機関では様々な訓練が行われる。そのいずれもスパイ活動において求められる技能を得る為に必須であって、無駄なことなど一つたりとも存在しない。


全身を覆うのはどことなく張りつめた空気。
現在この国で“それ”を所持し扱うことの可能な人材が限られているのは当然で、この機関がその範疇にあるかと言えば単純に肯定出来るわけでもない。それでも、かの魔王様からのお達しならば機関員はただ実行するのみ。で、あれば伸ばした右腕の先、離れた的にその照準を合わせて──一先ず指先に力を込める感覚だけ、頭の中に思い描く──と、その重さにずしりと、構えた腕を押さえ付けられているような気がした。

「──……」

自らの手で組んだ拳銃。スパイと言えば必需品のようで、だけれどいざ任務で役立てる場面は果たしてこの先訪れるのだろうか。迷いのような疑いのようなそんな曖昧な思いを抱かずにはいられなくて、丁度肩の高さで水平に保っていた右手を静かに下ろした。

「……実際に使う機会はあるのかしら……」

思いはそのまま言葉になって溢れ出る──と、ほぼ同時にバァンバァンと立て続けに二度爆音が響く。

「……っ!」

思わず息を呑んで反射的に音の発生源を目線で辿ると、まさにその銃声を響かせた人、実井くんが「うーん」と首を捻っていた。

「やっぱり動かない的じゃあ、なかなか掴みづらいですね」
「……」
「君もそう思いません?」

ね?と同意を求めてくる実井くんには答えずに彼から更に目線を流す。その先には、それぞれ右肩、左肩にあたる箇所に穴が空いている先程まではまっさらだった筈の標的を模した板があった。

「……お上手」
「及第点ですか?」

どころか一発合格ものだと思う。あ、いえ二発か──何にせよ、彼には私のような迷いはこれっぽっちも無いらしかった。

「……いつ実戦になっても貴方は問題無さそうね?」

何だか嫌味っぽくなってしまった私の声を特に気にする様子も無く、実井くんは「そうですか?」と満更でも無さそうな表情を見せる。

「だからまあ、ほら。そもそも機会があればって話よ」
「機会、ね。確かに」
「ね」

何と言っても死ぬな殺すな、だ。そうでなくても現代のこの、“慣らされている”とでも言うべき平和的民間人の行き交う通りを拳銃を手に駆け回るなど目立って仕方のない愚行であることは考えなくたってわかる。

「ま、何にしたって使わないに越したことないですよね。こんな物騒なもの」

その辺りは当然実井くんだって理解している。だからそんなことを呟いて──なのに、その言葉の割に彼はどこか愉しげに再び引き金を引く。次の瞬間には乾いた音が鳴り響いて、銃口が向けられた先、左右の上部に穴の空いた的の、今度は中心部にまた一つ小さな穴が開く。それを確認した実井くんはふふふと満足そうに笑うと、銃口から漏れるか細い硝煙をどこぞの国の映画の一幕みたいにそれっぽく軽く吹き流した。

「……実井くん楽しそう」
「うん?まあ、訓練ですから。やれと言われたならやるだけですよ」
「……」

ごもっともな返答にもう何を言う気も起きなかった。
……そう、訓練なのだ。あくまで訓練と、そう思っていたのだけれど──それから暫くのちに、この時の“訓練”が“実戦”で生かされたと聞くことになる。
以前より実井くんが潜り込み密かに内情を探っていた案件が大きく動いたことでその任務は実行されることとなり無事に果たされた、と。その過程で、彼はたった一発の銃弾で見事に事を成したという。当然死ぬな殺すなの規律は守られたうえ、現場には我等が絶対の魔王様も居合わせたというのだから感服しきりである。
「実井の奴、ありゃあ相当楽しんでたな」とは、同じ任務に就いた神永くんと波多野くんの話。二人とも実際にその瞬間を目撃したわけではなかったけれども何でもその“銃声を聞いただけで分かった”らしい。音だけで理解が可能なんて、実井くんときたらどれ程──「使わないに越したことはない」とは何だったのか……ともあれ同行した二人の言葉に偽りがないのなら、私も彼の弾む胸中を乗せたその銃声を是非ともこの耳で直接聞きたかった。


 
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