至って普通の朝が来た。昨日のことなんて嘘だったみたいないつも通りの朝日と、福本くんの割烹着姿。そこに集う面々も当然見慣れた顔で、その中にはあの人もいる。すれ違う実井くんにおや珍しい、と言われたのはこんなに遅く起きてきたことに対してなのだろうけれど、何も寝坊したわけではなくてむしろその逆でほぼ眠れていない。
昨日の夜は結局あの後すぐに屋上を出て自室に篭った。篭って、起こったことを整理して、田崎くんに言われた言葉の数々を反芻してその意味を考えた。そうしたらいつの間にか外は明るくなっていた。
この後何時間もしないうちにまた彼と顔を合わせることになる。ここまで時間を使って考えたけれどもわからないなら、これからいくら考えてもきっと何も生まれないと思った。そしてそうやって悟ったら、私は考えるのを止めた。ただそれでも、布団の中で目を閉じてひとつ決意したのは先手を打ってやることだった。


「おはよう」

既に席に着いていた田崎くんの姿を見つけると一直線にそこへ向かう。朝だから、とか一切関係のない普段通りの爽やかな笑顔を貼り付けている田崎くんにその挨拶すら返す気になれずに、単刀直入に疑問を投げ掛けた。

「田崎くんは私をどうしたいの」
「はは、直球だ」
「打ち返してよ」
「……君から話し掛けてきてくれるなんて嬉しいな」

もしかしたら避けられるんじゃないかと思ってたからさ、そう言う表情は如何にも申し訳なさそうに繕われているけれど、やっぱりうっすら笑顔は残っている。

「本当はそうしたかったわよ」

でもそれでは余計気まずくなるだけだから一晩考えたのよ、きっと直に眠くなる、どうしてくれるのよ。

「悪いことしちゃったかな」
「良いことではなかったと思う」
「……」
「……」

田崎くんとの会話は何だかぷかぷかと宙に浮いている様に断定的ではないと、いつもどこかにそんな思いがある。どんな場合にもそうあって、最近はその気持ちの正体もおそらく解りかけてきていた。

「……例えば俺が君をどうこうしたいとして、それを言えば君はその通りに動いてくれるの?」

……良くわからない変化球を返された気分になる。この人はいつも私の言葉に対して真っ直ぐに打ち返してはくれない。そうやっていつも主導権を握っていく。

「そんなの……わからないけど」

そしてそれがわかっていても素直に答えてしまう。こちらが話題を振っても疑問を問うても、いつの間にか主導権を握っているのはいつだってこの人。でも実はそれがとても気楽だったりする、だから良しとしてしまうのだ。

「俺は君のことが好きなんだよ」

彼は良く手品をしている。無意識でカードを捌くのと同じ様に、本音をそれ以外で塗りかためて覆ったことを言うのもきっと彼は無意識でやっている。

「単純に君が好きなんだよ。だから君と色んな話がしたい」

つまりこの言葉もきっと、そのままの意味ではない。彼の口から出る“好き”は重さをまるで持たない。

「……でもそれは愛しているとは違うのね?」

田崎くんの好きという言葉からいつか神永くんに言われたことを思い出していて、その時のことをまるで自分の考えであるかの様に問うと田崎くんはにこりと笑ってみせる。

「多分その方が平和だよね」

平和なのではなくて、それがそのまま答えなのだ。愛すれば平和ではなくなるなんて、そんな馬鹿げたことを本気で考える人はきっとここにはいない。

「なら私も貴方のことが好き」
「嬉しいよ」

愛していないから言える好き、しかないのだ、ここには。一見すれば田崎くんがいくらでも距離を詰めてこようとするのも、そうやって目には見えない壁に実際は阻まれることをきっと理解しているからだ。

「でも昨日のあれはさすがにやり過ぎ」
「そうかな……なら謝ろうか」
「謝る気があるならとっくにそうしてると思うの」

何ならおはようより先に聞きたかったわよ、そうして睨みつける私を見て、珍しく歯を見せて顔をくしゃりとさせる。ここまで破顔しているのを見るのは初めてだった。続けて若宮、そう呼ぶ声もいつもより少しだけ弾んでいる。

「ごめんね」
「……貴方があんなことするからなかなか寝付けなかったのよ。今からもう一度布団に潜り込みたいわ」
「添い寝しようか」
「ねえ、もう一度謝って?」
「あはは、ごめん」

田崎くんのごめんって軽いわよね、そう言ってやるとごめ、とまた言いかけたので何も答えずにっこり笑ってみせる。

「可愛いね」
「ありがとう。好きよ田崎くん」
「俺も」

こうやって行われる全てのやり取りには、意味なんてまるでないのだ。


 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -