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幸村が留学すると聞いたのは、秋が終わり冬の香りがし始める頃の事だった。入試に向けて図書室で居残りしていた時に偶然聞こえてきた会話に、幸村と言う単語が出てきたら耳を傾けずには居られなかった。
オーストラリア。ふと自分のノートに視線を落とす。He want to study in Australia.イントネーションは多少違えど、英語の例文通りじゃないか。どうして今日に限って英語なんて勉強してたんだろう。しかも一年の復習。最悪だ。
結局殆ど勉強もせずにその日は家に帰って寝た。
なにより惨めだったのは、留学のことを彼自身の口から聞かされなかったことだ。もう、あの日から一週間は経つのに幸村は私に何かを伝えようとすらしない。もしかしてデマだったのではないかと期待すら抱いてしまったが、留学のことは全校に知れ渡っていて彼自身も否定していないようなので事実なのだろう。
だから今日こそは本人に確認しようと毎日のように思いながらまた二週間過ぎた。
気がつけばもう冬休みが目前に迫っていた。

「最近、浮かないね」
「そう…かな?勉強のし過ぎかな、あはは」

吐き出した息が白くなって空に溶けた。そうやって私も空の一部になってしまえたなら、こんな思い悩むこともないのだろうか。

「成績も悪くないんだから、そんなに煮詰めなくても大丈夫だよ」
「そうかな、幸村には負けるからね」
「…俺に何か言いたいんじゃないの?」

今日は何を復習するの?とでも聞くような、さり気ない声色で幸村は白を空に溶かした。繋がれた左手に彼の力が加わる。

「それ、は…私の台詞じゃない?何か、隠してるでしょう?」

きちんと私は言葉を発することができただろうか。だらしなく震えてしまってはいないだろうか。彼に、私の弱い部分をさらけ出してしまっていないだろうか。

「留学のことだろ」

分かっているなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだと叫びたかった。それでも私の口からは何の音も漏れ出すことはなく、ただ、視界が霞んだ。

「ごめん」

かろうじて流れることなく耐えていた涙が、決壊してしまったかのように溢れ出した。黙っていた理由すら教えてくれずに彼は私の左手を握るだけだった。ポロポロとこぼれる涙を拭ってくれはしなかった。ただ、歩みだけは止めなかった。
いつも分かれる団地の入り口でようやく離された左手は、暫く熱を持っていた。

「バイバイ」
「またね」

彼に背中を向けたら最後、もう振り向く事はしなかった。いつも私が見えなくなるまで別れた場所に彼は立っていたが、もうその姿は見ることが無いだろう。
たかが中学生の恋だと笑われたって良い。キスすらしなかったくらい潔い、子供の付き合いだったけれど、確かに彼と繋がっていた時間は精一杯恋をしていた。
私は、エスカレーターで進学する予定だったのを直前で変えて近場の公立校を受験した。親も先生も吃驚して止めようとしてくれたが、それでも私は外部へ行きたかった。どうせならリセットしてしまえば良いと思った。何かを見て彼を思い出すような惨めな思いはしたくなかった。

「そういえば、活躍してるよね。幸村クン」

存外、仲の良かった何人かの友人とはそれ以来も交流が続き、休みになると会っていた。もう、彼が他の土地に行ってしまってから何年経つのか。つい最近あった大きな大会に彼の名前があった。宝石のようにキラキラした汗を飛ばしながらボールを打ち返す姿を液晶越しに見た。思うことは色々あったけれど、あえて口にはしないでおこう。

「やっぱりイケメンは成長してもイケメンよね!ほんと、なんで別れちゃったかな」
「お互い子供だったし、仕方ないよ」

でも、もしあの時私がもっと大人だったら今とは違う結果だったのではないかと思う。結論を言えば、私はまだ彼に未練がある。彼の後に何人かとお付き合いしたし、彼とは出来なかったことも全部した。それでもみんな長くは続かなかった。
友人と別れた後、都心部へと気晴らしに向かった。駅前の大きなスクリーンには偶然彼か映っていた。試合の後のインタビューのようだった。順調に勝ち進む若手プレイヤーに、メディアは注目していた。

『この大会が終わったら、会いたい人がいるんです』

立ち止まってスクリーンを見上げているのは私の他にも数人で、きちんと聞いていなければ彼の声が騒音に消えてしまいそうだった。
ついに、彼の熱愛報道か。いつかくると分かってはいたものの、実際に直面すると苦しい。これは私の持論だけど、初恋は叶わない。だからこそ美しい思い出になる。きっと彼が結婚したら私の未練も無くなるのだ。だから早く結婚でも何でもしてしまえば良い。

「帰ろう」

呟いた言葉は周りの騒音にかき消された。
いまだに私は実家で両親と住んでいる。都心からは少し距離があるが住み慣れた所となれば何も気にならなかった。電車に揺られて降り立った駅は昔から変わらない。
もうすぐ団地の入り口だ。誰かが立っている。





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