小説 | ナノ
 
昼間の賑やかさが嘘のように、静まり返った夜。


昼より幾分かはましとはいえやはり蒸し暑い。

おかげで金兄にアイアンクローやらラリアットをかまされるという嫌な夢に魘され、夢の世界から追い出されるはめになってしまった。
ぱち、と気だるげに瞼を上げるとそこには寝る前にも目にしただろう古びた木の天井が。


なんという夢見の悪さだ。


はぁ…と小さくため息をつき、水でも飲みに行こうかと上体を起こしかけた…その時、何やら啜り泣くような声が聞こえて、とっさに動きを止めた。


(まっ…まさか幽霊…っ?)


そんな考えが過りかけたが、すぐにその疑いは杞憂に終わる。
何故なら、よく聞けばその声は隣で寝ている筈の燐のほうから聞こえてきていたからだ。(……奥村…くん?)




彼は小さくうずくまって、此方に背を向けたまま…泣いていた。月明かりに照らされたその姿は、か弱さと儚なさを一層際立たせており、触れれば今にも壊れてしまいそうな雰囲気を纏っていた。
昼に纏っている明るさとは全く違うそれに、志摩は引き寄せられるように彼に近づいた。布擦れの音がやけにリアルに耳に響いて、狭い部屋にこだまする。




「…っ…奥村、くん…?」


小さな声を発したつもりだったのだけれど、静けさ故か、声はいつもより大きく感じた。燐の枕元で丸くなっている使い魔のクロはすやすやと寝ており、起きる気配は微塵もない。


「し……ま…」


掠れ気味の声に次いで、びくっと暗闇で燐が微かに動いて、此方に顔を向ける。
ぼんやりと輝く青い髪と、涙を流した故か水の膜が張った、透き通るような夜空色の瞳に、不謹慎にも目を惹かれた。


「どないした…?何や怖い夢でも見たんか?」

なるべく優しく、ゆっくり訊いてやると、燐は重そうに上体を起こし小さく「ごめん…起こしちまったな…」と喉から絞り出すような声で呟くと笑った。
苦しそうな声に…堪らなくなって志摩は眉を潜ませる。



しかし無理に笑おうとしたためか、それは直ぐに嗚咽にまみれて消えてしまう。



「…奥村くんのせいやないよ。


…やから…」






そんな無理に笑おうとせんといてや…?



「…っ!…し…ま…ッ?」


燐の声が耳を掠めたが、どこか遠くで聞こえた気がして気にも止めなかった。
自分でも、よくこんなことが咄嗟に出来たものだと、驚いたものだ。しかも同性に。

いつの間にか、身体が勝手に動いて…志摩は燐を抱き締めていたのだ。


小さな身体をぎゅっと抱き締めて、肩口に顔を乗せ、背中に優しく手を回して擦ってやる。
初めて抱き締めた燐の身体は、やはり自分より細くてどこか頼りなくて…今にも消えてしまいそうだと、思った。

抱き締められた驚き故なのか、燐の嗚咽は先程より軽くなったようだ。







「兄貴がな、俺がちいさい頃泣いとったら
よくこうしてくれたもんや…」


暑いけど堪忍な?と一定のリズムで背中を擦りながら、耳元で優しく語りかける。
燐は黙ったままだったが、おずおずと此方に手を回し返してきてくれた。


それに安堵して小さく笑みが溢れる。



そう。昔金兄と喧嘩して泣いていたら、よく柔兄がこうしてくれたものだった。

だからといって今、同姓に、男にこういうことをするのはどうなのかと冷静なって考えるとかなり微妙だが、これしか咄嗟に思い浮かばなかったし 何故か燐相手だと素直に出来てしまったのだから仕様がない。


