今の季節、正に夏の終わりと言える時期だ。日中はまだ充分暑いのに、夕方、それこそ下校時に歩きながら感じる空気は真っ盛りのそれとはもう別物。昨日波多野くんに付き合ってもらったお店、また行きたい、が、これからは寒くなる一方なわけで……まあ、寒い日のアイスクリームというのも嫌いではないけれど──とか、こんなことは正直どうだって良い。昨日のこと、といえばもはや私の中に残るのはただ一つ、別れ際波多野くんに言われた言葉だった。


“いつまでもうだうだしてると──”


「……わかってるけどさぁ……」
「君が何をわかってるって?」
「、み……っ」

心臓が跳ねた。肩も震えた。

「“み”?見、身?それとも耳か」

……人を驚かせておいてよくもまあぬけぬけと。ああ腹が立つ──

「……み、」



──昼休み。
食べ終えたお弁当を片付けて時計を見ると、残りはあと十五分程。今日はどうなのかな、と目の前で同じように包みを結ぶ親友に目をやると「まだ時間あるね。わかも、おいで」と軽やかな笑顔を向けられる。
「やったあ」とか明らかな喜びは表に出さず、席を立つ彼女の後に続いて向かうのは二つ隣の教室。がやがやと騒がしいその扉をくぐれば、彼女の彼──波多野くんが、いつも通り自分の席に着いていた。至って普通、ごく当たり前に「よう」とこちらに気付く彼に「今日はどう?」なんて彼女も自然に返すものだから、もはや一介の高校生カップルの域を超えて夫婦の風格染みたものすら感じる。いつものことだ。
そして“いつものこと”と言えば、そもそも何故ちーちゃんはこんな貴重な時間にわざわざ私にまで一緒に行こう、と声を掛けてくれるのか──簡単だ。彼女は私の“彼”に対する想いを知っている。ただでさえ女神のようなちーちゃんの、私に対する優しさというわけだ。で、あれば恋人同士の時間を邪魔するなんて趣味は当然ない私は自分の目的、波多野くんのその周りに目をやり“彼”の存在を真っ先に確認する。そして先の通り、仲睦まじい二人の会話に水を差すつもりなどこれっぽっちもないからその“彼”が近くにいない場合はすぐに席を外すことにしている。そうなった場合の行き先は決まっていて、丁度校舎の端に位置するこの教室をすぐ外に出たところ、別校舎に繋がる外通路の階段踊り場。“彼”の姿は少なくとも教室内には見えなかったので結局、今日も今日とて早々とそこへ向かうことになった。


そして戻る。冒頭へ。


「……三好くん」

階段の手摺に肘ついて物思いに耽っていたらついさっき探した時にはいなかった、まさにその人に後ろから声を掛けられた。が、正直に言うと全くの想定外の状況というわけでもなかった。昼休みのこの時間、私がちーちゃんとそうするように波多野くんと昼食を共にするという三好くんもまた、見掛けによらず二人に気を遣ってこうしてそれとなくここに来ることは少なくない。……それでも今日は、昨日の波多野くんのあんな台詞を思い出していたところに丁度現れたから驚きを隠せはしなかったのだけれど──

「なあ」
「な、何?」
「一つ聞いて良いか」
「……どうぞ」
「君は一体いつから波多野の彼女に成り代わったんだ?」

……。

「……わかってるくせに、何その言い方」

あまりに馬鹿馬鹿しくて悲しくもならない。脱力さえしない。

「目撃情報多数」
「……だから、わかってるくせに何なのってば」

三好くんのこの口振り、昨日の放課後のことを言っているのは嫌でもわかる。大方「波多野くんと若宮さんが二人でカップルとして──」「あれ、でも波多野くんって」「相手が若宮さんならむしろ千崎さんも承知の上でしょ」「そういえば美術部、今月はコンクール出展の締め切りで忙しいって──」……みたいな、一から十まで全て見透された噂ですらない生徒達の会話でもどこかで耳にしたのだろう。何て当てにならない“多数”だ。というか皆だって知っててそんなことをとりあえずの会話のネタにするの本当に、質が悪い……。

「あれに割って入るのは諦めた方が良い」

手摺の向こう側、開けた校庭を眺める私とは逆に、三好くんはすぐ隣に来たかと思うとくるりと校舎側に向き直って手摺に背中を預けながら澄ました台詞を吐いた。そんなこと冗談でもわざわざ言われなくたって、この学校の生徒ならばやってやろうだなんて思う筈もない。ましてやその“あれ”の片割れは私の愛する親友なんだってば。というか二人が二人でいるのが同じくらい、もう私にとっても大切なことなのに。

「知ってるよ……もう、しつこいよ」

ついに溜め息を吐きながらもはや項垂れ気味に答えると、何故か三好くんも私につられたようにわざとらしい溜め息を漏らした。

「全く……君の奢りっていうなら僕だって付き合ってやったのに」

ああ、ああそういうこと。残念、波多野くん。予想外れてるよ。三好くん、意外と私と変わらないところがあるみたいよ。やっぱり、貰えるものは条件付きでも欲しいらしいよ。食い意地張ってたよ。

「えぇ……そこは三好くんが出すべきでしょ?男としてのプライド無いの」
「君が相手でどうやって男になるっていうんだ?」
「可愛いげのある女の子じゃなくてごめんなさいね」
「何だ、自覚はあるんだな」

ええありますよ、ありますとも。本当に──どうして私はこうも可愛いげもなく、好きだって思う貴方に対して素直になれないのか。頭ではそう思うけれど、止まらない。

「……三好くんだってねぇ、無駄に顔だけ良くてもそんな態度ならいつまで経っても彼女なんて出来ないんだからね!」
「別に欲しくない」
「意地っ張り」

何よ、モテるくせに。学年クラス問わずキャーキャー言われて、告白される回数だって知りたくもないのにいちいち耳に入ってくるんだよ。その度に心臓に悪い思いするのは惚れた弱みと言われればそれまでだけど、でもそれならいっそさっさと誰かとそうなってしまえとすら願うのに。何よ人の気も知らないで──なんて、全部勝手な言い分だ。わかってる、そんなことは。でも、楽になりたいと思っちゃうんだよ。一方的にいつまでも想うの、つらいんだよ──
そんな私の気持ちなんて知る筈もない三好くんは澄まし顔で言い放つ。

「何、意地だって?……馬鹿らしい、本心だ。……そんなものが欲しいわけじゃない」
「……へえ、そう」

そんなもの?
そんなもの、なんてそんなこと言うの?……なら“そんなもの”になりたい私は何だって言うの?

「三好くん」
「何──「馬鹿!」


……何なんだよ……」


彼の返事を遮ってその場を後にしようと駆け出した背中に微かに聞こえて来た声がやるせない。……ああ、やっぱり腹が立つ。何もこんな意地悪で掴み所のない人を好きになることなんてないのに。腹が立つ──他の誰でもない自分に、腹が立つ。

back


- ナノ -