今年の梅雨は長いようで、もう何日間続いているのかもわからなくなってきている雨が今日も相変わらず細々と降り注ぐ。屋内にいて、洗濯物さえ外に出していなければ実害はない。元々、雨は好きな方だ。


「良いな。時間を持て余してそうで」

所々に雨粒が落ちる音に混じって聞こえてきた声は、その皮肉めいた内容とは裏腹に良く通る澄んだ響きだった。“暇なんだろ”と声を掛けて来た彼もつまり、私と取るに足らないお喋りをする程度には退屈しているらしい。

「実際に、持て余しているわよ……外に少し、花が蕾をつけ始めたの、知ってる?あれに水でもやろうかとか、貴方のお嫌いな猫ちゃんの仕業で汚れた所を綺麗にしておこうかとか、色々考えていたんだけれど……」

晴れていればこその可能性であった。だって雨は大抵のものはそのまま流してくれる。
他にも気儘に出歩いてみるとか、まるで優雅に時を過ごすみたいなつもりで、スパイ活動とは一切関連の無いことで予定を埋めてやろうかと考えていたのだけれど、結局はそのどれも叶わない状況になってしまった。

「やれることなんて、探せばいくらでもあるけれど……そうやってやることって、これから先でどれだけが本当に必要なのかって考えると……何だか全てがそこまでではないって気になってくるのね」
「成程。持て余し過ぎてるな」
「思慮が深くなりすぎてるとでも言ってよ」
「しかし、それで言えばそうやって考え過ぎることの方が時間の無駄ってものじゃないのか?」
「まあね。いつ死ぬかも、わからないもの……あれこれやろうって考えているうちに、行動に至らなかったらそりゃあね、何よりの無駄ね」
「……面倒な話になるなら君に付き合わされるつもりはこれっぽっちもないんだが」
「良いじゃない。暇なんでしょ」

そう言うと三好くんは軽く息を吐きながらも、私の座る目の前に腰を下ろす。ほらやっぱり自分だって持て余しているんじゃない。

「ね、だからそうやって考えているうち、時代も進んで……年号だって変わって、取り残されていくならそれはもう救えないわよね」

そう告げると三好くんは「年号だって?」と鼻を鳴らす。

「こりゃあまた、大きく出たな。しかしまあ確かに、君みたいに大雑把な奴はついていけないだろうさ」
「何よ、そっちだって。そう言うなら、神経質な貴方みたいな人はさぞ生きづらい世の中になっていくのかもよ」

時代が進めば全て進化していって、人間にとってどんどん何もかもが便利になっていく。人はきっとそういう未来を選んでいく。大きく分けて雑な人に几帳面な人、どちらがよりそんな未来に適応していけるのかは、蓋を開けてみなければわからない。そう、わからないのだ。生き永らえて実際に、自身の目で見て知る以外には不可能だ。

「……フ、無意味だな。どうせどちらも生きてやしないんだ」
「ああ……そういえば、美人は薄命がどうとか言うわね。そうだわ、うん。それが正しいなら、そうね。とりあえず、出来る限り長く生きる気ではいたけど……少し、残念だわ」
「何だ。君、そこまで自己肯定の凄まじい奴だったのか」
「あら、結構逞しく生きているつもりよ?それに貴方が言ってくれないだけで、他からは結構評判良いの、私」
「君が都合の良い言葉だけ鵜呑みにする質ってのはわかるよ。まあ何だ、根拠の無い意地が醜いのは時代を越えても変わらないんだろうな」
「うん、やっぱり貴方みたいなひねくれた人は簡単には死にやしないわよ。良かったわね」
「別に嬉しくもないな」
「駄目よ、喜んで。そうしたら私だって、嗚呼あのひねくれ者はきっと生きにくいと思いながらこの世界のどこかにいる、なら私だって、ってつまらない諺に抗う気になるのよ」

麗人が短命だとかいう根拠を求める気にもならないけれど、というか、そもそもそんなことは何でもない。だって、人は必ずいつかは死ぬ。精神が化け物であっても、それを宿しているのが人の器ならば結局どうしたって朽ちゆく。例えどんなに優れているスパイだとしても、命の尽きる事実は平等に持ち合わせている……が、このD機関においてそれはあくまで一つの事実に過ぎない。
死ぬな殺すな囚われるな──単純ながら、決して容易ではない鉄の掟を遵守するために全てを賭けた結果を、機関員は何よりも優先する。そうして得たものに決して無駄なことはないと──そこにあるのは“信じる”なんて曖昧な感情以上の確信である。

「……まあお互い長生きでもすれば、いつかどこかで答え合わせが出来るのかもね」
「仮定だらけだな」
「素敵でしょ。運命に引き裂かれた恋人が、まるで今度はその運命によって再び出会うことを許されるみたいで」
「馬鹿げてる」

そう言って肩を竦める三好くんの呆れ顔を見るのはこれで何度目だろうかと考える。同時に、この先何度同じ表情を見られるだろうかと、そんなことを思う。
一人前のスパイとなった機関員はそれぞれ任務にあたることになれば、完遂するまでその地に留まり続ける。三好くんか、もしくは私だって命じられ、その時が来れば──ここを去っていく。そうなれば、もう二度と会うこともない。そうして離ればなれになっていつしか共に過ごした記憶も次第に薄れていって、けれども一つだけ、どうなろうとも確かなことは与えられた任務は必ずやり遂げるということ。任務の為に生きて、生き抜いてその先に国の未来を繋いでいく。紡がれる歴史の流れの中で、それこそ年号の一つ二つ変わるとしても、息を潜めたスパイ達はどこかで己の役割を担い続けていく。
“いつか”“どこかで”
そんな確証のない約束をするほど仲良しこよしなわけではないけれども、そうではないからこそ顔を合わせる必要もない。
“いつも”“どこかに”いさえすれば、機関員は必ず目的に到達する。今目の前にいるこの人も例外ではない。いつかこうして共に過ごすことのなくなる日のことを思い浮かべたら、胸のあたりがざわざわともどかしい感覚に襲われる。それを気取られないように呆れを残す表情に向けて「約束よ」と笑うと、三好くんは大袈裟に溜め息をついてみせた。

「君の為に生きるなんて御免だ」

うんざりだって言わんばかりのその本心は言葉通りならばとても喜べるものではないけれど、何故だか少し胸のざわめきが晴れていく気がした。


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