I love you... | ナノ










何年か前、蘭に教えて貰ったカフェで待ち合わせをして、話をする事になったのは、あれからそんなに日にちも経っていない日曜日だった。私より先に着いていた蘭は、カフェラテの入っているであろうカップをテーブルに置きながら店に入った私に左手を軽く振った。まだ私が彼女のカップの中味を見た訳でもないのに中味が分かってしまったのは、蘭が昔から紅茶よりカフェラテ派だったのを理解しているからこそだ。実際、向かいに座ったら彼女はいつも通りカフェラテを飲んでいた。


「お待たせ」
「ううん。私が早く着きすぎただけ。」
「ここから移動する?」
「私はそのつもりだよ。家来る?今は蓮二も出てるし」


三年の初めから二人は半同棲をしているので、遊びに行く事も極端に減っていた。別に二人がいやな顔をした訳ではないが、何となくそうなってしまっていただけなのだが。
蘭の言葉に甘えて此処から移動する事になった。蘭は温くなったカフェラテを一気に流し込んで伝票を握って立ち上がった。それに続くように席を離れた。カフェから二人の家までは微妙に距離があったが、いつもと同じスピードで他愛のない会話をしながらだった為か、直ぐに着いてしまった。久しぶりに来た二人の家には新しいものが多少はあるものの、殆ど変わっていなかった。


「適当に座ってて。紅茶で良かったよね?」
「うん。ありがと」


絨毯にぺたんと座って待っていると、蘭が紅茶をテーブルにそっと置いた。


「最近、どう?幸村とは…って言っても普段の楓見てたら何となく分かるけどね。この前の頬も幸村?」
「まぁ、…うん」


苦笑いで返した私に、蘭は悲しそうに顔を歪めた。


「どうして楓が頻繁に痣を造ってくるのか説明してくれる?」
「私が悪いの…幸村君を怒らせたから。」
「怒らせたって…そんなの、暴力の理由になんないよ…」


別れようと言っても幸村君は決して首を縦には振らない。それは蘭も既知の事実であり、蘭によって私と幸村君の事を気にしているみんなに伝えられていく。メールでさえも気軽に取り合う事が出来なくなったのはいつからだったか。受信したらすぐに削除する事で何とかやりくりしてはいるのだけれど。


「蘭、心配してくれてありがとうね」
「…あまり、こう言うことは言いたくないんだけど…別れた方が楓と幸村のためだと思うの」
「…うん。…私も、そう思う」


幸村君が、私をどれだけ好いてくれているか、って言う思いの重さを考えれば、暴力でさえ耐える事ができるの。別れ話をする度に無体な事をされて、結局は諦めてしまう私は馬鹿なのかな?


「楓…」
「自分でも、どうしたらいいか分からないの。私はただ、幸村君が好きなだけだったのに。」


戻ることが出来るなら、笑いあえてたあの頃に、中学生に戻りたい。私と幸村君の歩調が会わなくなったのは、いつだったかも分からないけど、私はちゃんと一緒に歩けてた時の幸村君が好きだから。やっぱり私は幸村君を自由にしてあげて、私も、幸村君から自由にならなければならないのだと確信した。


「楓、本当に無理しないで」
「…蘭、私、頑張るから…ね?本当にありがとう」


言葉だけでは伝えきれないほど蘭には感謝している。少し温くなりかけた紅茶を一気に喉に流し込んで無理に笑顔を繕った。昔のように何も考えずにただ嬉しいから笑って、辛いから泣いていた頃と今はまったく違う。私が、どんな風に笑っていたのかさえ覚えていないのだから。作り笑いだってなれたものだ。


「柳君、もう帰ってくるんじゃない?夕飯の用意とかも有るだろうから、私は帰るね。」
「え…食べて、行かないの?」
「…ごめんね。今日は幸村君が来る日だから…帰らなきゃ」


また、蘭の顔が歪んだ。とても辛そうに眉間にしわを寄せて、何かを言おうとするのを我慢するかのごとく、下唇をかみ締めていた。でもそれは一瞬で、すぐに微笑を浮かべてそっか、と呟いた。鞄を取って玄関でブーツに足を入れていると丁度柳君が帰宅した。座り込んでブーツを履いていた私を見て、柳君は驚いたようだった。彼は昔から変わらず、あまり表情にでないタイプだけれど、驚きだけは分かる。


「お邪魔してました」
「ああ。春日だったんだな…久しぶり」
「そうだね。話すのは、久しぶりだね」
「…少し、痩せたか」


その柳の言葉に、私の後ろに立っていた蘭が息を呑んだ。柳君の指摘で、蘭にも私の変化が分かったんだろう。


「やっぱり、柳君は欺けないね」
「…そこまでしてでも、精市から逃げ出すことはできないのか」


その言葉は私の心に深く突き刺さった。確かに体重はかなり落ちた。それは所詮ストレスのせい。何によるストレスかなんて分かっているけれどそれはどうしても私の口からはいえなかった。言ってしまったら、私が壊れてしまいそうだから。


「蓮二」
「誰もが思っている事…お前自身分かっているだろう。精市は歪んでしまったと」
「蓮二もう、」
「もう、俺達もこれ以上は見てみぬふりはしたくないんだ」
「蓮二やめて!!」


蘭はうっすらと目に涙を浮かべて柳君を止めた。私を守るためにしてくれたんだと思う。それに、柳君も、私と幸村君のことを思っていってくれたんだとわかっているから、私は柳君にお礼を言った。今まで誰も触れようとしなかった核心に、柳君はとうとう踏み込んでくれたのだ。きっと、柳君がこう言うのだから真田君や他のテニス部の皆もなんだろう。


「正直に言って、私と幸村君は一緒に居るべきではないよね?」
「…」


柳君のデータはとても正確だから、私は柳君の無言を肯定と取って頷いた。
きっと、明日からの学校生活は変わる。いや、今日、私が帰宅してから変わってしまうだろう。皆の気持ちにこたえるためにも、終わらせなければならない。


「なんでだろうね、ふたりのおかげで、すごく勇気が出たよ。ありがとう」


去り際に二人に向けて放った言葉に偽りは無かった。本当に今日、ここに来てよかったと思えたから。
自宅マンションの前に来て、自室を見上げた私はぐっと爪が食い込みそうなほど拳を握り締めた。電気がついていることはつまり、幸村君が来ているということだからだ。もう、流されない。私は幸村君を自由にして、私も、彼から解き放たれなければならないのだから。


「…よし。」


意気込んで帰宅した私のこれから先のことは何一つ分からなかったけれど、きっと、後悔なんてしない。





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