怪我を負った今日とて福本くんの御飯は美味しい。
右手甲の痛みはじわりじわりと次第にその存在感を増してきている。ので、暫くは左手で箸を持つことにした。フォークやスプーンなんかの洋食器の類いもこの機関には当然一式揃っているのだけれど、それこそ此処にいるお陰で利き手ではない方でもそれと大差ない程には扱える。ましてや何の変哲もないただの食事など、取り立てて難解というわけではない。


「こっちを使えば良かったのに」

フォークを持つ三好くんから声が掛かったのは、丁度福本くん特製の漬物を左手に持つ箸で掴み口に運んだ時だった。大して繊細な動作でもなく不便さなど微塵も感じないけれども、実際にこうして普段とは逆の手で箸を扱ってみるのは気の面での新鮮さ、というのなら多少はあった。

「それも考えたの」

口に含んだものをごくりと飲み込んでから、今度は水を飲もうと箸を一旦置いてグラスをこれも左で手にして口内を潤す。常温の水が喉元を通過していく感覚は得も言えぬ厭わしさがある。

「なら何故」
「……訓練の一環、として?」

三好くんから問われる言葉にも何となく似た様な感覚があって、どうにも直ぐに箸を持ち直す気になれずにただ彼を見つめながら答えた。

「まあ別に構いませんが」

私の真横の椅子を引いて腰を下ろした彼は、手に持つフォークをぷらぷらと宙に遊ばせその先端を見つめている。生憎面の広いスプーンではないので、彼の御自慢の端正な顔はきっと歪んで映っているというのに。

「折角僕が食べさせてやろうと思ったのに」

鋭利なフォークの先端がギラリと妖しい光を放つその隙間から、彼のそれ以上に鋭い目付きがこちらを見透かす様に覗く。

「……口の中にもこれと同じ様な傷が出来そうだわ」
「冗談を」
「死ぬな殺すな、守らないとだものね」
「君こそそれに囚われすぎでは?」

馬鹿にする様にせせら笑う彼についかちんときて、その勢いのままにあ、と軽く口を開ける。そうしたら彼は芋の煮物の盛られた小鉢にちらと目線をくれてから、その内一つに手に持つフォークを突き立てた。そして私の目先にそれをちらつかせるのでこちらも顔を寄せると、ゆっくりとそのまま近付けてくる。
次の瞬間ぱくり、とそれが収められたのは私の口の中ではなかった。これも福本くんによって甘く煮付けられた芋は今や三好くんの口内でもくもくと咀嚼され、どうやら丁度彼の喉元を通って無事胃中に取り込まれた様だった。まあ、正直予想はしていたけれども。

「……」
「美味そうだったもので」

つい、とか言いながら全く悪びれもせずにわざとらしく微笑んでみせる彼にじっとりと視線を向ける。

「……貴方ってもっと嘘が上手いと思ってたわ」
「買い被り過ぎですよ」
「……」

三好くんは閉口する私を気にも留めず、またフォークで同じ小鉢から同じ様に突き刺した最後に残った一欠片を、今度はこの閉ざされた唇に押し付けてくる。先程よりも小さく、少しだけ口を開くとそのままむんずと煮物が押し込まれた。フォークの鋭利な先端はその後何事もなく引き抜かれ、内心その事に安堵しながら彼の手から与えられたのを咀嚼した。

「どうです」
「……美味しいわよ」

まだもぐもぐと口を動かしているというのに話し掛けてくるものだから、ざっくりと噛み砕いた芋を無理矢理喉奥に流し込んで素直な感想を述べた。喉元に残る異物感、何とも煩わしい。

「それは良かった」

そもそも今の問い掛けは何だというのだ。既に手を付けていたのだから味なんてわかっているし、何より貴方が腕を振るったわけでもないのに何を聞くのよ。最後の一つだったことくらい見ればわかるだろうに、貴方の手から与えられたのだから余計に美味しく感じるとでも言えば良かったのだろうか。そんなこと全くないから言わないけれども。

「……」
「つまらないな」
「はあ、そう」

ぼそりと気の抜けた声で彼が呟いた言葉に特にこれといった返しも見当たらず、簡易に相槌を打ってそれからはまた箸を手にして黙々と食事を続けた。三好くんはそんな私の横で何をするでもなくただ黙ってそこにいた。
盛られたものを全て食べ終え御馳走様でした、と手を合わせてから食器を重ねる横でさて、と何故か彼が先に口を開いた。

「ではとっとと準備を済ませてくださいね」
「……え?準備、って何の」
「この後は入浴でしょう?」
「え、」

確かに普段の私の行動様式は彼の言う通り夕食を終えて入浴、例外がなければそれでほぼ間違いなかった。けれどもそれが一体何だと言うのだ。先の台詞と同時に立ち上がった彼をぽかんと口を開けたまま見上げる。

「頼れと言ったでしょう?」

言った、確かに言っていた。……言われたけれども!

「……本気で言ってる?」
「僕が君なんかにこんな下らない冗談を言うと?」
「……」

わざわざそんな言い方をされてはイエスと答えられる筈はない。けれども今はそうあって欲しいと切に思う……が、残念ながら、どうやらいくら願ったところで最早彼の中では何も変わらないらしかった。

「ほらさっさとしてくださいよ、それとも君の怪我は足に負ったんでしたっけ?」

顎をしゃくって急かす様な三好くん。やはりこうなってしまったら逃げられない。むしろ今以上足掻いてここは拒絶したとしても、私が浴室に全裸でいるところに勝手に入ってくる様な気さえする。楽しんでいるのだ、この人は。手当てしてくれた際の“暫く僕を頼れ”との台詞の真意が漸く理解できた。今回の怪我の件、彼はとことん私で楽しむつもりなのだと。

「……貴方の性格の悪さ見習いたいわ」
「既に合格点ですよ?それについては君は自分を過小評価し過ぎですね」

彼の嫌味に頬が微かに痙攣する。がたんと椅子から腰を上げて、重ねた食器を既に洗い物に取り掛かっていた福本くんの立つ流しに運んで一言御馳走様でしたと声を掛けるとああ、と普段の低い調子で短く返事が返ってきた。そのまま食堂を早足で出る私のすぐ後ろを、三好くんがうっすら笑みを浮かべてついてくる。かつかつとわざと大きく音を立てながら歩く廊下の途中で一度彼を振り返ると、にっこりと目尻を下げて首を傾げながらやはりその歩みを止める気配は全くない様だった。


 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -