「ところで、ねえ三好くん。貴方は人生って長いと思う?それとも短いものだと思う?」


大層嫌がる彼を無理矢理に連れ出して、人も車も多く行き交う通りを逸れて細くなる横道に入ったところでこんな話題を切り出したのは、長年寄り添い共に生涯を歩んできたと見える老夫婦とすれ違ったからだった。

「君は?どう思う」
「……分からないから聞いてるんだけど……」
「そう思ったから聞き返してる」

しれっと宣う端整な横顔は相変わらず小憎たらしい。……けど、それを理解していて私だってこの人に聞くのだ。何も無いところから彼独自の思考を求めているわけではなくて長いか短いかって二択で尋ねているのだから、聞く人が違えばすぐにでもどちらか返してくれそうなところをわざわざ遠回りするような人を選んだのだって、理解しているのだ。

「……私はねぇ、」

それでも尋ね返された場合の答えなど予め持ち合わせてはいなかったから、己の質問に対して己で考え得る解答を思案しながら歩みを進める。

「……ん、そうね、うん。楽しければ、長く過ごしていたいと思うし。そうじゃなければ短くたって構わない、かな」

本心だった。要は気の持ちようとすればそれまで、というのをこうして言葉にしてみてはじめて自覚した。そして、こうやって思い至ってみれば何とまあ取り留めの無い質問をしたのだろうかと何だかとてつもなく腑抜けた気分になった。

「極端ですね」
「そうかもねぇ」

思えばいつだってこうだ。私が何か答えを欲する時、または何かに迷う時。三好くんはこうして、私自身も見ていなかった己の思考を浮かび上がらせてくれる。今のような至極どうだって良い問いですらそれは成立するし、そしてこの事象は彼の意識により仕組まれるものなのか、もしくは単なる偶然なのかは到底理解出来るところではないのだけれど──

「……ならば、今は?どう思ってるんです」
「え、?」

はた、と。

「君にとっての今だ。長く続いて欲しいのか、それとも終わってしまっても良いか。どちらだと思ってる」
「……私の、」

──“今”?

「そう。君の」

……今。“D機関”という特殊な場にいる今この時──そんなの、

「……今はね、楽しいわよ。……ん、すごく、ね。……楽しいわ」

今。特殊だって何だって、この機関で過ごしているのは楽しくてともすれば幸せで、とは言え本来そんなに呑気な居場所でないのは理解している筈なのだけれどそれでも、だ。化け物ばかりの揃う機関で都合の良い存在としても、そんなことは──補って余りある程、私は今のこの立場に不満など感じていない、間違いじゃない。

「本当に、うん、……間違いないわ」

……けれど、間違いじゃない、から、そうであるから──目を背けることの出来ない事実──も、また確かに存在する。
“今”を突き詰められたら嫌でも浮かんでしまう事実が、ある。そして、逃れられないその現実的な運命は私自身ではなく──

「……その割りに歯切れが悪いのは」
「……」
「何故?」

……三好くんの、こういうところ。自ら話を広げておいて、最終的には私が追い詰められるところまで全ては計算済みで、ならばもうその答えだってきっとわかっていて敢えて聞くのだ。……ああ、そういうところよ。

「……」
「何故」
「……だって……」

だって──続かないじゃない。貴方も、皆も。いつかは去ってしまうと──分かっているじゃない。続かないと分かっている幸せだからやるせなくてやりきれなくて、だからこうして貴方に聞いているんじゃない。偽りとカバーにまみれた空間における只ひとつの紛れもない、変え様の無い事実じゃない。
この人が居なくなってしまうのは明日かも知れない。明日の朝には見る影もなくなっていて、だからと言って残された者はそれについて何かを語るわけでもない。だって、居なくなるのだ。存在が消える。ならば言えないじゃない。貴方が──

「若宮」
「、っ」

意識、が。三好くんと今隣り合わせに歩く意識がここではないどこか彼方へ紛れ込みそうになるところを名を呼ばれ手繰り寄せられる。ハッとその声につられ彼を見ると私と違い決して惑うことなどない瞳がこちらを見据えていて、赤い唇が徐に開く。

「珍しいこともあるな」
「……何が?」
「君の意見に概ね同意します」

……言いながら、彼の方から目線を外しその瞳は再び前だけを見つめる。そうしていつも眺めている彼の綺麗な横顔をこの目に捉えたら安心して──……いえ、残念ながら今はそう単純には思えない。

「そう、……意見が合うなんて光栄だわ」
「けど、まあ。どちらにせよ、今は死ぬなと言われてる」

大魔王様からの守るべき指令。絶対的に強大で、背くことは許されない。であれば何があったって、この人はきっとやり仰せてみせるのだろう──化け物め。

「……ん、そうね」

目を伏せて相槌を打てば、かつんかつんと地面を鳴らして進む己の足がやたらと頼り無く見える。情けなさとは違うやるせなさの正体は理解しているつもりだ。……ああ、自分の事ならば幾らだって、どうとだってもがくのに──こうしてどうにもならないことを恨めしく思うからきっと、私は中途半端に人間なのだ──けれども、この人は違うから。
逆境さえも手玉に取れる彼が進んでいくのは、今私達が歩いているこんな平坦な道ではない。真昼の、人が歩くために整えられたこんな単調な道とは似ても似つかぬ厳しい道を、たったひとり。留まることもなく振り返りもせず、己の力だけで切り開き進む。スパイとしてというのなら、お国の為に。けれど、そもそもスパイとして生きていくと決断したのは他でもない、人間であるこの人だ。スパイである前に人として、彼は何よりも彼自身の為に化け物の道を行く。止めることなど不可能。だってそれは貴方の宿命で運命で──……ああ、それでも──

「……三好くん、」

人を捨て、化け物となった彼の名が口をついて零れる。どこか無意識で呼んだ空の声に彼はちらりと横目だけ寄越した。……かと思えばまた直ぐその視線は前を向くから、碌に目も合わない。狡い人だ。隣にいて尚、こんなにも遠い。
それでも私は彼をせめて、と目で追ってしまって、そうして見つめる先の三好くんが三好くんであればある程儚くて──悲しくて苦しくなる。……だって、ねえ。

「他人事みたいな顔してるけど。君だってそうだろ」
「……え」
「死ぬな殺すな囚われるな。君だってやってみせろよ」
「……」

……ああ、そんなことはわかっているわよ。見くびらないでよ──化け物では無くとも生きなければならない。どちらの方が楽な道か、なんてそんなことはどうだって良い。同じことならば──

「言われなくても……生きていくわよ、ここで」


貴方がいなくなってしまう事実を私にはどうすることも出来ないのなら、結局はそれしかないのだもの。この場所で、生きていくしかないのだ。今あるものから多少形が変わっても、そんなことは何でもないという顔をして。それこそ気の持ちよう一つだと言うのならば、尚更──言葉になど出来る筈ないじゃない。


“貴方がいないと楽しくないわ”


なんてそんなことは──言えないじゃない。


 
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