。
一瞬、時が止まったような錯覚に襲われた。
今まで寝ていた人物とは思えない程の俊敏さに思わず息を呑んだロンクーだったが、咄嗟に動けなかったのはそれ故だけではない。
ロンクーは生きるために剣を手にしてから幾度なく敵と対峙してきたが、…初めてだった。
なんと言えばよいのだろう。
こんなにも背筋が凍る程に、底の無い暗闇のような瞳を持つ人間を見たのは。
だがガイアがそんな瞳をしてみせたのも一瞬のことで、ロンクーを視界にしっかり捉えると殺気が消えた。
…かと思えば彼は驚いたように目を丸くしてから腰に剣を納めて、何とも盛大に溜め息をついてみせた。
そして怪訝そうに瞳を細める。
「…っ!ロンクー…!?
…おいおい、女が嫌いなのは知ってたが…そーゆー趣味だったのか?お前…」
「…な、誤解だ!
俺はただお前を起こそうと…」
そこまで言ってロンクーは口をつぐむ。
待て。何故黙ってるんだ自分は。
まさか彼に対してやましい感情を持っていたというのか?
まさか…そんな筈は無い…。
…いけない。
考えれば考えるほど深い穴にはまっていく気がする。
「ぁー…悪い悪い、からかっただけだ」
自問自答を繰り返していたロンクーはさぞ難しい顔をしていたに違いない。
頭をわしゃわしゃ掻くと 声のトーンを下げて、そうポツリとガイアは返した。
「…あ、そうか…。
いや。俺こそ悪かった」
「なんでお前が謝ってんだよ。…変なやつだな」
ガイアは分からない、といった顔で首を傾げた。
(…変、か)
ガイアの言葉を反復して、ロンクーは苦笑した。
「そうだな。…変、なのかもしれない」
「…へっ?」
そう呟けば、ますます分からない、といった顔でガイアはロンクーを見返す。
そう…確かに変なのだ。最近の自分は。
先程だって、いつもなら攻撃してくる相手の動きに直ぐに反応出来た筈だ。なのに、彼からの攻撃をあんなにも容易く受けてしまった。
むしろ剣を咄嗟に抜くことすら…しなかった。
これが戦場ならあっという間にお陀仏だったろう。
言い訳がましいが、いつもこうな訳ではない。
ガイアが、彼が近くにいると、心の波がざわめくのだ。落ち着いてられない。
けれど、…そんな自分を、どうしたらいいかも分からない。