さて──随分と可笑しな状況だ。
どうしたものかと考えて浮かんだ案はとりあえず二つ。その一、何事もなかったように、お互い何者でもないようにあくまで“それぞれの”友人を待つ。おそらくこの場合は無言無音でただ時を過ごすことになる──で、あればその二は逆、今この瞬間がまるで私達の出会いの為に用意された場面としてまずは会話を試みてみる、ということになるわけだけれど──さて、どうしたものか。
……と、勝手に二択を並べてはみたものの、どうやら“彼”の方では既に前者の流れは決定事項らしい。こちらで勝手に思考を巡らせている今も沈黙の時間は過ぎていて、とは言え三人が去ってから実際のところまだ一分も経ってはいない、筈。あと五分?十分?正直、授業中にうっかり居眠りをしてしまいそうになるあの時間だってこんなに長く感じたことはない──が、生憎……というより折角の休み時間である今、睡魔と戦うのと等しくわざわざ苦痛の時にする必要なんてどこにもないわけで。どころかその種類は全くの別物であって、そう、授業中であればどうにかこうにか抗うことしか出来ない“眠気”と違って、初対面の“気まずさ”ならば。上手くいけば状況は変えられる。……多分。
心は決まった。

「貴方。『三好くん』」

一方的にその存在を認識していたとは言え、向こうは私の名前すら知らない人と二人きり。こんな場合まず何と呼び掛けるのが好ましいのか、正直その正回答など持ち合わせてはいなくて。……が、そんな私の中にもたった一つ確かなものがあった。入学式のあの場面で聞いた“彼”の名──そう。紛れもなくこの人はあの『三好くん』だ。改めて“彼”に向き直っての私の声に、『三好くん』はちらと視線だけこちらに寄越す。

「……悪いけど僕は君を知らない」

『三好くん』は合わせたままの視線を逸らすことなく静かに答えた。その反応にやっぱり人気者は違うなあ、こんな事態も、彼にしたらそこまで珍しくもないことなんじゃなかろうかなんて一瞬そんなことを考えた。

「あ、気にしないで。私は貴方みたいに有名人じゃないから当然だよ」

入学初日時点で既に全生徒の注目の的になった『三好くん』はその後も様々な場面で話題に上った。代表挨拶した人かっこよかったね、なんてのは切っ掛けに過ぎなかった。考えてみれば新入生代表になるのだから首席入学であったのは当然で、そんな彼の成績は常にトップだった。そしてこれは五科目だけに留まらず彼は運動面芸術面などなど、とにかく学校で習う科目全てにおいて優秀であるらしかった。加えてこの容姿。一言でイケメンと片付けてしまうのすら勿体無いと思う程この『三好くん』は綺麗な顔をしている。更には雰囲気を纏うという表現がまさにしっくりくるような気品がこの歳で備わっているのは間近で見つめる今でなくとも、入学式のあの時遠目に眺めただけで理解できたくらいだ。それ程に、この人の存在自体が常人とはかけ離れている。

「ね、話しても良いかな」
「……別に。君がそうしたいなら止める権利は僕には無いと思うけど」

いちいち回りくどい言い方するなと思った。まあこの恐いくらい整った顔で笑って「良いよ!」なんて答えられたらそれはそれで戸惑う気はするけれども、……まあ。兎にも角にも、私と会話してくれる気はあるらしい。ひとまずは良しと。

「ええと、なら、三好くん。三好くんは“一目惚れ”って信じる?」
「……」

……

…………

……………………。


「……」
「……話ってそれ?」

うわあ、ごもっともな反応が返ってきた。

「む、……別の話題があるなら、どうぞ」

確かに、初対面での話題選びとしては正しいとは言えないものかも知れない。けれど私は彼の名前は知っていてもそれ以外は何も知らなくて、が、そんな私が彼に抱いたある一つの感情──初めてその存在を認識した入学式のあの瞬間、眠気も消える程の、何か衝撃とすら言えるくらいの感覚。その時まで感じたことがなかった“それ”はうっすらと、だけれど確かに私の中にあり続けた。知らないものだから、もしかしたらこれは違うのかも──大体、私が本当に彼にそんな感情を抱いたとしたなら今こうして自分でも意外なくらい冷静に面と向かって話せるものだろうか。わからないのだ。だから聞いてみることにした。直接、その感覚を抱かせた本人に。

「……」
「……」

……が。

「……」
「……」

『三好くん』の持つ鋭い印象は無言によって更に強固なものになる。もはや、圧力?なんて思ってしまう程には彼は口を開いてくれなさそうな雰囲気を醸し出している。正直困る。

「……えーと、やっぱり話題変える?」

堪らず。が、次の瞬間。

「……それについては思ってることがある」

まさか、まさかのお言葉を頂いた。

「え。そうなの?」
「一目惚れ、て、そもそも信じるとか信じないとかの類いなのか?」
「……へ?」

……やっぱり話題の振りを間違えたと思った。学年首席だから成績優秀なのはわかっていたつもりだったけど、そうかこの人は“努力で学力を伸ばす”タイプではなく“元々の頭の造りが良い”タイプだったか──私の経験上、このタイプは厄介な方だ。なんせ自分の常識、つまり常人とは違う感性を持ちそれを基準にして生きている人種であるから。それを理解するには、多分私の基準では不可能だ。やってしまった……と、後悔してももう遅い。

「……ええと、うん。なら、聞かせて?出来るだけ分かりやすいと嬉しいかな」

レベルの高い相手にこちらまで引き下げた“分かりやすさ”を求めるのなら、せめてこちらは“話しやすく”“聞かせやすく”が鉄則だと思う。ので、なるべく自然に笑ってみせると三好くんはふう、と鼻から息を吐いた。なかなか鼻につく態度だ。鼻だけに。けれどまあ、良い。話して、と求めた私に、三好くんは静かに口を開いた。