暫しの沈黙の間、燐の背中を擦り続けていると、黙ったままだった彼が漸く口を開いた。



「…れも、よく…雪男にしてあげてたな…」



ぽつり、と溢れた言葉はまだ涙声が混じってたけれど、どこか安心しているような声音で。

志摩はそれを聞いて微かに笑みを浮かべただけで何も言わなかった。彼が此方に何らかの回答を求めて呟いた物ではないと分かっていたから。


「奥村くん…落ち着いたかいな?」


「…ん。ありがとうな…志摩…。


ほんと…ごめん。泣いちまって…」


「ええよって。


それより…ほんまどないしたん?」



「………」


「あ、いや…無理に聞くつもりはないんや。嫌なら話さんでもええし。


…あ、そや。水でも飲んで落ち着こか」


立ち上がろうとして燐から身体を離した志摩だったが、ぐいと服を掴まれ強い力に引き戻された。
何かと思い目線を下げると、強い力の正体である燐が、微かに震える手で しっかりと志摩の服の裾を掴んでいた。
…それはまるで、幼子が母に「行かないで」とすがり付いているようで。伏せられた瞳を縁取る睫毛は影を作り、震えていた。

「奥村くん…?」


「!…ぁ、ごめん…志摩…


なんでも…ねぇ…から」


やっと気付いたのか、燐は申し訳無さそうな顔で、手を離した。



(なんでもない…ね)


彼は嘘をつくのが下手だ。
もう何もかも、表情や仕草でばればれだと言うのに。
彼は天真爛漫だが、その裏でとても抱え込みやすい性格なのかもしれない。


「嘘や。奥村くん…震えてはるもん」


「…これは…



………っ。」


「…


心配せぇへんでも…俺は何処にも行かんよ?」


「…!……」


目を細めてみせた志摩に夜空を切り取ったような群青の瞳が大きく揺れて…

ふるふると震える唇。
口を開きかけては、直ぐ閉じを何度か繰り返した燐は、やっと決心したように真っ直ぐ志摩を見据えた。

「しまっ……。俺、な…俺…」


「うん」


「俺…。


夢…見たんだ…。一人になっちまう…夢…。」


「…」


志摩は黙って、燐の言葉に耳を傾ける。



「志摩も…勝呂もしえみも子猫丸も出雲も…俺から…皆、離れて…行って…。


…雪男も誰もいない世界で…
俺は…一人だけ取り残されて…っ」



話しながら思い出したのか、段々と小さくなる語尾。それは痛々しい程にか弱くて。



「…ん。
もう、ええ。ええんよ奥村くん…。


君が見たのは夢や、悪い夢なんや。
俺は奥村くんから離れたりせぇへんし…居なくなったりもせぇへんから…。やから…安心しぃや…」


「…っ…ほんと…か…?」


「ん、ほんまや。
俺かて男やで。嘘はつかへん。約束や」

燐の小指と自らのを緩く絡ませ、ニッ、と口角をあげて見せる。





燐は絡ませられた小指を暫し見つめると、やっと クスリと笑って、こくんと頷いてくれた。













その後、二人は何事も無かったかのように眠りにつき、朝を迎えた。



翌日、志摩は口にはしなかったものの、僅かに燐のことが心配だったのだが 何事もなかったのように明るく振る舞う彼を見て、一人安堵するのであった。


…――



「…志摩…また、こような?」


「!…せ、せやな」


帰りのバスの中で、いきなりひそっと耳打ちしてきてるく笑った彼に何故か顔に熱が集まるのを感じて志摩は直視出来ずに俯いた。



(俺…なに赤くなっとんねんっ…)

一旦意識してしまった熱は、顔だけではなく耳まで侵食してきてしまう。
幸いにも燐は赤くなっているのに気付かずに、クロと窓の外を眺めながら「綺麗だなー」と言って笑っている。



あぁ…やはり彼には涙じゃなくて笑顔がよく似合うな、なんて、盗み見ながらまだ熱さの引かない頬を一人押さえる志摩だった。
























ふわりと髪や頬を撫ぜる夏風が、青空の下、二人を優しく包んでいた。









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