最終着点は分からない | ナノ











(ちっせぇ手…)

子供の手を握っているような感覚になるほど小さくて、暖かい、柔らかい手。それでもこいつは母親になる。ひとりで。


「ん、ぅ……?」
「起きたか」
「え、と、あの」


状況が飲み込めない様子で、瞬きを繰り返している。小動物を連想させるその行動に、思わず笑ってしまった。


「落ち着け、此処は病院、俺は倒れたお前を運んだついでに付き添ってたんだよ。これで疑問は解けただろ。」
「あ、…はい。ありがとうございます」
「医者呼ぶぞ」


ナースコールに手を伸ばしたら、その手を掴まれた。不安そうな顔で見上げられて、ゆっくりと起き上がった彼女は俺に訪ねた。


「私、どこか悪いの?」


跡部さんは知ってるんでしょう?と眉を下げた、捨て犬のような表情で見つめられた。


「悪くはねぇが……覚悟しとけ」
「え…」
「…大丈夫だよ」


少し粗めに頭を撫でてやると、腑に落ちない点もあるようだが、納得したようにナースコールを押した。医者と入れ替わりで病室から出て、話が終わるまで近くのベンチに座って待った。次に病室に入ったら、どんな顔で出迎えてくれるだろうか。話は短かったようで、直ぐに出てきた医者に頭を下げて扉に手をかけた。
布団を力強く握りしめて俯いたままの彼女に掛ける言葉が見つからなくて、ベットに腰かけて手に手を重ねた。


「…べ、さん」
「なんだ」
「私、産むよ。ひとりで、育てる」
「…幸村はどうする」


これはこいつだけの問題じゃない。こいつが幸村に自分で伝えないと意味がないのだ。


「言えないよ…幸村君の未来の妨げになる」
「…お前はそれで良いのか」
「うん。…だから、跡部さんも黙ってて」
「…わかった。」


真実を知っているのは、俺と忍足だけ。つまり、こいつをサポートしてやれるのも俺と忍足だけだ。忍足は変な奴だが、案外面倒見は良い奴だから頼りにはなると思う。
ありがとうと微笑んだ顔は、やっぱり幼さの残る童顔で、妊娠なんて言葉はこいつには似合わない。


「しばらく休んでから送ってやる」
「いえ、大丈夫です。迷惑かけすぎますから」
「馬鹿か。迷惑なんて思ってねーよ。」
「でも…」
「返事はYESかはい、だ。」
「…あははっ、横暴〜!」


ようやく零れた笑い声。今まで無いほどに満たされた。もっと早くこいつに出会っていれば俺がこいつを幸せに出来たのに。俺が殆ど一目惚れで恋をしたなんて言えば忍足あたりは笑うだろうな。
急に黙って頬に手を添えた俺を不思議そうな目で見つめながら、ごく自然な流れですりっと手に頬を寄せた。柔らかい。


「どうしたの?」
「なんかあったら、言え」
「…うん。ありがとう」


しばらく会話を楽しんで、送ることになって、助手席に乗る楓に聞いた家の住所をナビに読み込ませたら意外にも俺の家からそう遠くない距離に住んでいた。最近引っ越してきたらしく、家の中にはまだダンボールに詰まった荷物が沢山あった。必要な物だけは出してるからそこまで不便ではないらしいけど、あまりみた感じが良くないので、


「片付けるぞ」
「え!別にいいよ、その内するから」
「こんな殺風景な、ダンボールが家具みたいな部屋でいいのかよ」
「う…」


ごそごそと近くにあったダンボールに手をかけた俺につられるように楓もベリベリとダンボールを開いた。俺が開いたものには食器類が入れられていた。毎日使うような食器だけはちゃんと出してるからってこんなに種類も豊富なのに勿体無い。


「これ、食器棚に入れればいいか?」
「うん。おねがい」
「ああ、それと」
「ん?」
「俺は良いとして、男を簡単に家に入れるなよ」


困ったように笑いながらはいはい。と軽く返事を返されたがこれが大事な話。こいつは危機感が無さ過ぎるというか、のんびりしているというか。のほーほーんとしすぎていて(まぁそこが居心地のよさにつながっているのだが)心配になる。ふんふんと鼻歌交じりにゆっくりと箱の中身を出している姿を見ていると、あまりにもスローペースで眠くなる。


「おい…」
「うん?」
「…遅い」
「え?そ、そう?普通にしてるんだけど…」
「そんなペースでやってたら全部出し切るまえに一年経つな」
「大げさだよ!一週間あったらできるもん!」
「へぇ、」
「う、一週間はいいすぎた…」


けど、本気だせばなんとかなる!と断言するくせに全然早くならない。子供みたいな屁理屈だった。そこが可愛いけど。
夕方から始めた作業はその日の内に終わるわけもなく、四分の一位が片付いた所で止めた。夕飯は楓の手料理をご馳走になった。家のシェフが作るような料理ではないが、家庭的な味がして、凄くおいしかった。料理は得意分野なようで、手際よく片付けまでして。良い嫁になるだろうな、と思う。


「どうしたの?」


皿を洗う彼女の隣に立って眺めていると、横目で様子を伺いながら手は止めずに彼女は笑った。


「良いお嫁さんになるって?」
「なっ!」
「え。図星?」


それには彼女もビックリしたようで、水を流したままこっちに顔を向けたので気まずくなって、俺は歩み寄って水を止めた。


「なんだよ。」
「…っ!」
「真っ赤だな。」


耳まで真っ赤にしている楓の頭に手を乗せてやると、必然的に上目遣いになってしまう訳で。こっちが照れる。


「手、止まってんぞ」
「馬鹿けーご」
「なんだって?」
「べつにー」


初めて名前を呼ばれた。不意打ち過ぎてドキッとしたが平然を装えただろうか。再び水を流しながら手を動かしはじめた。


「これ終わったら、コンビニでデザート買ってくる?」
「ああ。」


正直、コンビニのスイーツはあまり食べたことがない。デザートが欲しかったら直ぐに用意されるものは高級品ばかりだったからだ。
彼女の背後にたって腰に手を回して抱きついた。首に顔をうずめるとくすぐったそうに身じろいだが嫌がる素振りはなかった。案外、こういうのには馴れているようだった。


「なにー?」
「…別に」


最後の一つを乾燥機に入れて手を拭った彼女は腰に回った俺の手をぺちんと叩いた。コンビニいこ。と微笑んで財布だけを握って俺の手を引いた。コンビニまでは少し距離があったが、行きと帰りの間に更に彼女のことを知ることが出来た。両親が居ないことには少し驚いた。


「私ね、どんな理由でも家族が出来て嬉しいんだ」


ふわりと笑顔を浮かべて空を仰いだ横顔は、どことなく寂しげだった。俺の中で生まれていた小さな願望は、彼女を知るほど大きくなっていく。今すぐにでも思いを伝えたくなる衝動を抑えこんだ。少しずつで良い。だから、子供が産まれるまでには思いを伝えたい。


「名前とか考えなきゃなー」
「学校はどうするんだ」
「うーん。ギリギリまではいきたい。」


“学校なんかやめろよ”


喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだ。


「無理はするなよ」
「うん。」


どうか無事に子供が産まれればいい。





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