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シーンと静まった体育館で、誰かが落としたボールが跳ねた。そのボールも数回跳ねて静かになった。

「あ…っと」
「…邪魔して、すいません」

困った顔をした苗字が持っていたドリンクを俺に渡し背を向けて先ほど転がったボールを拾いに行った。苗字が動き出した事で周りも時間が動き始め、少し騒がしくなった。
事の発端はまあ、何時ものクラッチタイムに入ってしまったせいである。休憩に入ってもイライラしていた俺を気遣ってドリンクを持ってきてくれた苗字に当たってしまったという流れだ。そういえば彼女の前でクラッチタイムに入ったのは初めてかもしれない。マネージャーとして入部してくれたのがかなり後だったし、クラッチタイムをしらなくても仕方がない。
うるせぇ邪魔すんなダァホ。言い切った後で相手が部員ではなかったと気づき、しかもそれが苗字だった。完璧に嫌われた自信がある。

「日向君、ちょっと」
「監督…」
「私が言いたいこと、分かるわよね?」

手招きをしている監督の背後に般若が見え、ついでに言うと笑顔がとても恐かった。
いいから今すぐに名前ちゃんに土下座でも何でもして謝って来いと言われ、体育館外に出てしまった苗字を探すことになった。探すといってもどこにいるのか、何をしているのか大体の見当はついていたしそれほど時間も掛からずに発見することが出来た。

「日向先輩?なにしてるんですか」

こちらから声を掛ける前に気づかれてしまい、両手一杯にタオルやゼッケンを持ったまま苗字がこちらに近づいてきた。

「っと…とりあえず手伝うわ」
「え、あ、大丈夫です、って先輩待って!」

手に持っていたものを丸ごと奪って部室へと歩き始めると、全てを持たれたことに不服を持って後ろからちょこちょことついてくる。持てますって!と何度も言ってきたがもちろん無視である。

「もー…ところで先輩どうしたんですか?」
「いや、その…さっき、」
「さっき?」
「怒鳴って悪かった、って」

穴があれば埋まりたいほどの恥ずかしさをこらえて言ったにもかかわらず苗字は一瞬キョトンとした後で満面の笑みを浮かべた。可愛い。

「そんなのいいですよ!全然気にしてないっていうか、寧ろ役得?みたいな」
「役得ってお前なぁ、」
「だってなかなか先輩にダァホなんていわれないですし、先輩、私にはとっても優しいですから」

身長差のせいで若干見上げるようになるせいで顔を隠したくて逸らしても隠せなかった。ニコニコというよりは二へ二へと顔の筋肉を最大限に緩ませて笑ってる顔が可愛いし、いろんな意味で顔に熱が収集してしまう。

「彼女に、優しくしない男なんているか?普通」
「さぁ?私は先輩しかしらないので」
「…ったく」
「えへへー」

もしこの会話やそのほかの全てが計算ずくだったとしても良いとすら思った。未だ部員には俺達が付き合っていることは言っていないが多分ばれているんだろうなとふと思い立った。苗字を前にした俺がどんなにだらしない顔をしているのかなんとなく気づいてしまったからである。

「体育館帰ったら、俺達のことばらすから」
「…はい」

顔を赤くしてうつむいた苗字を抱きしめそうになったが、両手に持った荷物のおかげでなんとか自制した。助かったような、残念なような複雑な気持ちを抱えているとシャツの裾に何か重みが加わった。それは控えめに握られた苗字の手だった。ああ、やっぱり部室ついたら絶対抱きしめてやる。

「先輩」
「どした」
「好きです」
「…知ってらぁダァホ」
「はい」

またダァホって言われちゃいました。と嬉しそうに笑われてしまうとまた同じ言葉を言ってしまいそうになる。多分俺にダァホって言われて喜ぶような変人はこれまでもこれからも苗字だけだろうし、他の誰とも違うこの言葉の意味もずっと知らなくていい。




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