ここまできてもやっぱり冗談だと思いたかった。けれども現在、入浴する準備を終えて脱衣所に立つ私の隣には既に背広を脱いで腕捲りをしている彼がいる。冗談ではなかった。

「ねえ」
「はい?」
「本当に本気なの」
「……しつこいな」

何度確認したってしたりないこと、やっぱり最後まで抗ってしまうのは事が事だけに仕方がない。
食堂を後にして、自室で入浴の支度を終えてからここへ来る途中の廊下で丁度佐久間さんとすれ違った。私の右手を見た佐久間さんにどうした?何があったと聞かれ、いえただの浅傷です、と告げると一歩後ろにいた三好くんがそういうわけでこれから彼女の入浴を手伝いますので、とわざとらしく私の腰に手を回した。彼の言動に一瞬目を見開いて口をぽかんと開けた佐久間さんはハッと我に返って、なっ、なっ……とわなわなと震え出した。そんなの少しも気に止める様子もなく、というよりむしろその狙い通りの反応を得た三好くんにさ、行きましょうと浴室へ促されるままに来てしまったのだった。


「佐久間さんまでからかったりして」
「お堅い頭には良い薬でしょう」
「……明日が恐いわ」
「楽しみの間違いでは?」

鼻唄でも歌い出しそうな三好くんを疎ましい思いで見つめるとそれよりも、と呆れた声が掛かる。

「早くしてくれません?僕に風邪を引けと?」
「思ってないけど……」
「別に襲ったりなんてしませんよ。余計な心配はいらないので良いからさっさと脱いで下さい」

何でちょっと怒られているのか本気でわからない。むむと口が尖りそうになるのを抑えて、シャツの一番上の釦に手を掛けた。

「……」
「まだ何か?」
「……見ないでよ」
「見たくもありませんが」

気付けば既にこちらに背を向けてぴしゃりと言い放つ三好くんに若干の殺意を覚えた。死ぬな殺すな、が無ければ今頃首を絞めていたかも知れない。


上から下まで着ていたものを全て脱ぎ去って、浴巾を胸の上から巻き付ける。浴室の扉に手をかけて首だけちらりと彼の方を振り向く。

「ねえ、せめて明かりは点けたくないんだけど」
「ご自由に……」

そんなものどうでも良いから早くしろと言いたげな怠そうな声色。何と言うか、三好くんこの状況にもう飽きているんじゃないだろうか。
結局私のこの予想が当たったのか何なのか、三好くんは終始紳士的だった。紳士的に私を誘導し紳士的に私の負傷した手の届かない箇所のみ迅速に洗い、今はさっぱりと綺麗になった私の髪を紳士的に纏め上げている。入浴を手伝う、というその言葉以上の事が起こる気配など皆無であって、いよいよ彼の目的がわからなかった。

「……貴方って良い人なのか嫌な人なのかわからない」
「は」
「てっきり私をからかって楽しむつもりだと思っていたんだけど」
「はあ」
「違うの?」

溜め息の様な相槌は相変わらず心底面倒そうでもう何を言う気もしなくなるのだけれど、沈黙という状況もなるべく避けたい事態ではある。三好くんはこれでいて基本的には良く話す質であると思っているから、彼が敢えて言葉を絶つ時は何か口にする以上の意味を持つ気がするのだ。

「若宮」
「うん?」
「君にとって良い人間の対義は嫌な人間なんですか」
「え」
「普通なら良いの対義は悪いだと思うんですけど」
「……細かいわね」

そう言うものの、こうして変なところで突っかかってくるのも今に始まったことではない。彼の本質、もしくはそれすらカバーであるのかもしれないけれど、少なくとも私の知る彼は、いつだってこうだ。

「それで?」

誤魔化したつもりなんてないのだけれど、はっきりした答えを欲しがる素振りで促す彼にはただ本心を告げてやる。

「……そもそも貴方を悪い人とは思ってないもの」

有るが儘、まさに本音のそれ以上でも以下でもない私の根本。時に嫌な事を言われたりされたりする事があっても、彼に対するこの解釈が揺らぐことは無い。

「……ふ、」
「何よ」
「根拠は」
「え?」
「僕が悪い人間ではないという根拠は?」

私の髪に触れていた三好くんの手が次第に下へ辿り首筋に達してするりと腕を回され、捉えられた項にわざと吐息を吹き掛ける様に彼は囁く。

「……このまま無理矢理君を抱くかも」

……まるで善人とは程遠い台詞を呟いてみせるのは試しているつもりなんだろうか。けれども私の先の言葉だって軽々しい出任せなんかではない。

「……襲わないって言ったじゃない」

前を向いたまま答える。と、少しの間を置いてから彼はふっと鼻だけで笑んでみせた。
例えば、私から求めてみせれば彼は恐らく躊躇無くその手を更に深くまで伸ばす。けれども同時にこうも考える。

“それでどうなる?”

抱いたって、また抱かれたって構わないのだけれどそうなった先にはきっと何もなくて、事を終えた瞬間私達の関係に何か変化があるのかと言えばそれには恐らく否定的な答えしか導き出されない。

「……つまらないな」

一言、ぽそと呟く三好くんはようやっと私の首に回した腕を解いた。

「そうよ。私って存外そうなの」
「存外?……過大評価だ」

君ってやっぱり自己認知がずれてますよねとさらりと吐き捨てながら三好くんは立ち上がる。ちらと肩越しに振り向いて目が合うと、あとは自分で出来ますよね、それだけ告げて浴室を出ていった。


 
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