良く文字を追っているその目は大きくて綺麗だと見る度に思う。
吸い込まれそうな瞳とは良く言ったものでまさにそのまま実井くんのことを形容しているようだけれど、彼の場合それが必ずしも綺麗な意味で表されるとも言い切れない、と個人的に思うところがある。


「……きっと実井くんは、逆ね」
「はて、逆とは」

今日も今日とて書物に視線を落とす実井くんの横顔にぽつりと呟くと、彼は伏せていたその瞳をこちらに寄越した。

「ごめん。言葉足らずだった」
「ですね」

私の謝罪に対しては特に何も返さずに、ただにこりと同意の微笑を浮かべる実井くん。色素の薄い肌に映える二つの丸い黒は縦に大きく、まるで愛らしい瞳はやっぱりそのまま“吸い込まれそう”だと言って正しい……が。
見たままの真実ならばそれで間違いなくて、しかしながらその裏側──あくまで私の個人的見解なのだけれど──“実井くん”としての彼の瞳は、まるで色を持たないように見える。
スパイとして敢えて己の色を消し去り隠すというのならそれが正解で当然だけれど、彼においては任務に当たっている瞬間、まあ私がその場面を目の当たりにすることなどこの先あるのかも不明瞭だけれど──それでも端的に、遠慮無しに言ってしまうならば──……

「そうね、普段の貴方は何を見ているのかわからないってこと」
「うん?もっとはっきりと言ってくれて構いませんよ」

放った言葉の意味合いを一から全て説明しようと思えばあまりに長ったらしくなりそうであるのと、そのくせ随分と自己中心的かつ短絡的な思考のような気がして憚られた。何より、読書中の彼に何の気無しに投げ掛けたものだからそれに水を差してしまった申し訳無さというのを、些かながら今になって感じている。

「んー……」
「若宮?」

先を促されるのもやっぱりその為であるような気がして、なるべく簡潔に整理された答えを模索した。

「……うーん、任務中よりも普段の貴方の方が、もしかしたらスパイらしいんじゃないかなって」

あくまで推測、あくまで個人的観測。……けれど全くの的外れということは無いと。得るものも失うものもない賭け事みたいな発言をわざわざする気は、ないもの。

「……それでは不充分だと?」
「まさか。そうじゃない」

不充分なんて、むしろ完璧にこなしているのを自負しているくせに、嫌味にしてもこの人の場合は遠回しにすら感じない。
吸い込まれそうな彼の瞳、は、目を合わせた者の内に秘めた情報を絡め取るばかりでは満足せず、そこに在るあらゆる事実から偽りといった生者ならば持つ全ての意識感情まで、を、まさに吸収してその漆黒の向こうに葬っているとさえ思える。で、あるから“逆”なわけで、おそらく任務に当たっているカバーの上の瞳はそんなものとは全く無縁の純粋な意味での、そうまるで“愛らしい顔付きに浮かぶ穢れを知らない程に美しい──吸い込まれそうな瞳”なのだと。
ただそうなると普段の実井くんがまるで穢れきっているみたいな、そんな彼にとって不名誉なのか、はたまた名誉か──どちらにせよ他者にどうこう言われる必要もないことだけれどそれでも、だ。

「まあ、ほら。天職なのかもね」

孤独の闇を行くスパイはけれどもそこでさ迷ってはならない。ならばその漆黒すら味方に付けて操るまで、とか、結局は彼に対する私の過度な評価に過ぎないのかも知れないけれど、それでもその本質が化け物であるならば過度というのもまた過小評価でしかない。

「光栄ですね」

己以外信じていないくせに、他者からの誉れなんて大した喜びでもないくせに。……まあそれを理解していながらわざわざ言ってやる私も私なのだけれど──だって、ああそうだ、確か──

「確か前にも似たような事を言ったわね?」
「ええ。前にも似たような事を言われましたね」


にっこりと緩やかに弧を繕って、実井くんの瞳は整った睫毛を備える瞼の裏に隠される。只でさえ色彩を纏わない瞳だというのに更にそれを仕舞い込んでこれ以上に何を悟らせまいとするのか、必要性すら感じないのを軽々と越えてみせる……ああ、つまりはそういうこと。何度だって確認してしまう程、この笑顔は彼にとって生まれながらに与えられた武器なのだということはもはや揺るぎない事実で、けれど、だからといってそれだけではないのだ。たった一つの確かな事実、それだけで全てを納得させてしまうこの説得力こそ、一見親しみやすい外見の中に化け物を飼い慣らしている証拠。実井くんの場合はそれがあまりに強力で明確で、きっと本人だって自覚があって──それを自負心なんて一言で片付けてしまうには恵まれ過ぎている、と思う私のこれもまた、以前彼に指摘されたのと同じく“無い物ねだり”だと笑われてしまうのだろうか。手に入れられないものを欲しがる程貪欲なわけではないと、自分ではそう思っているつもりなのだけれど、ただ──“狡い”と。そう思ってしまうことはやっぱり私が化け物ではない証明で、一つだ──たった一つ、それだけは──間違いないのだ。


 
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