「あ……」

廊下でばったりと波多野くんに出会したのはあの忌々しい出来事から二時間後。基本的には同じ建物内にいるのだから当然起こり得る事態なわけで、けれども避けたかった事態であるのも間違いなかった。

「……謝んねーぞ」

むしろお前が謝れとでも言いたげに吐き捨てる波多野くんも、決して清々しいだけの表情をしているわけではないのが何ともやるせない。

「別に謝ってほしいわけじゃないけど……」
「けど?」
「……」
「何だよ」
「……また気まずくなるの?」
「別に俺は構わないよ?話さなくたって困ることなんかなかったろ」
「……」
「何か間違ってる?」

間違っていないと思う。事実、気持ちの上では居たたまれなさを感じることはあっても、任務をこなす、または同じ機関で生活していく中でも特に不便なんてなかった。けど、だからこそこれはただの我が儘だ。

「……私は嫌」
「は?」
「私は、嫌だもの……貴方が良くても私は困る」
「……じゃあどうすんの」
「な、仲直りを」
「仲直り?」
「……しませんか」

波多野くんは私の言葉に一瞬目を丸くした。けれどもすぐにいつものどこか気の抜けた様な視線を寄越す。

「……そもそもさ」
「な、何」
「喧嘩してるわけじゃないだろ?俺達さ」
「まあ……そうね」
「なら仲直りっておかしくないか?」
「う……」

言われればそうなのかもしれないけれど、じゃあ何と表現すれば良かったのかわからない。波多野くんと……という以前に、こんな状況に陥った前例なんて当然なかったのだし。言葉に詰まる私から視線を外したかと思うと、波多野くんは壁に背を預け宙を見上げて口を開いた。

「俺、前はお前のこと好きじゃなかったよ。でもそれはお前だって同じだったよな」

好きじゃなかったよなんてきっぱりはっきり言ってくれるのがいっそ清々しい。それにわざわざ私に同意を求めてくるところも。下手な誤魔化しなんて通用するわけはないからこくりと小さく頷いた。

「……けどさ、今も別に好きとは言わないけど違うだろ」
「……前とは違うって?」
「だから実際お前からこうして声掛けてきたんだろ。お互い意識的に避けてた前とは違ってんだよ」

前は、以前なら。波多野くんと話すようになって何度も繰り返した推測は意味がないと思っていたけれども、それは少なからず彼の中でも行われていたらしい。尤もその結果どういう思考が繰り広げられていたのかは、彼以外の知るところではないけれど。

「前まではお前と必要以上に話そうとは思わなかったよ。けど今はそうも思ってない」
「……うん」
「それならなるようになれば良いってさ、そう思ってただけだ」

以前までの何がなくても言葉を交わさなかった私たちとは違うと、だから今回の様なことがあっても、いつか自然とまた話せる時がくるならそれで良いと、前の二人ではそんなことは有り得なくても、今の私たちならまた言葉を交わす様になると、波多野くんはそう思ってくれたのだ。

「波多野くん……」
「何だよ」
「私今感動してる」
「……そーかよ」
「あと感激もしてる」
「面倒くせえ……」

苦々しい顔を向けてくる波多野くんの正面に回り込んで、ポケットに突っ込まれていた右手を強引に掴んで両手で包みこんだ。

「……何だこれ」
「仲直り……じゃなくてこれからもよろしくのしるし」

握手のつもりで握り締めた波多野くんの手をぶんぶんと振ると、ぽかんとしていた顔を微かに緩めてふっと軽く笑った。

「こんなんで良いのかよ」

言うと、されるがままだった手をするりと少し引いて私の右手だけを握り返した。

「力は入れないでね?骨が折れるから」
「……お前ってすぐ調子に乗るのな」
「今度こそ喧嘩する?」
「いや良い。面倒」

既に面倒臭そうな顔はいつもの彼で、先のやりとりなんて存じぬといった具合に繋がれた手にぐっときつめに力を込められる。ねえ痛い、とこぼすとじゃあ良い加減はなせと返すのが憎たらしい。お望み通りぱっと手をはなすとああ、と意味ありげに呟く波多野くん。

「あと一つ確認しとくけど」
「ん?」
「さっきので惚れたとか言うなよ」
「……感触はね、まだ残ってるの」
「……」
「……」
「……言うなよ?」
「言わないわよ」

被せるように答えた。言わない、言わないわよ。
そもそもの事実として、波多野くんだってこの機関に籍を置く人間であってそんな人を好きになることなんて有り得ないと断言できる。……けど、こうして話すようになったら彼の良いところをいやと言うほど知ってしまった。だから好きになることが有り得なくても、嫌いになることだって、きっともう有り得ない。


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