ふと、何の意味もない事を考える時がある。
諜報と縁の無い、ごく一般的な日本国民からすればこのD機関という組織の内部は凄まじく刺激的であるのだろうけれども、それも繰り返されれば只の“日常”になる。
機関員としての存在は、あくまで四六時中そうと演じているだけであって、一見面倒見の良い彼が実年齢は最年少である可能性とか、いつ見てもどこか気力の抜けているような彼は本当は誰よりも責任感が強いのではないかとか、答えなど出ないことをどうしようもなく思う時がある。そしてこれらは、このD機関で生きるうえで必ずしも重要な要素にはなり得ない。


「やあ若宮。良いところに」

何でも無い午後、何の気無しにふと思い立って書庫に向かうと先客がいた。

「あら、何か私が貴方のお役に立てることでも?」

田崎くん、と呼び掛け尋ねてみたものの、扉を開いて彼のその姿を認識したと同時に求められているものは理解出来た。

「いやあ。どこにやったかな」

にこにこと朗らかな調子で言う田崎くんの口元には見慣れた銘柄の煙草が揺れている。だけれどそれはただそこに“ある”だけで、その先端は火を宿すこともなければ煙を上げてもいなかった。

「朝はね、確かにあったんだけど」
「……」

卓上に置かれた分厚い本をわざとらしく捲りながら取り繕う彼に、大袈裟に首を振りながらマッチの箱を差し出した。


「……何だか貴方って、妙なところで抜けてるわよねえ」

受け取ったマッチで手早く火を擦り起こす田崎くんを見つめる。「そうかな」と特に否定もせず、彼はまともに目を通してもいないであろう本を閉じた。

「“お仕事”はきっちりこなすじゃない。そのくせこういう何でも無い時は割りとぼーっとしてるところ、あるわよ」
「そう?」
「うん」

あくまでも私の認識の範疇、感じ方一つと言えばそれまでなのだけれど、機関員の中でも物腰なら柔らかく見せている彼は訓練や任務外の日常生活の些細な瞬間、まるで全てに頓着を示さない無機質な空気のようにふっと存在を霞ませることがある。何事にも執着しないそれは自分自身に対してすら興味を失うかのごとく危うくて──そのか細い危うさに、むしろ気を取られてしまうのだけれど──そうなった彼は化け物どころか、ともすれば一人では何も出来ない幼子のように頼りなく見えて、厳格な所作を求められる機関員とはかけ離れた存在になってしまっているように思えてならない。そして、全ての機能を停止したまるで機械みたいなそんな姿を眺めているとやがて彼に気取られて、私と視線を交わす瞬間に、今度は自らの意志で再起動するかのようにふっと笑って、再び“機関員としての田崎”に戻るのだ。
一度限りではないそんな姿を思えば、周りがどうとか、そんな相対的な見方をしなくても田崎くんという存在は細く儚くて──なら、実は一番ここの性質に合っているのかも知れない──これだ。意味のない思考、また顔を出した。その傍らで、田崎くんが「うん、」と短く唸る。

「うん、……なら、そうなるのは誰からも“必ず”が求められない場合、かな。ハハ、性分だね。いけない」
「……まあ、任務に差し支えなければ構わないんじゃない」
「そう、良いかな?」
「多分ね」

自分から言い出したくせに、結局随分と大雑把に結論付けてしまった気もする。田崎くんの調子が移ったかな、なんて失礼なこと思ってしまうけれど私のそんな心情なんて露知らず田崎くんは「そうか」と、にっこり笑うのだった。

「……それ、あげる。今度は無くさないようにしてね」
「君がそう言うなら“必ず”だね。大丈夫。ありがとう」
「どういたしまして」

何でもないことを思って、気の向くままに何にもならない言葉を交わす。その時向き合う相手は誰であっても規格外の化け物で、だけれどまるで外の世界と変わらないものだってここには確かにあるみたいだ。必要不可欠ではないから、無駄だから。とたとえ切り捨ててなかったことにしても支障など生じる筈もない思考感情をそれでも、考える間もなく預けられる関係ならばそれはそれとしてあっても良いのではないかと──

「……あ」
「うん?」
「ハハ、」
「……ああ、……見つかって良かったわね」

突然拍子抜けしそうな声をあげた田崎くんの、その表情から──辿って、彼がおずと差し出した掌に、つい今彼にくれてやったものとは別の小さな箱が現れた。躊躇いがちに、きまりの悪そうに目を合わせてくるところを見ると失くしていたのは本当なんだろう。大方また手癖で、彼自身も無意識の内に、それこそ手品の仕込みでしか有り得ないようなところに潜ませてしまっていたんじゃなかろうかと思った。

──ほら、ね?そういうところよ。

気まずく視線を交錯させたまま胸中の声を伝えるように少しだけ眉をあげてみせる。すると田崎くんはやむ無しと反対に片眉を下げるのだけれど、ふと気付き見たその掌には最早、小箱のあった気配すら残ってはいなかった。


 
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