暑い、とにかく暑い。額から吹き出る汗を拭っても、すぐにまたじんわりと現れる。ぐるりと食堂内を見回すと、他の機関員もやはり相当参っている様だった。椅子にもたれ掛かって全身をだらりと放り出している神永くんはいつか自白剤を打たれた訓練の時みたいになっているし、波多野くんなんて蕩けた様にテーブルにぐったりと項垂れ、もはや生きているのか死んでいるのかわからないぐらい。波多野くんって暑さに弱いんだな……いつも飄々としてるから何だか新鮮だな……とか、斯く言う私もどうだって良いことしか考えられない程にはこの暑さにやられている。
暑さに参っているのは何も人間だけではなくて、いつからか迷いこんでは住み着いた猫も少ない陰場を確保しつつぐったりとその身を投げ出していた。あれこそ本当に死んでやしないかと少し離れたその子に向かってにゃあにゃあ、にゃあと声を掛けると若宮うるせえと少しきつめの波多野くんの声が飛ぶ。あ、波多野くん生きてた。良かった、安心した。
私の声にぴくりとも反応しない猫にそっと近寄ってつんと腹の辺りをつついてみると、ひょんと長い尻尾が振れたのでこちらもちゃんと生きているみたいだった、良かった。暑さが凌げない代わりにせめて癒しを……とその子が体を伸ばす場所にグラスを持って移動して、だらんとテーブルに体を預けた。ら、おやおや、と先程までこの場にはいなかった人の声が頭の上から降ってくる。

「やっぱり猫は暑さに弱いんですね」
「実井くん」

結局すぐに体を起こすことになった私に、ここ失礼しますねと対面の椅子に腰掛けた実井くんの手には分厚い本が抱えられていた。猫だって茹だる様な日でも涼しい顔で読書に勤しむ気だとは恐れ入る。

「でもこの子一番良いところ陣取ってるのはさすがよね……さっきまで私がいたところよりここの方が大分涼しい気がする」
「その子じゃなくて君のことですよ」
「え、そうなの」
「君って猫っぽいですもん」
「……それって褒めてる?」
「勿論」

にっこり、通常通りの笑顔は向こうでふぬけた格好の二人と同じ空間にいるとは思えないくらい涼しげな表情。

「……実井くん暑くないの」
「暑いですよ?夏だし」
「ごめん……」
「何のごめん?」
「わからない」

そうは答えてみたものの、しいて言うなら当たり前のことを聞いて当たり前のことを言わせてしまった申し訳なさだ。きっとこの人じゃなければわざわざ謝ったりしていない。まあいっかと呟く実井くんはやっぱり暑そうには見えない。

「……実井くんはどちらかというと犬っぽいわね。というより猫っぽくない」
「それ褒めてます?」
「当然よ」
「犬ですか……そういえば僕が今通ってる所にはいますよ」
「そうなんだ。可愛い?どんな犬なの」
「まあ手入れはしっかりしてますから綺麗なものですよ。ただとてもじゃないけど番犬とは言えないですかね」
「ふーん。愛玩用なの」
「そうだ、知ってます?番犬、とは言いますけど実は猫も空き巣対策にはなかなか良いらしいですよ。むしろ犬より向いてるとか」
「へえ……どうして」
「猫は警戒心が強いからなかなか他人に、時には主人にだって懐かないでしょ?犬は序列こそ付けても、懐きさえすればあとは誰にでも尻尾を振りますからね」
「泥棒相手でも?そういうものかしら……」
「確かに今いるところの犬も来客があれば始めこそうるさく吠えても、次第に慣れるのか最後には千切れそうな程尻尾を振るんですよね。本当、馬鹿なんじゃないかってくらいに……っと」

失言失言、なんて笑う実井くん。絶対、絶対にわざと言った。普段から思ってもいないことをぽろりとこぼす様な人じゃないもの。実井くんの実井くんたる発言に少し眉を顰めた私を、真顔になってじぃっと見つめてふむ、と意味深に頷いたかと思うと、次の瞬間にはお得意の笑顔が現れた。

「な、何」
「……うーん、前言撤回ですかね。君ってやっぱり猫より犬っぽいかも」
「……馬鹿だってそう言いたいのね」
「やだなあ、そんなこと一言も言ってないじゃないですか」
「じゃあどこがどう犬っぽいのよ」
「……」

ゆったりと弧を描いたままの瞳で口をつぐんだ実井くんはその表情のままちらりと視線を外し、徐に私のグラスを引き寄せ人指し指で軽く中の水を掬った。そして次の瞬間その指を私の鼻にぐりぐりと押し当てて一層笑みを深める。

「ほら、鼻が濡れてるところなんか一緒ですよ」
「……」
「怒りました?」
「……怒る気にもならないわ」

あははと満足そうに笑う実井くんに怒る気が起きないのは本当だった。もう何とでも言えば良い。

「……そういう貴方にはもう犬っぽいなんて言えないわね」
「じゃあ猫ですか?」
「それも違うわね。ええと……」
「なら神、とか?」

何てね、と笑う実井くん。誤魔化してみてはいるけれど、これきっと本気だ。どうして犬猫の話から動物ですらない神が出てくるのかその思考回路は全くの理解不能で、本当は常々思っているだけじゃないの、と言いたいけれどたった今神を自称した人にそんな言葉を掛けられる筈もなく。本来、動物の話なんてこの場に似つかわしくない程に癒しを得られるものではないの?このやり場のない思いをどうにかしようと目の前でごろごろと喉を鳴らす猫を撫でたら、尻尾でその手をぺしとやられた瞬間この空間に癒しを求めたこと自体がそもそも間違いだったのだと漸く気付いた愚かな私は何にせよ、神なんぞとは程遠い動物でしかない。


 
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