突然の衝撃、はじめは何も感じなかった。ので、一瞬何が起きたのか理解できなかったけれども、鋭く抉られた右手の甲の跡を視認したら引っ掛かれたのだと気付く。猫だ、犯人は。気紛れなその子はもうここにはいなくて、側にいるのは見慣れた紅檜皮色のスーツを纏った彼だけ。傷を付けられた瞬間には感じなかった痛みにじわじわと侵され出した私を、目を丸くして見つめている。

「……悪い」

彼の口から出た謝罪の意味は正しい。と言うのは彼の行動が私の右手に傷が出来る原因を生んだからだ。そう表現すると大仰だけれど真相は至って単純で、いつもの様に彼の指定席に座り煙草を燻らせていた三好くんの側にいた猫を、彼が無造作に手で払った為だった。その際逆のテーブルについていた私の方向に猫は鋭い爪を立てたまま飛び移ってきて、何事かと振り向く間もなくこの手に三本の深い跡が出来ていた。
先にぽろりと出た言葉は恐らく心からの彼の本音で、珍しいこともあるものだと私の目も丸くなる。暫くそうして見つめ合って、先に口を開いたのは彼だった。

「手当てしましょう」
「あ、うん……」

返事をするのと同時に三好くんは立ち上がり部屋を出ていって、医療道具一式の入った箱を手にして戻ってきた。私の目の前の椅子に腰掛け、今や赤く腫れあがる右手甲に消毒液を染み込ませた布を軽く押し当ててからぐるぐると手際良く包帯を巻いていく。何重にも巻かれたそれに何もそこまで大袈裟にしなくても、と漏らしそうになったけれど、うっすらと赤く血が滲み出したのを見て漸く事は意外と重大なのだと認識した。

「痛みますか」
「ええと、少し……?」
「そうですか」

すみませんでしたとまた謝る声は何の感情もなくて彼らしい。彼の謝罪の言葉に対して大丈夫、と返せばまたそうですか、と同じ調子で繰り返した。

「さて、困りましたね」
「え?」
「利き手でしょう」
「そう……だけど」

そうだけど、そう言われる程に生活に支障が出るとは思えない。大抵のことは左手だけで事足りるし、何よりここは私一人の利き手が使えないからといって回らなくなるような御粗末な場所ではない。正直三好くんの言葉の意味が良く理解できなかった。

「暫くは僕を頼れば良い」

罪滅ぼしのつもりなんだろうか。確かに彼の行動がこの怪我の一因ではあるけれども、そもそも直接傷を付けたのはその行動を予測出来ないあの猫なわけだし、何なら避けられなかった私が悪いのだ。何も三好くんがここまで責任を感じることはないのに。これをそのまま伝えると、三好くんははあと彼にしては深い溜め息を吐いてみせた。

「だから猫は嫌いなんだ」

眉間に皺を寄せて苦々しく呟いた彼に、何だか私の方が申し訳ない気になった。かと言ってごめん、と謝罪したところできっとそれは彼の望む形ではないから、何も言わずにぼんやりとこれからのことに思いを馳せた。


 
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