最近いつも空を見上げている気がする。


「若宮」

扉が開いて名を呼ばれても、見つめる先に浮かぶ満月から目を離せない。けれどこちらに近付いてくる神永くんもまた、そんな私を気遣うつもりはないらしい。

「お前はまたこんなとこに……寒くないの?」
「寒いわよ」
「寒いのかよ」
「寒い」

初冬の屋上なんて寒いに決まっているのに、どうしてこんな不毛なやり取りを交わしてしまうのか不思議でならない。神永くんに聞いたらその理由も分かるのだろうか。

「で?寒いくせに何だってこんなとこにいんだよ」
「ん?空が近いから」
「は?」

空が近いから満月も近い、微々たるものでも出来るだけその距離をなくしたい。

「あー……何か前にもこんなことあったよな、お前と満月見上げてあーでもないこーでもないって。あれ思い出すな」
「神永くん満月って好き?」
「お前人の話聞いてる?」

勿論。そう振り返り微笑んでみせると本当かよなんて言いながら、足を投げ出して座る私のすぐ後ろに腰を下ろした。

「私はね、実を言うとあんまり好きじゃないの」
「へえ?何で」
「眩しすぎるから。夜なのにそうじゃないみたいな時があるでしょう」

だから目を閉じてみるのだけれど、私がそうしても満月はいつも以上にこちら側を照らし出す、そうして真っ直ぐに私を見てくる。そんなの、まるでいかさまの勝負事みたいで不公平じゃない。

「ずるいと思うわ」
「はあ?……お前はわかんないな」

そりゃあ貴方は、貴方達はあの眩しさに負ける気なんてしないからでしょう。貴方達だってずるいのよ。悔しいから絶対に言ってやらないけれど。
尚も空を見上げていると、急に背中に温もりを受ける、そしてそれを感じた次の瞬間には二本の腕に捕らえられていた。

「……何これ」
「さあ?何だろうな」

私の胸の辺りで交差させた腕をぎゅうと締め付けておいて、何でもない様にしらばっくれる神永くん。

「何でこんなことするのよ」
「……ん、お前が女だからじゃない?」
「そう、……女で良かったわ」

だろ?と囁いた唇が私の髪を梳かす様に上から下へするすると滑る。抱き締めている相手が違えばこの人は、そのまま事に及んでしまうんだろうか。

「ま、それはそれとして。何でお前はその好きでもない満月をじーっと睨み付けてるわけ?」

私の髪に唇を押し付けたまま話すものだから少しくすぐったい。けれどもそんなことは重要ではなくて、なのに私が返そうとする言葉もまた大したことではないのだからやるせない。

「……前にね、こんなことを言う人がいたの。地球上の、どれだけ遠く離れた場所にいる二人だってあの月までの距離よりは近いところにいるわけだけれど、地球上のどこからでも見えるならいっそ月と地球で離されてしまう方が遠く感じない気がする、って」
「は?誰がそんなこと言うんだよ」
「貴方達の誰かじゃなくて。ここの誰もそんなこと思わないでしょう」
「……だな」
「ね、でもね、」

そう、ここの人間の言葉ではない。ここにくる前に、もう誰だったかも覚えていない様な人がぽつりと放っただけの言葉だった。当時それを聞いた私は何を馬鹿な、と今の神永くんがきっと感じたであろうことをやはり思ったものだけれど、今は、今なら。

「何となくね、分かる気がする」
「ふーん」
「だからここから見たくもない月を見るの」

眩しくても、あれに少しでも近付きたくて最近ずっとこの屋上から夜空を見ている。次第に欠けて三日月になっても、新月が姿を隠しても、そこにあるならとまた空を見上げるのだ。

「お前が良くわかんないのは今に始まったことじゃないけどさ、あとお前って面倒だし?ま、でも話を聞いてやるくらいなら苦痛じゃないぜ?」

苦痛、なんて単語がそもそも不釣り合いすぎて、だけどそんなことを言われたらいくらでも話したくなってしまうじゃない、ねえ。
……けれど。

「私が抱え込むようなタイプだと思う?」
「……いーや?思わないね」
「でしょう?当たりよ」

回された腕に手を掛けて振り返ると目が合ったけれど、またすぐに前を向いた。

「だからだろ?そんな顔してると気になんの」
「……プレイボーイの鑑みたいな台詞ね」
「素直じゃないなお前……」
「ね、愛しくなるでしょう?」
「……あ、何だって?」
「馬鹿」

聞こえているくせに惚けてみせる神永くん、白々しいことこの上ない。馬鹿だ。私に付き合ってくれる必要なんてないのに。毎日毎日飽きもせずに、それこそ本当に馬鹿みたいに空を見上げている私なんかにわざわざ構ってくれなくて良いというのに。
やっぱり神永くんは優しい。だから本音が漏れるのだ。

「あのねえ、会いたくなってしまったの、彼に」
「……お前」
「月になんてどうやったって行けっこないのにね」
「……さすがに月には行ってないと思うぞ」
「多分ね」

行き先も告げずに、月ではないどこかへと旅立ったあの人を思い浮かべる。別れはいつも突然、わかっていたけれど。

「私、あの人が好きなの」
「……ふーん?ま、知ってるけどな」
「貴方のことも好き。他の皆も好き」
「だから知ってるよ」

呆れる様に溜め息交じりに吐かれた声は少し笑っていて、そんな彼にんふふとこちらも笑ってみせる。

「ねえ、思いっきり強く抱き締めてくれない」
「ならこっち向いてくれた方がやり易いんだけど?」

そう言って少し緩まる神永くんの腕の中で身を捩らせ、向き合ってその胸元に頬を寄せればぎゅうっと再び強く抱き締められる。先程は背中に受けていた温もりを、今度は包まれる全身に感じて純粋に心地良い。目を閉じて、神永くんの胸元にぴたりと押し付けた頬をすり寄せた。

「泣くなよ?服が濡れるのは御免だぜ」
「……泣かないわ」


秋に旅立って行った人、寒くなった今も帰ってこない。


 
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