高校の入学式当日、敷地内のそこらに植えられた桜の花びらがそれは見事に舞っていた。季節のものだから当たり前なんだけどあまりにもテンプレートな光景過ぎてああ、私の高校生活もこんな風にベタになるのかななんて虚しい考えが過ったものだ。
いざ式が始まると校長先生に続き在校生の挨拶とやはりありふれた内容でうん、うんやっぱりこの辺りからもうテンプレートな展開なのか。まあ仕方のないことだけども。それにしても、今日ってあとどれくらいで帰れるんだろう……なんて考えている内にいつの間にか重くなってきていた瞼は自然と閉じられて、春の陽気も相まって危うく眠ってしまいそうな程には退屈な時間だった。
暫くそうして目を閉じたままでいると今度は新入生代表挨拶、とのマイク音声がぎりぎり理解できるくらい遠い意識の向こうに聞こえてきたので、いよいよこういう式典時の挨拶の多さに嫌気が差してきた。このまま目を閉じていても、まさか私だけピンポイントで叱られることもないだろう……と、自分の中の悪魔に誘われるまま無意識的に首が傾きかけた──まさにその時だった。きっと周りの子達の殆どが、目こそ瞑っていなかったにせよ私と同じような状況だったのだろう、何百といる人数が嘘のように静かだったその空間が突如変化した。ざわざわ、とまではいかないまでも、大人しく着席している生徒全体がうっすら浮き立つ雰囲気が沸き起こった。突然のその変容に思わず目を開いて顔を上げると、丁度一人の生徒が登壇する姿が見えた。

「──……」

視力に特に自信はない、が、かと言って悪いわけでもない。恐らく平均的な見え方をしているはずだ──そんな私の瞳が捉えた先の人物は間違いなく代表挨拶を行う為に壇上に置かれたマイクの前に立った。その姿を見て、そうしたらつい今しがたの周囲の反応の意味が理解できて──思わず息を呑んだ。

「……」

この時の“彼”の姿、私はきっと忘れられない。直感的にそう思った。
“彼”は一礼してからマイクに向かって話し始めた。何を見ることもなく坦々と紡がれていく言葉は正直、如何にも聞き慣れた文句だった、が、その流暢さと真っ直ぐに前を見つめる姿はあまりに綺麗でどこか繊細ですらあった。そして、こう感じていたのはきっと私だけではないとそんな風に思ったのは、“彼”に目を奪われた全校生徒の反応として起こったあの数分前の小さなどよめきの余韻が“彼”が全てを終え降壇するその時までも残っていたからだ。
そうして式はまたありふれた目次を形式的に辿る。今度は保護者代表挨拶とのことで、その場に強い印象を与えた“彼”の存在も所詮はテンプレートな流れの一部に過ぎなかったのだけれど──それでも、“彼”と入れ替わりで誰だかの保護者が登壇するのを見つめる私の瞳はもう閉じられることはなかった。結局それから一時間程でようやく解散と相成るのだけど、その間ずっと私の中には“彼”に対する妙な気持ちがあり続けて──平たくいえば“一目見て相手に惹かれてしまった”と、で、あれば所謂良く聞くところの……アレ、なんだろうか。──と、瞬間的感覚的に感じた想い、……だったのだけど、こんな気持ちはこれまで生きてきて経験したことのないものだったから、正直即座に正しいとも思えなかった。
──そして。この時“彼”が挨拶の終わりに告げた自身の名──後に高校生活を過ごす中でそれは何度も聞くことになる。クラスは違ったけれどもそれでも事あるごとに“彼”の名は耳に届いた。入学当初から私達新入生の間で、いやもしかするとそこに留まってはいなかったかもだけど──何にせよ“彼”は各所で話題に上る存在だった。


本格的に高校生活が始まると、同じクラスの千崎千歳さんという子と仲良くなって良く行動を共にするようになった。千歳ちゃんだから“ちーちゃん”と、その子のことをあだ名で呼ぶようになるまでに色々な話をした。
彼女には別のクラスに恋人がいた。波多野くん、と初めて紹介された時は正直少し意外なタイプだと思ったけど、話してみればその人は見掛けに依らずの所謂ただのイケメンだった。親しくなるにつれ、どうして彼女が彼とそうであるのかはわかるような気がするようになっていった。
ある時この二人の昼食に“お呼ばれ”した。折角の恋人同士の時間に邪魔じゃないかと思ったけれど、集う場にはもう一人、波多野くんに連れられてきた男子生徒がいた。知っている人物だった。いや正しくは“私が一方的に見覚えのある人物”だった。
中庭で四人向き合っての昼食は、主には恋人同士の自然なやり取りを耳にしながら時が流れていった。こういう時、普通どうするのが正しいのかは知らないけど、最初にこちらから求めなかったからか“彼”とは特に自己紹介をし合うこともなかった。
私がご馳走さまでしたと手を合わせるのと殆ど変わらないタイミングで三人の手元もすっかり綺麗になっていて、さてあと残り時間はやっぱり恋人二人の為に立ち去ろうか……と、そう思ったのだけどその考えは思いもよらず叶わなくなる。
「千崎さぁん」と可愛らしい声が中庭に響いた。ちーちゃんはそれに「どうしたの?」と振り向く。声だけでなく容姿も可愛らしいその子はちーちゃんの所属する美術部の知人だった。彼女は「探したよお」と、小走りでこちらまで駆けてきたため少し肩を揺らしながらその理由を話し出した。何でも、放課後部活動開始までに部室の用具の整理を、と顧問から言い付けられたらしく、けれども自分以外の物まで勝手に手を付けるのはさすがに憚られて……とのことだった。それを聞いたちーちゃんは「ん、わかった」と彼女に答えるとこちらに向き直った。

「ええと、そういうわけだから、ちょっと今から行ってくるね」

事情を聞いていたからうん、と一つ頷いて、そうしたらちーちゃんは「じゃあ」と立ち上がる。と、波多野くんも「俺も手貸してくる」と立ち上がろうとした、ので、二人が去るなら私もとそれに続こうとした……のだけど。

「ああ、わかはここにいてくれる?すぐに済むと思うし」
「え?」
「だな。あ、戻って来るまでそれ見といて」

波多野くんがそれ、と指差したのは彼とちーちゃん二人分の空になったお弁当箱だった。校舎に入るならもう持っていけば良いんじゃと一瞬思ったけれど、それを言葉にするより早くちーちゃんと波多野くん、それに声を掛けてきた彼女は立ち去ってしまった。……まあ考えてみれば美術室はここからそう遠くはないし、本当にすぐ、五分程度で戻ってくるつもりということ、なのかな。

──さて。残されたのはお弁当箱だけではなかった。ほぼ初対面の私と波多野くんの、ええと、連れ、?……え、なにこの状況──?

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