Theotokos | ナノ




さわさわと髪が揺れた。誰かが私の頭を撫でてくれている。


「イブちゃん、早く良くなって」


これはきっと昔の…ずっとずっと昔の記憶。目をうっすらと開いている私の目には、窓からの逆光でそれが誰なのかわからないけれど、彼は今まで何度か私の夢の中に出てきた”はるくん”では無いほうの男の子のような気がする。必死に私は彼の名前を呼ぼうとしているのに、唇からもれる音は、私には聞こえなかった。


「僕、もう時間が無いから…、……、」


最後のほうはまったく何を言っているのか理解は出来なかったけれど。一瞬、クリアになった私の視界には____







ゆっくりと、今度は現実で目を覚ました。ここのところ本当にだるくて苦しくて、記憶が曖昧な部分もあるけれど、どうやら私は高熱をだしたか何かでずっとベットに居たことだけは分かった。昔は体が弱かったと聞いた覚えがあるが、何年も前から殆ど体調を崩すこともなかった自分なだけに、少し戸惑った。しかし今となっては全く体もだるくないし、全快したと言っても過言では無い。
それにしても、今私が居る部屋は見覚えが無かった。私が入った部屋は精市さん、仁王、赤也君の部屋ぐらいだろう。1日の大半を私にあてがわれた部屋か、或いは夜を精市さんと過ごした後は夕刻まで彼の部屋に居る。仁王の部屋に行くのはひとりで眠れない時だけ。赤也君はゲーム仲間となっている。
じゃあここは誰の部屋か、あの屋敷ではないような感じも少なからずしていた。あの屋敷とは空気が違う。あくまでも感じ、なのだが。
カーテンの隙間から差し込む光に心引かれた。光があると言うことはここは、…


「…ああ、」


自然と視界が霞んだ。ひさしぶりに浴びた日の光は、不健康そのものである私の白すぎる肌を照らした。




高層ビルの中でも私が今いる場所はそれなりに高い。窓ガラスに手をついて眼下を見下ろしても、視力がそこまで良くない私にはよく見えなかったが、ここは日本じゃない。じゃあどこなのか。何となく見える広告看板の文字は、明らかに英語圏の看板で、正に異国。
逃げようと言う気持ちが沸かなかった訳が無い。でも私が出来ないのには致命的な理由があった。ついこの間16歳になった私の英語レベルなんてしれている。ましてや私はエリートではなく、全く真逆の位置に居たのだからこんな街に繰り出しても生き残る術はない。


「起きていたのか。」
「あ…蓮二さん」
「よく眠っていたな」
「あ、あの、ご迷惑おかけしました。」


謝った私の言葉は無視して、彼は体調はどうだ?と私の頭を撫でた。もう大丈夫です。と笑うと、蓮二さんの薄い唇も弧を描いた。


「何か食べよう。何日もろくに食べていないのだから。」


部屋に備え付けられている電話で何かを注文している彼は流暢な英語を使いこなしていた。


「暫く時間がある。少し話そう」


ソファーに向かい合って座ると、柳さんは私の体調が崩れた理由を教えてくれた。私の体には、あの世界の空気が合わないと言うただそれだけの事を丁寧に事細かに教えてくれたのだ。大半は難しい言葉て理解し難かったが、必要な情報は理解できたはず。


「半年に一度はこちらに一時滞在する事になるだろう。ただ、逃げようとするな。それだけは肝に銘じておくことだ。」
「逃げようとしたって逃がしてくれないの、分かってますから。」


でも、まだ望みは捨てきってない。いつか、いつか、私の家に帰りたい。そう思うのが普通だから。私はまだ、普通だから。


「精市は今日、遅くなる。先に屋敷に帰るか」
「はい。仁王にノアを任せっぱなしなのは不安だから。」


仁王は面倒見が良いとは思うし、ちゃんと世話もしてくれている事もわかっている。じゃあ何が不安なのか。それはただなんとなく、仁王も猫らしい所もあるから二匹を放っておくのは寂しがってるんじゃないかって思うだけ。
それからルームサービスの食事をして、すぐに柳さんは動いた。


「…こっちだ」


鏡に片腕を突っ込んだ柳さんが私に手を伸ばす。手を取って目を閉じると、何か膜のような物をすり抜ける感覚がして、次に目を開くと、私の部屋だった。
何故だか凄く懐かしさが溢れてきて、胸一杯に息を吸い込んだ。あ、私にはこの世界の空気は良くないんだっけ、と一瞬頭の中をよぎったが、そんなのはもう知らない。


「イブ、おかえり」
「…にお、」


入り口の方から聞き慣れた声がして、振り向くと体に衝撃が。まだ近くに立っていた柳さんが居なかったら確実に今頃床に寝そべっていただろう。何が私に飛びついていた。小学生くらいの年齢だろうか、男の子だった。


「イブっおかえり」
「…!」


私に抱きついて顔を上げたその子の顔を見て私はハッとした。どことなく仁王に似ているような気がして、でも髪の色は精市さんで。しかし、本来有るべき形ではない形状の耳)見れば彼が“普通”でないことは一目瞭然だった。


「俺寂しかった!」


とりあえず頭を優しく撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしてさらにすり寄ってきた。


「そのガキ、ノアじゃよ」
「へ、…えぇっ!?」


ニコニコと満面の笑みで私の服を握り締めているこの子が、あの、ノア…?俄かに信じがたかったが、仁王の近くに居るはずのノアは確認できず、やはりこの子はノアなのだと非現実的だと思いながらも信じてしまった。本当に、この世界はありえないことばかりが起こる。


「しばらく見ないうちに、人型になったの?」
「うん。僕、成長したんだから!」
「…そんな純真無垢な体で居られるんもちょっとじゃけどな」


いかにも意味深な言葉を仁王が呟いた。話によればもう一週間もしないうちに成人してしまうのだとか。こんなに可愛いのに勿体無い。それにしても、何でこの子こんなに仁王に似てるの。見れば見るほど仁王で、でもやっぱり精市さんの雰囲気はぬぐえなくて。


「まさか、」
「アホか」


私の考えていることが目線で分かったのだろう仁王に、ペシッと叩かれた。だって、ふたりの特徴捉えてたらまさかって思ってしまうのは普通でしょう。


「そいつは自我が確立してきた頃から、一番近くに居た人間に自分を似せようとする。本来ならイブに似るはずだったんだ。でも、思わぬ事態で面倒を見ていた仁王と、比較的近くにいた精市に似た…ということだ」


柳さんの説明は分かりやすくていつも本当に助かっている。でも、私に似なくて良かった。だって仁王と精市さんのほうが私に比べると格別に顔が綺麗だし。絶対二人に似たほうが後々得だろうから。


「僕、イブに似たかったなあ」
「俺の顔に文句つけんな」


すでに仁王とノアの間には何らかの信頼関係が成り立っているのだろう。私には二人がじゃれあっているようにしか見えなかった。それがうらやましいと思ってしまうのはきっと、二人が本当の兄弟のように見えて、一人っ子だった私は味わったことの無いものだと分かってしまったからだと思う。



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