最終着点は分からない | ナノ











昔々あるところに、から始まる童話絵本。これを私が手にするのは、二十年ぶりぐらいになるのでは無いだろうか。読んでみると懐かしい。日陰になったテラスの椅子に1人腰掛けての音読は寂しくなんかなくて、むしろ、楽しい。時々出っ張るお腹は、生きているから、元気だからこそ。無論、アパートにテラスなんか無い事で理解できるかもしれないがここは景吾の家だ。例の事件以来学校には行かせてくれないし、景吾が居なければ外出もできない。大切にしてくれているのは嬉しい。でも、買い物とかには一人でも行けるし、家事とかも自分でしたい。


「楓さん、ここにいらしたのね」
「義母さん」
「調子はいかが?」
「凄く良いです」
「そう、それは良かった。景吾がもうすぐ帰ってくるそうよ」


ニコッと優しい微笑みを浮かべて義母さんは扉の向こうへ消えた。今は昼前、きっと景吾は昼食の為に返ってきているはず。そして、以前のように外で食べることはめっきり無くなって、忍足くん達にも、会っていない。大切にされているのはわかる。ただ、もう少し、自由が欲しい。
絵本を本棚へしまって、お腹を撫でた。


「パパは心配しすぎよねー」


私の言葉に反応して、赤ちゃんが動いた。言葉を理解してくれているのだ。きっと、この子は賢い子供になる。


「なにが心配しすぎ、だ」

不意に暖かい腕に包まれた。いつの間に部屋に入ってきたのだろうか、そんなことはどうでも良い。耳元に寄せられた唇が、少し私が頭を動かし角度を変えると、私の唇に噛みついた。


「お前は危なっかしいからな」
「っ…はぁ、でもっん、少し過保護だよ」
「頼むから、生まれるまでは、大人しくしてくれ」


抗議の声を上げようと開いた唇は、また景吾のそれに塞がれた。
話は変わり、景吾はキス魔だ。隙さえあればチュッ。触れあうだけのものから、窒息死しそうなほど激しいものまで様々だが、とにかくキスが多い。


「まだしたりねぇけど、母さん達が待ってる」
「ん」
「行くぞ。歩けるか?」


ニヤニヤしながら景吾は私の手を引いた。景吾のキスが上手すぎて腰が抜けてしまうことがあり、立てなくなることもしばしば。馬鹿、と悪態をつきながらも景吾のキスが嫌いではない事は景吾にも伝わっているだろう。


「昼から忍足達が来る」
「テニスするの?」
「ああ。見にくるだろ?日焼け止めと水分補給は」
「こまめにしろ、でしょ?わかってるよ。それより景吾、何か忘れてるでしょ」


何を忘れているのか分からないようで、少し眉間にしわを寄せた。 おかえり、と言うと、ようやくわかったようで目を細めて笑った


「ただいま。楓」
「うん」


景吾が手に触れると必ず反応を示す胎児。そして、景吾が嬉しそうに笑いながら、蹴った、とお腹を撫でる。


「もう、言葉がわかってるみたいだよね」
「ああ。」
「次の検診で、男の子か女の子か分かるかなぁ」
「もうそんな時期なのか?」


キラキラ目を輝かせて、嬉しそうな顔。次の検診に景吾が付いて来るのは決定事項になった。
そこで私達が遅いことに痺れを切らせたメイドさんが私達を呼びに来てようやく移動開始したのだった。




***********






見慣れた氷帝の顔ぶれの中に、謎の赤。いや、赤は岳人くんなんだけど、謎。赤が2人居る…なんていってももう一人が誰なのかは分かっているけど。


「丸井くん!?」
「お!春日…じゃねーや楓!」
「また髪赤くしたの?」
「ま、まぁな。」


ジローくんに連れてこられたらしい彼は、一見不服そうに見えたが、満更でも無さそうに見える。例の一件以来立海の誰とも連絡すらしていないから、少しばかり懐かしい。


「丸井くんが、名前で呼ぶの初めて」
「あ、あーだって、もう春日じゃねーだろぃ?」

わしゃわしゃと頭をかきながらはにかんで言うものだから、私のほうがなんだか照れてしまった。丸井君は私に話したい事がたくさんある!と私の手を引いた。完璧に私のために用意されたスペースに2人で座ると、すぐによく冷えたフルーツや飲み物が私の前に置かれた。


「丸井、楓をしっかり見といてや」
「だいたい俺テニス道具持ってねーからやらねーよ」


近くまでやって来た忍足君を鬱陶しそうに追い払う仕草をした。それが、心底面倒くさそうに、早くどこか行けと言わんばかりの態度で、なんだか可笑しかった。


「良い話と悪い話、あるけどどっちから聞きてぇ?」
「じゃあ、良い話」


良い話は、本当に良い話だった。柳君の家に蘭が引っ越して、一緒に住み始めたはなし。真田君に彼女ができたはなし(ちなみに、彼女は3つ年下のかわいい系)。柳生君が、難しい国家試験に余裕でパスしたはなし。赤也君が私に会いたがっている話。仁王君が院試験をパスしたはなし。全部が私の知らないみんなの事ばかりだった。会わない内に私も、みんなも、どんどん変わっていくのだ。


「で、悪い話って?」
「あー、幸村君がプロになる話を蹴ったんだ」
「えっ!」
「理由はしらねぇけど」
「そう…、そうなんだ…」
「でも、超一流企業に就職だぜ?」


生活には困らない。それを言ってしまえばその通りかもしれない。でも、それで幸村君は後悔していないのだろうか?


「…幸村君、なんで蹴ったんだろ」
「俺達が何度聞いても本心は教えてくれないんだ」
「…」


みんなに何も言わないのなら私になんてもってのほか。言ってくれるわけがない。私は幸村君がテニスをしている姿が好きだ。だから、少しでもチャンスがあるなら幸村君にテニスを続けて欲しい。


「春日がそんな顔すんなよ。幸村君だってなんか考えがあったわけなんだし」
「…うん」
「楓ー!喉かわいたぁー!」


休憩に来たジロー君が椅子に腰を下ろして、メイドさんからドリンクを受け取った。因みにこのメイドさん。私の専属なんです。未だかつて自分のメイドなんて付いたことがない私からしてみれば接し方も何も分からない。だからあまり話した事はないけど。


「ぷはっ、おいCーっ」
「お疲れ様。ジロー君」
「やっぱ跡部は強いから勝てないや」


テーブルに顎をつけて口を尖らせて、ジロー君は景吾を見ていた。昔のように毎日毎日テニスをしている訳ではないのに景吾はいまでもコートに君臨している。私は、景吾も、みんなも、ずっとテニスを続けて欲しいと思う。越前リョーマや手塚さん、白石君、赤也君、財前光、と私達の知っている人達が次々にプロデビューして行く中で、プロを捨てた人たちも、ずっとテニスとつながって居られたら良いな、とも思う。


「私もテニスしたいなぁ」
「何馬鹿言ってんだ。アーン?」


首にタオルをかけた景吾が私の背後から手を伸ばし、私のグラスにささるストローに口をつけた。空になっても直ぐに近くにいるメイドさんが補充してくれるから、私の手元に戻ってきた時はいっぱいだった。


「わかってますー。」
「ちゃんと産んだら一緒にしよう」
「はいはいそこ!イチャつくな」


景吾は子供にもテニスをしてほしいと考えているに違いない。でも、強要するような人でもない。趣味の一貫として家族で出来る程度で良いから、私もしてほしいと思う今日この頃。


<<
>>


- ナノ -