06空腹と支配
これから死んでいくひとに言葉をかけるとすれば、どんな言葉が最適なのだろう。
私はまだそれを見出せずにいた。
「……いい加減、暑いのですが」
「暑いだと? 貴様の身体が火照っているのだろう」
「寝言は寝て言え、という言葉があるんですよ」
DIOは今日もべったりと張り付いてくる。気温的な意味で暑いのではなく、何というか気持ち的に暑いのだ。
他者の体温がこんなにも長い間背中に貼りついているのは正直気持ちが悪いのだけど、そんなことおかまいなしにDIOはべたべたと触れてくる。
無理やり引き剥がすという手段もあるかもしれないが、相手がどんなスタンドを持っているのかわからない上に、今読んでいる本はDIOの持ち物なので借りている以上あまり強い事は言えない。
「何故本を読んでいる」
「そこに本があるからですよ」
「……」
「微妙に爪を立てるのやめてください。地味に痛いです」
「貴様がはぐらかすからだろう」
ああ、拗ね始めた。こうなると面倒くさい。
というか、本当に人間くさい吸血鬼だな、と。こういった場面に遭遇するたびに思う。
「何となく、本を読んでるんですよ」
「知識を得るためではないのか」
「まあ、それもありますが。本を読んでいる間は他の思考が入る隙がないので、何も考えずにいられるのが好きなんです」
「それは読んでいると言えるのか?」
「少なくとも文字に目は通してますし、話の流れも覚えているので読んでいる事になるのでしょう」
流し込むように、文字を目で追っていく。私にとっての読書とはそういうものだった。読書家がきいたらとんでもないと怒られてしまいそうだ。
「色」
「はい何ですか」
「暇だ」
「ついにぶっちゃけましたね。吸血鬼って退屈なんですか」
「いや……海の底で眠っていた時よりは暇ではない」
「そうでしょうね」
100年も海の底で眠っているって、その間何をやっていたのだろうか。羊の数でも数えて居たのだろうか。世界中が羊で溢れてしまいそうだ。
私だったら1年もしない内に飽きるだろう。空想する頭も100年はもたない。果たして吸血鬼は何を夢見たのだろう。
「腹が減っている」
「そうですか」
「この意味がわからない訳ではないだろう」
「そうですね」
「貴様の血をもらうぞ」
「そう」
勝手に貰っていけばいいんじゃないですか。いつも、勝手にもっていっているのでしょう。毎晩、女の人から。
私がそう告げ終わる前に、DIOに首を噛まれた。後ろから、うなじを。
吸血鬼というのは指から吸血するものだとジョセフさんは言っていたのだけど、指以外からも吸血できる、らしい。ただ単に遊ばれているだけの可能性がある。
読みかけの本を閉じて、遠くへ放る。私の血で汚れて読めなくなってしまったらもったいないから。
「美味いな」
「初めて言われましたよ。褒められている気がしません」
「そうか」
「指から吸血するんじゃないんですか」
「気が変わった」
何の気だ。と、問う前にまた噛まれる。さっき噛んだ場所と微妙に位置をずらして噛むものだから地味に痛い。
だんだん頭がぼんやりとしてくる。貧血、というか純粋に血が足りないだけだ。輸血をしてくれる人は誰もいない。必要はない。
「泣き叫ばないのか」
「そういうのがお望みでしたら映画館へどうぞ」
「あれはつまらんだろう」
「見た事あるんですか。実は人間なんじゃないですか?」
「おれは吸血鬼だ」
胸を張って言う事ではないと思うけど、DIOはまるでそれがアイディンティティだというように断言する。拘る必要があるのだろうか。
昼間動けない吸血鬼はまるで月のようだ。太陽が照っている間は静かに息を潜めている。夜になると途端に自己の存在を主張するものだから、私は寝不足になるのだ。
「じきに承太郎たちは此処へ来るだろう」
「そうですね」
「その前に、貴様をおれのものにできたら。承太郎たちはショックを受けるだろう」
「そうでしょうね。ただし、私は誰のものにもなりませんよ」
「ためしてみるか?」
「何を、」
ためすんですか。言葉になれなかった。唇を塞がれてしまったからだ。遠回りに表現してもしょうがないので仕方なく現状を把握する。
キスをされている。しかも、いつの間にか背後にいたはずのDIOは正面に居た。これもスタンドの力なのだろうか、と頭の片隅で考える。
押しあてられるようなキスではなく、何かを慈しむような、愛撫するようなキスだった。唇の表面を唇で撫でられる。正直に言って、気持ち悪い。
そのまま舌を入れられるかと思ったが、唇が離れた。ぺろりと舌舐めずりをするDIOはまるで爬虫類のようにみえる。やっぱり吸血鬼には見えない。
したり顔で私を見る視線。実に楽しそうだ。
「どうだ?」
「鳥肌、ですね」
「なに?」
実際私の皮膚はぶつぶつと鳥肌が立っていた。腕に触れるとよくわかる。DIOは気に入らない様子で睨んでいる。
どちらかというと睨みたいのは私の方だけれど、恨みがあるわけではないので思いとどまる。
「何故、貴様は……」
「不感症なので」
不干渉でもあるけど。
「それに、初めてじゃないですしね」
「、なに?」
「承太郎はもっと乱暴でしたよ。痛いくらいに」
「……、」
DIOが初めて動揺した様子を見せた。といっても、ほとんど気付かない程度の変化だけど。私は気付いてしまった。
やはり何でも一番がいいという性格なのだろうか。自分が一番じゃないと気が済まない。まるで子供だ。
100歳を超えた子供。流石に一緒に遊ぶなんてことはできない。
「つまらんな」
「人で散々遊んでそれですか」
「つまらん。貴様は反応が無さすぎる」
「そういう性格ですから」
「その答えがつまらんというのだ」
「そうですか。ところで、そろそろじゃないですか」
「何が、」
下の階から何かが崩れる音がする。
「承太郎たち、来ましたね」