Wカイ
ネオンが照らす夜の町をカイトは、オービタルも連れずに歩いていた。
どこにいこうと考えてもいない行く宛のない夜の散歩は、川の近くの公園のベンチが終着点になった。
ベンチに腰をかけたカイトは、どこをみるわけでもなくただ空を見上げた。
アルプスの山のようなクリアな夜空は広がっていないが、不意にハルトの言葉を思い出した。
「僕兄さんの吹くその曲好きだな!」
カイトはそうかと腰に抱きつくハルトの頭をなでてから、もう一度演奏を始める。
記憶を頼りにカイトはその曲を吹いてみる。フルートで演奏出来たその曲を口笛で再現するのはそこまで難しくなかった。
フルートを始めたきっかけはただハルトが見たいと言ったからだ。ヴァイオリンのほうがハルトは喜んだかもしれないが、うまく音が出せるまでハルトに嫌な思いはさせたくなかった。
一通りのフレーズを吹き終わると、後ろからパチパチと一人分の拍手が聞こえた。
夜遅いからといって少々やりすぎたかと、ベンチから立ち上がり振り返ったカイトは目を見開く。
そこにいたのは昨晩ハルトを誘拐した一人、Wが手をたたきながら気味の悪い笑みを浮かべていた。
Wに間違いないと判断したカイトはWにつかみかかろうとする、が、しかしWはステップを踏むようにするりとそれをかわす。
「W!!貴様!」
「おやおや、君はナンバーズを持ってない人間の魂を奪う気ですか?
ま、紋章の加護がある限り無理な話ですが」
人をバカにしたような態度に、カイトは落ち着けと自分に言い聞かせる。ここで我を忘れてしまえば、ハルトになにをしたかも聞き出せなくなる。
「ナンバーズをもっていないだと?」
冷えた頭でカイトはWの言葉を復唱する。
「えぇ、どうせなら調べてみますか?デッキの一つも見あたりませんよ?」
両手をあげてみせるWの服のどこにもデッキの影はない。そもそもこいつらはナンバーズにとりつかれているわけではなかった。
つまりこいつは、それがわかっていて俺の前に現れたというわけか‥‥‥‥
Wはカイトが悔しそうに手に力を込めるのを見て、口角をさらにつり上げる。
「分かっていただけたようですね。ところでカイト、君が先ほど吹いていた曲は月光ですか?
ピアノの曲を少々管楽器用に改変してありますね‥‥‥君一人で編曲したのですか?」
Wの気持ち悪い敬語に無視を決め込んでいたが、曲を改変しているという指摘に思わずカイトはWを凝視する。
昨晩会ったときとはまるで違う人当たりのいい好青年の顔をしているWに、カイトは思わず言葉をかけたくなり、寸のところで踏みとどまる。
カイトにとってハルトに危害を加えるものは敵であり、既にハルトに危害を加えたこいつらは間違いなく敵なのだ。
惑わされてはいけないとカイトは唇を噛み締める。
「いけませんねカイト、唇の形が悪くなるでしょう?」
「っ!!」
スッと頬が温かい感触につつまれる。眼前にはいつの間にかWがいる、それがWの両手だと気づくのにそこまで時間はかからず、カイトは腕をひねって振り払おうとするが、思いの外しっかりと握られておりふりほどくことはかなわなかった。
Wはかみしめた唇を指でほぐすように撫でていく。
「僕もヴィオラをたしなんでいまして、知っていますか?」
ーヴィオラとフルートって相性がいいんですよー
きつく結ばれていたカイトの口が薄く開いたことに満足したようにWは目を細めて笑う。
一方のカイトは、とまどいを隠せなかった。アレンジを見抜かれただけでなく、その楽器がフルートだということすらWは知っていた。
かつての師にすら聴かせたこともないことをなぜWは当たり前のように口にするのか。
カイトの訝しげな目にWはさらに楽しそうな表情になる。
「いつかデュエットなんていかがでしょう?」
「ふざけるなW!誰が貴様なんぞと」
カイトはいまだにつかまれたままの頬からどうにかして手を解こうとWの腕をつかみ力を込めるが、先日の一件やフォトンモードの酷使からくる疲労からか、うまく力が入らない。
WではなくWの腕に意識を集中しているカイトに、Wは少々つまらなそうな顔をする。
「連れませんねぇ‥‥‥まぁいいでしょう。カイト」
呼ばれたことで視線を戻したカイトはWの顔がぼやけていることと口元の温かな感触に違和感を覚えた。
目をパチリと瞬きして、温かな感触がWの口であると理解してカッと顔が熱くなる。
「んー!!」
カイトが顔を逸らそうとすると、Wは口角をあげ、放す間際にカイトの唇を舌で舐める。感じたこともない感覚が、カイトの背筋を駆け抜ける。ただ自分で唇を舐めるのとは段違いの感覚。
その感覚に動けないカイトにWは舌で、自分の口を一舐めしてうーん、と悩む表情を浮かべる。
「やはりかさついていますね。唇の荒れには注意してくださいね」
それからどこから取り出したのか、小さな何かをカイトに投げる。カイトが反射的にそれを受け取るとそれはリップクリームだった。
意図がつかめずカイトが再びWを見やるが銀河のようなあのときと同じ空間に消えていってしまった。
残されたカイトはただ呆然としていた。
「意味が分からない‥‥‥‥」
男が男にキスをしたことも、リップをよこしたことも、フルートの事を知っていたことも。
なによりあれは本当にWだったのだろうか。カイトの知るWは残酷に人をいたぶるゲスの極みだったが、先ほどまでのWはまるで別人のようだった。
キスの事を思い出したカイトはまた顔を赤く染める。
「くそっ!」
ハルトの事ばかり考えていたのに、今ではWのことしか頭に浮かばない。
熱の引かない顔に帰るまでに冷めることを願いながら、カイトはハートランドを目指した。
見えることのないカウントダウン
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