「……そもそも“一目惚れ”とかいう以前に、初対面の相手に何も抱かせない人間なんてまずいないだろ。たとえその時言葉を交わさなくたって、顔を合わせた時点で自分にとって良いか悪いか、おおよそ分類してしまうのは当然だと思うけど」
「……ああ、うん」
「その場合の良し悪しを単に好きか嫌いかに言い換えて、たまたま前者だった時の印象が強いだけでそれを大袈裟な言い方してるだけじゃないか」
「……あー……」
「それを“信じる”“信じない”で更に区別しようとするから何か特別な感情に思えるってだけの話だろ。大体信じるも何も、相手に何の印象も与えない人間なんかいないように何の感情も抱かない人間もいる筈ないんだから、なら“信じない”ってその時点で一体何を否定出来るって言うんだ?」
「……う、ん?、……うーん……」
「それに、信じないって言う奴が口を揃えて言うのは所謂それは外見だけの判断で、万一上手くいっても内面を知れば幻想に気付いて結果失敗するってことだろ」
「ああ……それは、うん。多分そうだね」
「けどそれは一目惚れに限ったことじゃないだろ?相手を知る内に互いに惹かれ合って結ばれたとしても、より近付いたからこそ見えた新たな側面に幻滅するのなんて良くあることじゃないか」
「ああー……、そう、か、も?」
「ならむしろ直感で選んだ自分の感性っていう要素があるならば、その方が一つ確実性が増えるとは思わないか」

……白状すると、三好くんがあまりに淀みなく話すものだからその流れの通りには理解できなかった。彼が発した言葉を自分の中でもう一度ゆっくり繰り返して噛み砕いてってしてようやく内容が頭に入ってきたから、終始碌な返答が出来なかった。

「……意外と良く話すんだね」
「君が聞いてきたんだ」

そうだったっけ。はっきり言ってそんなことはどうでも良くなる程、ものの数十秒で『三好くん』に対する見方が変わった。寡黙なようでどうやら話好き、あと、中性的な顔立ちからかそうは思っていなかったのだけど、つんけんしてる。嫌な人なのかはわからない。キツい性格?けど、初対面の私とちゃんと会話はしてくれた。まあ初対面というならやっぱりもっと形式的な話題でやり過ごせばそれで充分だったのかもしれないけれど──

「……ふ、」

それでも事は事で、成り行きのままにしかならない。私と『三好くん』との関係はこうして始まるというのなら悪くはないのかも──そんな風に考えてつい口元が緩んだ私に、三好くんは少しバツが悪そうな顔になる。

「僕の言うことがおかしいか?」
「ううん?全然」
「……ならどうして笑ってるんだ」
「三好くんの言う通りだなって思って。ん、そっか、そうだね。なら私も、これからは信じるってことにするよ」
「……僕の話聞いていたか」
「もちろん。三好くんは信じるって話でしょ?」
「……君がそう思うのなら別にそれで構わないけど」
「うん」
「……」
「……」

あ、これはもう会話が終わったのか。なかなか難しい人だな……というかあくまで自分からは話題を広げるつもりはないというだけか。まあ、うん。そうか。これが『三好くん』か。

「ふふ、」
「今度はまた何がおかしいんだ」
「ん、ええと、そうね。これからもっと、貴方のこと知りたいなって」
「……そういうのって普通口に出すか?」
「さあ。どうだろう」

少し首を傾げて告げると、三好くんはふいと正面を向いてしまった。けれど、その横顔はやっぱりすごく綺麗だと純粋にそう感じる。
……そうね、普通はどうかな。わからないけど──けど、少なくとも貴方はきっと“普通”じゃない“特別”な人だ。だから私はあの日、貴方に囚われた。
それまで経験したことのないものだったから、その想いが“それ”として正しいのか──自分の中で生まれた感情だというのに、簡単には理解できなかったのだけれど──今、三好くんが話してくれたことによればどうやらそれはもっと単純に考えても良いらしい。“好きか”“嫌いか”の二択、そのどちらか二つに一つというのなら、あの時私がこの人に抱いた感情は間違いなく前者だった。
実際に自分の身に起こるまで、何かもっと刹那的に燃え上がるような燃え盛るような激しい感情なんじゃないか。きっとそんな風に思っていた。が、“それ”は案外静かな、自分でもそう簡単には認識できないものなのかもしれない。少なくとも、私の場合はそうだったみたいだ。そして“信じる”“信じない”で求められるというなら、三好くんによればそれはあくまで“自分の感情”に対してという、そういうことらしい──ならば。私は私の直感を信じてみても、良いんじゃないかな。

「三好くん」

呼ぶと、やっぱり向けてくれるのは視線だけ。ついさっき初めてそうした時と全く同じ反応を返されればああこういう人なんだとまた一つ、私の中の三好くん像が固まっていく。こうやって積み重ねていきたい。この人をもっと知りたい。だから──

「話してくれてありがとう。これからよろしくね」
「……──、  」


結局この時、三好くんから私の名を尋ねられることはなかった。けれど、無言のまま私の言葉を受け取ったその後、微かに聞こえた「ああ」だかの音、それは瞬間感じられた春の風にさらわれる程、本当に小さかったのだけど──それでも、この人との初めての会話の締めくくりとしてはきっと上出来なのだろうと。その時は素直にそう思えたのだった。


ちなみに。
半ば強引に二つのお弁当箱という人質を押し付けておきながら、昼休み終了を告げるチャイムが鳴ってもちーちゃんと波多野くんは戻っては来なかった。

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