最終着点は分からない | ナノ










ヒールの高い靴は、俺の中の楓先輩の象徴だった。元々先輩の身長はかなり低い方だったのに加えて、幸村部長に見合う人になりたいからと言う願いを込めて精一杯背伸びをしているからだと本人から聞いた事があったからだ。楓先輩から見ても幸村部長は神聖な存在で、何時だって背伸びをしないと届かない存在だったんだと思う。
だから、今向こうから歩いてくる先輩を見ると、知らない人にすら見えた。ヒールなんてないサンダルに、ふわふわとした印象の服。しっかりと繋がれた手に光るのはシルバーリング。隣に並んでいるのは跡部。


「ごめんなさい。待った?」
「いや、俺も今来たとこっス」
「なら良かった。」


よいしょ、と椅子に腰を下ろした楓先輩の隣に跡部も座る。先輩の一つ一つの動作を見ると、若干ぎこちないのは、やはり妊娠のせいだろうか。それをそっとサポートする跡部が凄くカッコ良く見えるのも、気のせいなのか。


「何かあった?赤也君から会いたいなんて」


そっと語りかけるように先輩は優しく問いかけてくれた。俺が言いたいことを言いやすいように。跡部に視線を移せば、さも興味なさげに携帯を開いている。ただ、付いてきたかっただけか。跡部が空気になるつもりなら、俺だってそういう風にしよう。


「…先輩は、今、幸せっすか」


幸村部長と居るときよりも。
俺の問いにキョトンとした顔をした後、一瞬跡部の方に顔を向けて微笑んだ。


「幸村君と居たときも今と同じで、幸せだった。それに2人は別、比べたりなんてできない。でもね、私は、景吾に会えて本当に良かったって思うよ」


顔を見合わせて微笑む2人は、誰がみたって恋し恋される関係だった。 なにより、俺が知る跡部の高圧的な態度が全く感じられなくて、あんなに優しくはにかんだ様に笑うことが出来るのだと初めて知った。跡部にこんな表情をさせるのは楓先輩で、楓先輩を笑顔にしているのは、跡部だ。


「俺、先輩が好き、でした」

自分が口走った言葉は今言う必要は無かった言葉だった。ビックリしたような顔で楓先輩は固まってしまい、跡部も少しだけ目を見開いた。


「だから、幸村部長ならとられても良いって思ってたのに、先輩が、別れたって、聞いて」


悔しかった。自分では幸せになんて出来ないのに、幸村部長と別れた楓先輩を疎ましく思う自分が嫌だった。だから、今。そんな嫌な自分との決別をしたい。


「でも、今、楓先輩が幸せそうで良かった、っす」
「赤也君…」


途切れ途切れにしか言葉がでなかったのはきっと、これが楓先輩への気持ちと向き合う最初で最後のチャンスだからだ。手の届かない存在の楓先輩と、先輩後輩でもなく一人の異性として接するのだ。


「言いたかったの、それ、だけ…ッス」



[ヒロインside]


赤也君が、私の事を異性として好いてくれていたなんて、私は微塵にも思っていなかった。ずっと、っていつから?私が幸村君と付き合い始めたとき、赤也君はどんなにつらかった?私が、幸村君と別れたとき、どんな風に苦しんだ?


「赤也君、ごめんなさい。私気づかなくて、赤也君を苦しめた」


きっと、謝っても謝りきれないほど、私は赤也君を苦しめ、傷つけた。近くに居たのに気づかなかった自分が不甲斐ない。


「ちょっ!頭上げて下さいよ!」
「でも、」
「俺は先輩に謝ってもらっても嬉しくないっすから!それに、俺じゃ先輩を幸せに出来ないってわかってたんス」


頭を上げると、赤也君はホッとしたように、にかっと笑って立ち上がった


「だから、先輩が幸せならそれで満足ッスから」
「あか、や、ごめ…」
「謝るのはなしっすよ。それじゃ、俺はこれで!」


私はこんなに愛されていたのに、気付かなかった。私を慕ってくれていたのも、今まで本当の気持ちを閉じ込めていたのも、すべて赤也君の優しさだった。
今までの中で一番清々しく、綺麗な笑顔で去っていく赤也君の背中。すると何かを思い出したように景吾が赤也君に話があったのを忘れていたと言い始めた。


「悪い。ちょっと行ってくるから、待っててくれ」
「あ…え」
「すぐ帰ってくる」
「けいっ…」


景吾が赤也君に何の話をするのか、とか、気にならなかった訳ではない。でも、私の返事を待たないで走っていった景吾を待つしか私には選択肢は無かった。仕方なく、外へでて、日陰に座って待っていた。


「やっと、見つけた」
「…え?」


パシャンと水が飛び、ポタポタと私の髪から雫が垂れた。この間梅雨が明けたばかりで、ジリジリと焼くような日差しが照り続ける中で雨なんか降らない。


「最低女」


見ず知らずの女の子に私はペットボトルの水を掛けられ、しかも空になったそれを投げつけられ、罵られた。あなたは誰?訳も分からず唖然としていると、胸ぐらを掴まれた。叩かれる、そう直感して目を閉じると、案の定。結構な張り手がきた。


「…った」
「黙ってないでなんとか言いなさいよ!」


何かを言うなんて、身に覚えが無いことで攻められているのに反論も何もない。ドンっと捕まれていた胸ぐらを押されて、上手く身動き出来ない私は倒れるしかなかった。鈍い痛みと、恐怖。


「っ、」


痛みに起き上がる事が出来ない。周りの人達はみんな、人を呼べやら、止めなくて良いのか、とざわめき立っている。


「やめ、」
「あんたのせいで!」


手の次は足…?振り上げられた足にはヒール。そんなので思い切り踏まれたりしたら、どうなるか分かったもんじゃない。


「たすけ…っ「楓!」


呼ばれて、目を閉じて、来るはずの衝撃を待った。でも、いつまで待っても来ない。そっと目を開ければ、私に覆い被さるようにして、ジャッカルが居た。私を蹴ろうとした彼女も予想外だったみたいで、唖然として立ち尽くしている。


「お、おい!ジャッカル大丈夫か?」
「あ゛…血は、出てない、」
「春日は?」
「ぶんた君、ジャッ、カルあり…がと」


二人が居なかったら、私は今、どうなっていただろうか。そう考えるだけで体が震えた。


「ジャッカルがどかねぇと春日が起きられねぇだろぃ!」
「てっ!叩くなよ!」


蹴られた横腹をさすりながらジャッカルが起き上がり、私に手を差し伸べた。その手を取って起き上がった。多少の痛みはあっても、何とか立ち上がった。


「楓!」
「景吾…」


息を切らして汗をかいた景吾の腕の中に収まった。ホッとして、背中に手を回そうとしたとき、言葉で言い表せない痛みが体を駆けた。


「っ、ぁ」
「楓?」
「けっご、」


立っていたいのに、足に力が入らなくている、必死に景吾にしがみついた。痛い、助けて、そう言いたいのに声が出ない。


「っ病院…!」
「、けて」
「喋るな、っすぐ、すぐ病院に連れてってやる」


初めて景吾に会った日のことを思い出した。あのときも、確か、景吾はこんなふうにしてくれた。だから、何の根拠もないけど、私もこの子も助けてくれるような気がしたんだ。少し眠って、また目覚めたら、景吾は私の横で寝ているよね?だから、少し、眠らせて。痛くて気が狂いそう。すぐに私の意識はブラックアウトした。







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