重く暗い雲が空を埋め尽くし、地上にザアザアと止まることなく降り続く雨の中。病院から一冊の本を持った14、5歳程の少年が出て来た。
少年は一度だけ振り返り、一室の窓を見つめる。
「……待ってて、ローリエ」
ほんの少しだけ微笑んで、それからまた前を見て歩き出した。
傘も差さずに、仕事場から帰宅する人で溢れた人混みを掻き分け、薄暗い裏路地へと入っていく。
徐々に静かになり、車や街の音も遠くなったとき、道は行き止まりに辿り着いた。少年は手に持っていた辞書のように分厚い本に視線を落とす。
そして、一度瞼をゆっくりと閉じる。瞼の裏には少年と良く似た少女の柔らかな笑顔が浮かんできた。
そして一度頷いて目を開け、決意を固めた揺るぎない瞳で本をパラパラと捲り、あるページで手を止め、地面にゆっくりと置いた。
間もなくしてそのページが湧き出るような黒い闇を放ち、濃い煙が辺り全体を包み込んだ。少年の目の前には、悪魔のような翼を持った、細身な一匹の犬が姿を見せた。
「貴様、私を呼んだのには何故の意味がある」
威厳を感じる大人の女性の声をした犬の問い掛けに、少年は大して驚く事も無く、単調に答えた。
「悪魔に仕える犬、僕は悪魔に会いたい。この本は悪魔に会える本だろ? 願いを叶えて欲しいんだ」
「残念だが主人は悪魔の空間に封印されている。それに貴様如きの分際が悪魔に願い事など狂っている。何処でこの書物を見つけたかは知らないが、諦めた方が身のためだ」
犬は冷たい表情のまま、黄金の目を鋭くして少年を睨んだ。しかし少年はその視線から目を逸らさずに言った。
「なら、僕から会いに行く。悪魔の居る空間への扉を開いて欲しい」
少年の言葉が予想外だったのか、犬は一瞬言葉を失う。
降り続いていた雨は、闇に包まれたこの場所には届くことなく、少年の濡れた前髪からはポタリと雫が一滴落ちた。
「……貴様、何も知らずに悪魔のいる空間へ行くわけではないだろうな」
「当たり前だ。この本と繋がる悪魔の住む空間に関しては、調べたよ。それに、僕が生まれてすぐに亡くなった母さんが、この本を知っていたみたいでメモが挟まれてたんだ。
……きっと僕を助けてくれると思う」
少年が少し得意げに言うと、微かに、ほんの一瞬だけ犬が驚いたような気がしたかと思うと、また険しい目つきで少年を睨んだ。
「貴様、分かっているだろうが、その空間へ入ったらもう貴様の道は死ぬ事しか残されない。それでも、行くのか?」
「分かってる。けど、僕は行かなきゃいけないんだ」
意志の固さが伝わる少年の瞳から目を逸らし、らしくもなく犬は溜め息を吐いた。