主♂N
わからないな。
たった一言の呟きに、ひいてはただの独り言でたった物に対してブラックは律儀に音で返した。
「なにが」
わからないと呟いたN本人は、どうやら真面目に疑問と向き合っているらしい。ブラックが返事をしたことに驚くことも、顔を上げることもせず、考え続けているのがその証拠と言える。
「‥‥‥感情について、わからないことだらけだ。数式でなんて表せれない、単純なものなのかもしれないがボクにとってみれば不可解なものにしかならない」
(なんだ、また哲学みたいなものに耽ってるだけか。)
雑誌を膝の上に開いていたブラックは、Nに視線を向けることはなかったが内心呆れていた。
この部屋にはたくさんの本がある。小説や図鑑だけでなく哲学書や数学書、後述した二種類はNの趣味であり部屋の主であるブラックも多少は目を通している。
恋人の読むものに興味があることも事実であったが、チェレン程ではなくても勉強には熱心な方だったブラックは、浅くとも広く知識を持つべきという考えの持ち主だった。
Nほど読みふけったり、考察し結論づける事はしなかったがそれでも知識はある。それで満足している。
その逆を行くように、Nは深く深くを知ろうとする。知識に対してNは貪欲であり、とても楽しそうでもある。
そんなNを尻目に雑誌を読み終えたブラックは人知れず立ち上がり、部屋を出る。
ブラックの立ち去った部屋で、Nは考えを止めるわけでもブラックを探すように視界をあちこちに動かすこともなかった。
しかし書籍類や走り書きされたレポート用紙が散乱した机の上を、徐に整えだした。
Nが行動を起こしてから数分後。温かいカフェラテの入ったカップを二つ携えたブラックが部屋のドアを器用に足でスライドさせて開けて戻ってきた。
そして先ほどNが片付けたことで、十分にスペースの空いたテーブルの上にカップの片方を置く。
片手が空いたブラックはそのまま本棚から一冊の本を取り出し、ベッドに腰をかける。
サイドテーブルの上にカップを置いてパラパラと本をめくりだす。
(‥‥‥静かだな)
自分の口がそこまで良くないこと以上に、お互いテンションにムラがあるせいか二人きりになると、自然と無言になる。
無言で意志疎通がはかれているので、何ら不便はない。
しかし一度切れた集中は、そう簡単に戻ることはない。
手持ち無沙汰なブラックは、視線になんて気が付かないだろうと、じっくりNを観察する。
伏し目のせいか、いつも以上に睫毛が強調されて目に映る。
爪は噛んでいないが、口周りに指が動き回るのは考え事をするときのNの癖である。
指で唇を押したり、唇の外ラインを沿うように撫でたりと、その動きは案外せわしない。
これでブラックが徐にその手を取ったりしても、困惑しながらも笑顔をうかべるのだろうとブラックは目を細める。
Nはブラックに対してよく兄のように振る舞おうとする。それを言及すれば、また曖昧な笑顔を浮かべるだけだったため、無意識の行動なのだということがわかる。
ブラックからすれば、自分を子供扱いしてくるその態度がしゃくに障るのだが、Nが楽しそうならいいと更生は諦めている。
(本当、好きなんだよね)
カップを手にとって少し音を立てながら飲んでも、Nは顔を上げない。
それだけ信頼されてるということ。
味気ないこの部屋が君がいるだけで暖かく感じてしまう。
そんな事あり得ないと思っていたのに、人って不思議な生き物だなとブラックは再び本のページを捲っていく。
理想郷の造り方
どんなに静かな空間でも、そこに二人が居るだけで完成する。
fin.
20130216